画像は今回の座の会のパンフレット裏。
会をもう7年ほど見続けてくれている美術評論の野口さんのコメント、
「…しかし座の会の発表をオンラインに替えることが可能だろうか。答えは否、に違いあるまい。
この作家たちの伝えようとしていることの核は、作品の現実的な存在にこそ内容されているはずだ。
私たちはそのような作品こそ観たいと思う。…」
作品は空間に置いた時、そしてスポットをあてた瞬間になんて生き生きとすることか。
作品はそのサイズ以上の空間を把握して場を作る。
作家も、隣り合う他の作家の作品とシンパシーを感じながら、やる。
展覧会は空間だから当然オンラインでは難しい。
それは「その場で息を吸う」ということだからだ。
コロナが感染拡大を始めた頃、画廊や美術館は一斉にオンラインを導入した。
何なら切り替わりの早かった画廊は生き残っている、と感じる。
そしてオンラインで作品が売れて現在バブルなのだそうだ。
そうなれば、例えばだけどインスタ映えする作品の方が有利だろう。
それは悪いことではなく、今までだってずっとアートはそんなふうに社会環境を反映しながら
人の側にありつづけてきた。
ある美術評論家は、コロナ禍の現在、何故作家はマスクを描かないのかと吠えていたが、
そんなことしなくてもインスタ映えのする作品を描くことこそ、コロナ禍の現在を表わしていると
言えるだろう。
そして、そのコロナ禍だからこそ、オンラインの枠におさまりきらない空間展示の尊さに気づく。
座の会に参加したことで展示の意味を掘り起こせた。
もちろんそれはロシアンルーレットのように、感染と隣り合わせだが。
「ブラフマン」は引き取り手が決まり、これが最後の展示となった。
私がこれを描いた、というよりはさまざまな制約が描かせてくれた、愛おしい作品。
作品は、「私が描いた」などというちっぽけな意識を超えた瞬間に
いきなり尊いものになる。面白いな、と思います。
他メンバーの作品も少しご紹介します。
左より、羽田雄貴、米谷清和、藤原宇希子作品
左から金子健一郎、広田郁世作品
神保千絵作品
野崎慎作品
大西長利作品
大西先生は、今年からメンバーになった。御年88歳。
漆芸の大家、スーパースターだという人もいる。
初日に語った言葉の一言一言が磨かれていて心に響いた。
一度会っただけで人生が変わる、って信じられる。
まだまだ大切に人生を生きていこうと思います。
座の会にいらしてくださった方々、ありがとうございました。
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