
私が歩んできた道のりをふりかえると、自分の思いどおりにものごとが進んだことのほうが少ないのでないかと思います。
学生時代にしてもしかり。希望の大学にはいけまさんでした。
就職にしてもしかり。1年遅れで教員になりました。
初めての学級担任にしてもしかり。クラスづくりがうまくいきませんでした。
部活の顧問にしてもしかり。一人で男女両方の部活を顧問して、十分な指導学校できませんでした。
とくに、教師の場合、中学生にこうなってほしいと思いかかわっても、子どもはそうならないことがよくあります。
しかし、考えてみると、思いどおりいかないとき、自分でうけとめ、前向きに対応してきたことが大切だったのだと、いま思います。
もちろん、前向きに対応できなかったこともあります。
しかし、思いどおりいかないのは、自分にとっての「練習」だと受けとめるのが、教師を成長させます。
思いどおりいかず、「練習」して学んできたから、いま教職経験の少ない人に、「こうすべき」とか「こうしたら」と言えるのだと、自分では感じています。
教職に限らず、うまくいかないことが暮らしや人生そのものだと言えるのです。
だったら、うまくいかないことを悲観する必要はありません。かといって、楽観して軽く考えるのもよくない。
うまくいがない場合には、問題に真剣に向き合いべきであり、深刻にならないのがいいのです。
真剣に対処せよ。でも深刻にはならない。
この教訓は、大切な教えだと思います。