天気のよい夜の空を見上げると星が見えます。
わたしの家では、夜に庭に出ると、30年ほど前には、いわゆる「満天の星」が見えました。
最近は、空気が少し汚れ、また、周りが明るくなり、晴れの日の夜でも空が白く霞んでいます。
星が昔ほどは見えなくなりました。
それでも、まだ星を見ることはできます。
そして、考えてみると、わたしがそのとき見上げている星から放たれた光は、何億光年も前に発した光なのです。
そう考えると壮大な宇宙の世界に引き込まれ、神秘さえも感じます。
何億光年も前に放たれた光なので、たとえは奈良時代の山上憶良が見た星、戦国時代に武田信玄が見た星も、いま私が見ている星と、ほとんど変わりがないことに気づきます。
すなわち、過去の中に現在があるです。過去の中に未来があるのです。
わたしは何度かブログで書いています。また、卒業式の式辞の中で、中学生に話したこともあります。
人間は過去の集積です。「過去こそがすべて」とまで言えると思います。
わたしは、歳を重ねるにつれて、「ふるさと」のメロディと歌詞を聞き、共感するとともに、しっとりとした、ノスタルジックな気持ちになります。
なぜ、このうたに惹かれるのか。わたしの育った自然豊かなふるさとの原風景が蘇るからだと思います。
おじいちゃんが牛に草をやっていた。鎌をもって草を刈っていた。近所のおばちゃんが田植えをしていた。
すると、自分がおじいちゃんやおばちゃん、父や母から引き継いだものがあることに気づくのです。
つまり、どう生きるか、どう生きていくかは、過去の中にあると思うのです。
中学生が卒業のとき、多くの人がとかく未来を夢見たり、展望します。
しかし、わたしは、中学3年間命をつないできたその過去を振り返ることが、次につながることを話してきました。
「いえ、わたしの過去はつらいことばかりだったから・・・」と言う人がいるかもしれません。
でも、そのつらさを通して、それでもいま命をつないで、ここにあなたがいる。
そのこと自体に意味があるのだと、わたしは考えます。
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