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子どもと遊ぶペリカン カッタ君のメッセージ

2019-01-13 07:15:00 | 報道/ニュース

12月12日 おはよう日本


モモイロペリカンのカッタ君。
山口県宇部市のときわ公園でかつて放し飼いされていた人気ものである。
自由に飛びまわり
お気に入りの幼稚園に毎日通っていた。
子どもたちと遊ぶ姿が話題になり全国でも有名になった。
「はい 知ってます。
 大きいんですけど
 なんとなく愛くるしいというか。」
「かわいかったですよ。
 宇部=カッタ君みたいな。」
カッタ君の名残りは宇部市のあちらこちらに。
死んでから10年経った今も地元に愛され続けている。
ときわ公園では
7年前に園内の黒鳥に鳥インフルエンザが見つかり
全ての鳥の放し飼いは禁止になった。
鳥と人間との直接的な触れ合いがなくなってしまった今
せめてその良さを語り継いでほしい。
公園では写真やメッセージなどを集めた企画展が開かれた。
(ときわ動物公園動物課)
「いまペリカンに触ったり触れ合ったりしていただくことはできませんが
 懐かしんで思い出していただきたい。」
昭和60年 日本初の人工ふ化で生まれたカッタ君。
飼育員の手で育てられ
人によくなついていた。
昭和63年頃
ほかのペリカンは羽の一部を切られて飛べなくされていたが
カッタ君の羽だけは切られなかった。
当時 飼育にあたったときわ動物園の白須さんは
ペリカンが空を飛ぶ姿をみんなに見てほしいと考えていた。
その夢をカッタ君にたくしたという。
(カッタ君の育ての親 白須さん)
「カッタ君の場合は子どもたちに大変やさしかった。
 羽を切らずに飛ばしても大丈夫だっていう思いがあったので
 カッタ君の羽を切らずに飛ばしたわけですね。」
そして平成元年。
カッタ君は大空を舞った。
ペリカン島から自由に出掛けるようになったのである。
お気に入りは公園から800メートル離れた幼稚園だった。
明光幼稚園の山口先生。
カッタ君が初めて来たときのことを鮮明に覚えているという。
(明光幼稚園 山口先生)
「くちばしが子どもの目の高さなので
 危ないということで線を引いて
 “ここからは近寄っちゃだめ”としていましたが
 毎日来ることで距離がどんどん近づいていって。」
カッタ君が好きだった曲「ぼくのミックスジュース」。
園児と一緒に歌ってくれたと山口先生は感じている。
当時この幼稚園の園児だった大束紀子さん。
いま子ども2人もこの幼稚園に通っている。
大束さんはカッタ君の存在がやさしい気持ちを育んでくれたと感じている。
(大束さん)
「動物に対して恐怖心無く育って
 ちょっと大きい動物でも小さいときから近寄って触って温かみを感じていた。
 動物はすごい今でも好きです。」
子どもたちの心を育んでくれたカッタ君。
しかし今そうした貴重な機会はなくなった。
世間の目が少しずつ厳しくなっていると感じているときわ公園の白須さん。
生き物と触れ合える機会をこれからも大切にしてほしいと願っている。
(カッタ君の育ての親 白須さん)
「時にはペリカンが子どもたちを傷つけたりすることもありました。
 でもそれは大丈夫と
 親が言って怒ることもなかった。
 もう少し自然に触れ合うことのすばらしさを感じるようなことがあっていいと思うんです。
 今からの子どもたちにそういう機会を
 できれば大人の世界で作ってあげてほしいなと思います。」
多くの人の心に生き続けているカッタ君。
今の時代へのメッセージをそっと投げかけてくれている。




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