新しい年を迎え、正月三ヶ日はいい天気が続いています。
さて、私たちは、子育てについて、絶対普遍的な親から子へのかかわり方があるものと思っています。
たしかに、たとえば、親が子どもを受容して寛容な接し方をするなどは、普遍的な原理です。
しかし、頭のすみに置いておかなければならないことは、いつの時代も子育ては、わが国の経済状況と無関係ではなく、また社会的な要請や特徴などに影響を受けているという視点です。
つまり、子どもの育ち方をみるとき、それまでの家庭環境や親のかかわりがどうだったかたという人間関係による影響を考えることに加え、時代による社会の価値観や傾向と切り離して、子育てを考えられないということです。
具体的に言いましょう。
わたしの子どもの頃は、高度経済成長の時代でした。
「おやじより偉くなれ」とか「おやじより大きくなれ」という価値観が世の中の主流でした。
アニメ『巨人の星』や『アタックNo.1』に代表されるように、「ど根性」でがんばれば成功するという「スポ根もの」を、少年たちは読みました。
実際、がんばって努力すれば、出世して一定の社会的な地位や高価な商品をたくさん手に入れることができた時代でした。
その反面、まわりの人とのし烈な競争に追い立てられたのです。
とはいえ、あの時代はみんなががんばることができました。科学技術が発達して、国民の生活は飛躍的に豊かなり、「一億人総中流」と言われるようになったのでした。
しかし、失われた30年と言われる時代を経て、いまはがんばりや努力がその人の一生を約束するとはいえない時代に入りました。
いま、中学生の親御さんになっている人たちの多くは、日本経済のバブルがはじけたころに子ども時代を過ごしました。
日本社会で、「勝ち組」とか「負け組」が言われ出し、格差が鮮明になった頃でした。
当然、今の親御さんが、中学生のわが子を育てるときには、受容と寛容の中で育む子育てをしながらも、総じていえば無意識に植え付けられた競争社会の怖さが念頭にあることでしょう。
そのため、わが子に願うのは、より優秀で、ほかより抜きん出る力をわが子にも求める傾向があると思います。
なんとかわが子を時代の流れから遅れることのないように、「がんばれ、がんばるのよ」と、勉強やさまざまな活動に子どもを駆り立てるとしたら、それは子どもにとってほんとうにいいことなのでしょうか。
子どもは、自分を「存在していることそのものの価値というよりも、他と比べてどうかで評価を受けます。
勝てばよし、負けたら認められない。そのような価値観は、子どもにとって幸せなことなのでしょうか。
人は、いつも他の人との比較で価値づける競争の中で生きるものではない。
その子が存在していて、いまを生きていることにこそ、絶対的な価値があるのです。
このことを念頭におき、子どもの成長にかかわる子育て・教育に携わりたいのです。
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