4月18日 国際報道2018
移民に寛容な国として知られるカナダだが
過去には“移民に対する差別”という長い歴史があった。
特に太平洋戦争中
日系人への差別は深刻で
国に財産を奪われたうえ強制収容所に送られたのである。
戦後その差別と向き合い続けてきたひとりの女性がいる。
メアリ・キタガワさん(83)。
メアリさんは日系人の苦難の歴史を語り継ぐ取り組みを続けている。
カナダの内陸部にかつての日系人への差別を物語る施設がある。
カナダの西海岸から160㎞余離れた山間部。
ここで2,000人超の日系カナダ人が収容され
厳しい暮らしを余儀なくされていた。
今も残る強制収容所の跡地。
電気や水道もない建物が各地に作られ
当時カナダ全土で収容された日系人の数は2万人以上にのぼる。
19世紀後半から漁業や林業で働くために移住した日系人たち。
太平洋戦争が始まると“敵性外国人”とみなされた。
突然 国にすべての財産を没収され
収容所での生活を強いられたのである。
バンクーバーに住む日系3世のメアリ・キタガワさん。
メアリさんは祖父母が移住した西海岸の島で生まれた。
1942年 7歳のときメアリさんの一家はバンクーバー市内の施設に収容される。
そこは家畜の飼育場として使われていた建物だった。
(日系3世 メアリ・キタガワさん)
「中に入ると糞尿の臭いがしました。
床からはウジ虫がはい出してきました。
そんなところでどうやって暮らせと言うのですか。」
強制収容は主戦の良く年まで約4年間に及ぶ。
しかしようやく故郷に戻っても差別は続いた。
(メアリ・キタガワさん)
「収容所から以前住んでいた島に帰っても歓迎はされませんでした。
“殺す”と言われたこともあります。
日系人墓地に行ったのですがその様子は信じられないものでした。
墓石がなぎ倒されゴミに埋まっていました。
ゴミ捨て場にされていたのです。」
メアリさんは高校の教師として働きながら
日系人の男性と結婚。
2人の子どもを育ててきた。
そして夫とともに日系人への差別をなくすための活動を続けてきた。
最も力を尽くしたのが日系人大学生の名誉回復だった。
戦時中ブリティッシュコロンビア大学で学んでいた76人の日系人が
強制収容のために退学を余儀なくされた。
日系人が学んだ証を残すことはできないのか。
メアリさんの働きかけで大学は名誉学位を与えることにしたのである。
(メアリ・キタガワさん)
「彼らは不公平な扱いに苦しんでいたのです。
相応の扱いを受けるべきだと思いました。
大学に彼らを認めて欲しかったのです。」
メアリさんがいま心配しているのは
移民に寛容だったカナダ社会の変貌である。
もともとカナダ政府は世界で初めて“多文化主義政策”打ち出し
さまざまな背景を持つ人が共に暮らせる社会へと舵を切った。
しかし最近ではイスラム過激派によるテロなどの影響で
イスラム系移民に対する差別的な対応や事件が起きている。
(メアリ・キタガワさん)
「イスラム教徒の人たちに対し
人々が否定的な言葉を発しているのを耳にします。
彼らのことを知りもせずにひとまとめにして“IS(イスラミック・ステート)のようだ”と。」
80歳を超えたメアリさん。
いま力を入れているのが
自らの経験を若者に伝えることである。
大学の教壇に立ち
強制収容所の日々や戦後も差別を受けたつらい日々を語っている。
イスラム系移民への差別を念頭に若い世代に警鐘を鳴らしている。
(メアリ・キタガワさん)
「イスラム系移民への差別はカナダの負の歴史の再来に思えます。
あのようなことが再び起きてほしくありません。
もし差別があると気づいたら声をあげる責任があります。
そうでなければ差別を受け入れたも同然です。」
(学生)
「日系カナダ人の歴史を知りませんでしたが
もっと学びたいと思いました。」
「正義のために長い間 闘い抜いてきたメアリさんの強さに感銘を受けました。」
(メアリ・キタガワさん)
「再び同じようなことが誰にも起きないことを願って
自らが味わった苦難の歴史を語り続けているのです。」
メアリさんの思いはいま次の世代に引き継がれようとしている。