日本の高度経済成長の時代、私は少年・青年時代でした。
そのあと、バブル絶頂期を経て、バブル崩壊期を過ごしました。
そして今は、人びとの経済格差がすすみ、固定化していく傾向のある今にいたっています。
その半世紀の推移を通して思うのは、人がどこで、どんなときに、どんなことで充足感・満足感を得るかが変わってきたということです。
まだ、戦後の影を引きずっているときは、人びとの生活は総じて貧しく、「一家に1台テレビがほしいね。マイカーも欲しいな」という会話がなされていました。
そして経済は右肩上がりで仕事はたくさんあり、ほしいものを手に入れるようになりました。
いわゆる「1億層中流時代」が到来し、物質的な暮らしは格段に豊かになりました。
その後、1970年代に入ると、中東諸国が一斉に原油価格を引き上げるオイルショックが日本経済を直撃しました。
それでも、日本経済は強靭で、それを乗り切りました。
1980年代には第2次オイルショックが起きましたが、それをも乗り越え、世界でJapan as No.1と言われる経済大国になりました。
そのあたりから、商店に並ぶ品物は高級化し、品数も一挙に増えだしたのを思い出します。
明石家さんまらが出演する『男女7人夏物語』などのTV番組がトレンディになり、女性のファッションはボディコン・ハイレングスが流行り、高級ブランド品を身にまとうのが憧れとなりました。
日本経済は肥大化し、不動産や土地の価格は急騰し、金融バブルを迎え、やがて崩壊しました。
その後は、「失われた30年」といわれる経済停滞期に突入し、いまにいたっています。
その30年間に、終身雇用制が崩れ、非正規雇用が増え、格差が深まってきました。格差が固定化し、貧困の問題が深刻になっています。
経済だけでなく、社会も変化しました。
共同体よりも個人の自由やライフスタイル・生き方を重視する傾向が1990年代から顕著になってきて、一方では人の孤立化が定着しました。
少子高齢化が追い打ちをかけ、人びとは希望をもちにくくなってきています。
少なくとも、わたしの若い頃は努力すれば報われるという、時代への希望がもてました。
教師になってからでも、中学生には明るい未来を語ることができました。
しかし、自身が閉塞感を感じる、いまという時代にあっては、何を語るかが問われています。
終身雇用、所得増の時代ならば、一流大学から一流会社に入ることが、しあわせを測る一つの尺度であったことは間違いありません。
しかし、低成長が続き、将来も見通せない中では、尺度は自分で見つけ、選ばなければなりません。
家族をもち、子どもと楽しい家庭生活に喜びを見出す人。
社会貢献やボランティアとして活動し、喜んでくれる他者がいることにしあわせを感じる人。
シングルで過ごし、たくさんの人間関係の中で、充足した生活を楽しむ人。
ユーチューバとして、自分の動画のフォロワーが増えることを生きがいにできる人。
何がしあわせであるかは、自分で決めなければならないのは、おもしろいともいえますが、難しいのです。
そんな時代にあって、学校教育だけでは自分にとってのしあわせが何であるかを考えて卒業させるのは無理があるでしょう。
でも、そのことを考え、自分の生き方をみつめるためのきっかけの種を子ども時代に蒔いていく必要はありそうです。
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