Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

座の会終了。ありがとうございました。

2021年09月09日 09時04分17秒 | EXHIBITION


画像は今回の座の会のパンフレット裏。
会をもう7年ほど見続けてくれている美術評論の野口さんのコメント、
「…しかし座の会の発表をオンラインに替えることが可能だろうか。答えは否、に違いあるまい。
この作家たちの伝えようとしていることの核は、作品の現実的な存在にこそ内容されているはずだ。
私たちはそのような作品こそ観たいと思う。…」
作品は空間に置いた時、そしてスポットをあてた瞬間になんて生き生きとすることか。
作品はそのサイズ以上の空間を把握して場を作る。
作家も、隣り合う他の作家の作品とシンパシーを感じながら、やる。
展覧会は空間だから当然オンラインでは難しい。
それは「その場で息を吸う」ということだからだ。



コロナが感染拡大を始めた頃、画廊や美術館は一斉にオンラインを導入した。
何なら切り替わりの早かった画廊は生き残っている、と感じる。
そしてオンラインで作品が売れて現在バブルなのだそうだ。

そうなれば、例えばだけどインスタ映えする作品の方が有利だろう。
それは悪いことではなく、今までだってずっとアートはそんなふうに社会環境を反映しながら
人の側にありつづけてきた。
ある美術評論家は、コロナ禍の現在、何故作家はマスクを描かないのかと吠えていたが、
そんなことしなくてもインスタ映えのする作品を描くことこそ、コロナ禍の現在を表わしていると
言えるだろう。
そして、そのコロナ禍だからこそ、オンラインの枠におさまりきらない空間展示の尊さに気づく。
座の会に参加したことで展示の意味を掘り起こせた。
もちろんそれはロシアンルーレットのように、感染と隣り合わせだが。


「ブラフマン」は引き取り手が決まり、これが最後の展示となった。
私がこれを描いた、というよりはさまざまな制約が描かせてくれた、愛おしい作品。
作品は、「私が描いた」などというちっぽけな意識を超えた瞬間に
いきなり尊いものになる。面白いな、と思います。

他メンバーの作品も少しご紹介します。

左より、羽田雄貴、米谷清和、藤原宇希子作品


左から金子健一郎、広田郁世作品


神保千絵作品


野崎慎作品


大西長利作品
大西先生は、今年からメンバーになった。御年88歳。
漆芸の大家、スーパースターだという人もいる。
初日に語った言葉の一言一言が磨かれていて心に響いた。
一度会っただけで人生が変わる、って信じられる。
まだまだ大切に人生を生きていこうと思います。

座の会にいらしてくださった方々、ありがとうございました。



最新の画像もっと見る