私は、高校生の頃、友だちといっしょに徳島県の海部(かいふ)というところへ泊りに行きました。そこには、友だちの親戚の家があり、一泊させてもらいました。
家の前には、海部川という山の中を流れる川がありました。
清流といえるきれいな水の川で、水深は3mくらいあり、水中メガネで川底を見ると、大きな鮎か何かの魚が何匹も泳いでいました。
その川幅は狭く、10m程度だったと覚えていますが、私は対岸の岩の上に乗り休憩していました。
すると、友だちが「助けてくれー」と叫んでおり、溺れかけていました。私は川に飛び込み、泳いで助けに行きました。
溺れる者は、ワラをもつかむ。
その友だちは私の首にしがみつきました。
私は自分が沈んでいくのがわかりました。自分は泳げても、しがみつく友だちの体重は重く、体の自由がきかなかったのでした。
「ああ、これで死ぬんや」と思いながらもがいていました。
しかし、幸運なことに山の谷間を流れる川は、流れが速く、私たちはどんどん流されていたのでした。
気がつくと浅瀬にたどりつき、足が川底につくようになっていました。
いまでも、ときどき思い出しては、私たちはラッキーだったと思います。
いっしょに旅行に行った友だちはほかにもいましたが、遠くのほうで遊んでいました。
溺れる彼を助けることができるのは、私だけでした。
でも、よく考えると私は人を引っぱって自力で泳ぐ練習は一度もしたことがなかったのです。でも、自然と体は友だちを助ける行動を起こしていました。
考えてみれば、私には「いっしょに溺れるだろう」という先を読むよりも、仲間の命を大切に思ったのかもしれません。
先日のブログで、学習を教えあえる生徒たちのことを話題にしました。たとえ入試は競争でも、学校は、競争する場ではないというメッセージを発しました。
ただし、競争しながら切磋琢磨していく面も子どもの成長には必要なこともあります。
学校は助け合う場です。競争しか知らない子は協力することはできません。
しかし、協力するということを知っている人は、必要があれば競争することができます。
だから、どんなに優秀な成績でも、自分さえよければいいと思うような子になってほしくはない。
このように思うのです。