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今年の梅雨は長く、激しい雨が続いています。スカッと晴れてほしいと思います。
晴れの日について、こんなエッセイを紹介します。
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2〜3歳の園児が6名ほど、園の入り口、道路脇にちょこんと一列にしゃがんでいた。
傍らには、エプロン姿の先生が一人。
保育園児だもの、ワーキャー大騒ぎしていそうなものだが、その子たちはなぜか、とても真剣な顔をして、一方向を眺めていた。
傍らの先生もひそやかあな佇まいで、やはり園児たちと同じ一方向を眺めている。
その姿に思わず歩くスピードをやるめ何事が起きているのか、耳をそば立てた。
彼らはしばらく無言で、目の前の駅に停車中の電車を眺めていた。
複数の線路に、同じ車両だが、色の少し違う電車が停まっている。
「なんだ、電車をみていたのか」とは言い難い、なんとも静かで、言ってみれば、やや厳かな雰囲気さえ漂っている。
真剣に電車を見つめ、何かを考えている様子の園児たち。
その園児たちに、先生が、密やかながら、まるで学術的なことを討議しているかのような声音で語りかける。
「あの青はなんの青だろう?」
園児たちは真剣に、その言葉に耳を傾け、一人の子が、アゴに手を掛けながら、難しそうに、「あっちとこっちでは、ちがう青だね」と意見する。
「こっちはお水のような青だ」とまた違う子が意見する。そして、しばし、皆が考える。
可愛すぎる光景。園児たちは''どんな青か''を考え、先生は静かに彼らからあがってくる声に相槌を打つ。
2〜3歳の子どもたちと、一人の大人が真剣に語らう姿に胸を掴まれた。
「お空の青じゃない」、一人の子がささやき、皆で上を見上げる。
私もいっしょに上を見上げた。さっきまで少し切なく感じられていた空の青さが、子どもたちの眼差しの先にある軽快な電車の、その色に重なって—心が柔らかく、広がりを取り戻していた。
(雑誌『クロワッサン』の「眠れる巨人」の「あの青は何の青だろう」[中嶋朋子]より抜粋)
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筆者は、この幼稚園の前を通りかかる前に、空の青をまっすぐに見ることのできない状況でした。
それは、台風続きの後の久しぶりの晴れた空の青空が広がった日だったからです。
台風で被害を受けた人びとがいる中で、青空を喜べなかったと、上のエッセイの前段で述べておられます。
そして、本文につながり、青空を見上げたとなります。
私は、教育的見地で、小さい子どもたちにじっくりと青色について考えさせた先生の情操教育に関心をもちました。
いまの子どもたちは、自然に対して無頓着なことが多いと考えています。
園児たちは、元気でにぎやかで、集団になり、自然にじっくりと向きあう機会は多くないでしょう。
真剣に語りあうことも少ないでしょう。
私は、自然の中で育ち、小学生のときは、校外での写生会があり、晩秋鮮やかに色づいた山をじっと友だちとみていた体験があります。
夏には青々とした山がこんなにも変わることに感銘を受けたのでした。
だから、このエッセイの本文に心惹かれました。
子どもたちの自然に対する心を育むことは、今の時代、ほんとうに大切だと考えます。
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