フロア350より西南西方向(JR新宿駅方向)。JR山手線環状部周辺の住宅密集地の中には新宿副都心の高層ビル群が見えます。高さ200メートルを超える高層ビルが何棟も林立している新宿副都心も、東京スカイツリーの展望台からだと悠々と見下ろすことができます。
新宿副都心の高層ビル群をズームで撮影してみました。ビル群の中央には東京都庁第一本庁舎の特徴的な高層ビルが写っていて、現在でも高層ビルの建設工事は進められています。新宿のビル群の左下に写っている真っ白な建物はJR水道橋駅前にある東京ドームです。
東京スカイツリーの南側を東西方向に伸びている大通りは隅田川の駒形橋左岸側起点の「清澄通り」です。上空から見ると防火帯の機能を有していることがわかりますね。
本所・蔵前周辺の隅田川をズームで撮影してみました。手前の緑色のアーチ橋は「厩橋(うまやばし)」、一つ下流側の橋は「蔵前橋」です。
清澄通りの「業平交差点」を真下に向かって撮影してみました。清澄通りの北側には、大通りに沿って東武鉄道スカイツリーライン(旧伊勢崎線)と北十軒川の運河が流れています。運河や線路脇に至るまで住宅が密集して建っているのがわかります。
真下を見下ろしても全く恐怖を感じないのが不思議ですね・・・。
続いて西方向(東武浅草駅・JR上野駅方向)を見ていきたいと思います。これから先は東京都心部や新宿副都心のように高層ビルは少ないエリアに入りますが、見所はたくさんあります!!!
本所吾妻橋の「リバーピア吾妻橋」を見下ろして撮影してみました。アサヒビール本社ビルや墨田区役所庁舎を見下ろすことができます。朝日ビール本社ビルの背後に写っているのが「吾妻橋」です。
東京スカイツリーの南側を流れている北十軒川はスカイツリーの西側で隅田川と合流しています。東京の城東地区にはこのような都市運河が張り巡らされていた時代があったのですね。隅田川都合流している水門の北側には「隅田公園」の緑地帯が広がっています。
JR上野駅(西方向)です。上野駅の西側には「上野公園」の広大な緑地帯が広がっているのが見えますが、12月の中旬に入っているのに未だに紅葉の木々が残っていることが驚きです。公園の敷地内に建っている東京国立博物館などの施設の建物もはっきりと見ることができました。
上野公園の緑地帯の奥にはJR池袋駅前にあるサンシャイン60の高層ビルが見えました。この辺りは文京・豊島といった人口密集地となっています。
東武浅草駅周辺をズームで撮影してみました。隅田川を渡っている東武スカイツリーラインの線路の行き着く先に東武浅草駅のビルが建っています。浅草寺の山門や本堂、五重塔もはっきりと見えます。こうして見ると浅草寺というのは浅草界隈の緑地帯としての性格も持っていることがわかりますね。
ズームなどは一切無しに西方向を撮影した写真です。正面の遥か遠くに見える稜線は「関東山地」です。関東地方の地形は「関東造盆地運動」、周囲の山地が隆起して、中心の平野が沈降していきます。沈下している平野部に周囲の山々からの土砂が堆積することによって関東平野が誕生したのです。
東京23区の城東地区に位置するこのあたりは、関東平野周辺の山々から流れ出てくる河川が海に流れ出ている場所でした。元々、利根川は現在のように千葉県銚子市で太平洋に流れ出る河川ではなく、江戸時代までは東京湾に流れ込んでいる河川だったのです。
上の写真で、上野公園の緑地帯のラインがあった場所が古代のこの辺りの海岸線だったのです。江戸時代までの上野公園から西側は利根川や隅田川が東京湾に流れ込む中に湿地帯が広がっていました。徳川政権の土木工事によって利根川は銚子方向へ付け替えられ、この辺りの湿地帯は大量の土砂で埋め立てられることになります。
逆に新宿や豊島、練馬といった城西地区は「武蔵野台地」という名前の地盤の硬い岩盤で覆われている場所であり、古代の昔から人々が住んでいた歴史があるのです。その意味ではスカイツリーが建っている城東地区はまだ歴史的には「新しい場所」の部類に入るのです。
上野公園の脇にもタワーマンションが建設されています。いよいよ高層化の流れが上野や浅草エリアにもやってきたのかもしれません。
最後に隅田川の左岸側の「隅田公園」を見下ろしてズームで撮影してみました。ここの隅田公園は4月の時期は満開の桜に覆われることで有名です。公園内からスカイツリーがよく見える事も有り、今年は多くの人々で賑わったそうです。次回は南千住や東向島方向を見ていきます。