緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

12月の永田町:紀尾井坂(千代田区紀尾井町)を上ってJR四ツ谷駅前まで

2012年12月14日 14時59分22秒 | 皇居周辺・城西


千代田区紀尾井町の清水谷公園の脇から四谷方向に向かって伸びている「紀尾井坂」の坂下にやってきました。紀尾井坂を上り、上智大学の敷地の脇を通り抜けてJR四ツ谷駅まで散策を続けていきます。紀尾井坂は清水谷(清水谷公園)から西に上って喰違見附(くいちがいみつけ)に至る全長200メートルほどの区間で、「清水坂」とも呼ばれています。




江戸時代に坂の北側には尾張徳川家(現在は上智大学)、南側に紀州徳川家(現在は清水谷公園やグランドプリンスホテル赤坂)、彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の屋敷があったことから、一字ずつ取って紀尾井坂と呼ばれるようになったのです。




地名も坂の名前と同じように、この地にかつてあった紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷に由来しており(それぞれ紀州家、尾州家、井伊家と呼ばれた)、各家の文字を1文字ずつとって町名としました。これらの大名の城下町だった和歌山・名古屋・彦根の3都市をまとめて「紀尾井」と呼ぶこともあります。




紀尾井坂周辺はオフィスビル夜中低層マンションなどが密集していて、閑静な雰囲気の市街地となっています。




坂上には「ホテルニューオータニ本館」の建物が建っています。帝国ホテルやホテルオークラとともに、高級ホテル御三家の一つに数えられています。




坂上から紀尾井坂を撮影してみました。




紀尾井坂上からJR四ツ谷駅までの区間は、外濠の土手の上の桜並木道を散策していきます。とはいっても12月のこの時期は桜並木も枯れ木になっていましたが・・・。




桜並木の枝が切れている箇所から西側を見渡すと、江戸城時代の外濠跡地に造成されている上智大学の運動場の敷地が見えました。その奥には赤坂御用地の丘陵地帯の上に広がっている緑地帯が見えます。




また別の場所から外濠側を見渡してみると・・・。




赤坂御用地の敷地内に建てられている「赤坂迎賓館」の建物が見えました。この位置から見ると、迎賓館も標高が高い場所に建てられていることがわかりますね。




緑地帯の木々の切れ目からは新宿副都心の高層ビル群も少し見渡すことができました。




しばらく枯れ木となっている桜並木の中をひたすら歩いていきます・・・。




鉄道の列車が走る音が聞こえてきたので西側を見てみると、東京地下鉄丸の内線の四ツ谷駅の地上ホームが見えました。




ちょうど丸ノ内線の池袋方面行き列車が四ツ谷駅に停車していたところでした。丸ノ内線は、ここ四ツ谷駅や御茶ノ水、後楽園など地上に出てくる箇所が意外と多いのです。




四ツ谷駅の箇所でも、駅ホームはJR四ツ谷駅の施設をまたぐように建設されており、駅を出るとすぐにトンネル内に入る構造になっています。




ようやくJR四ツ谷駅前の繁華街のビル群が見えてきました・・・。土手の階段を下に降りて四ツ谷駅へ向かいます。




JR四ツ谷駅に到着しました。これで12月の永田町の散策は終わりです。




紀尾井坂下が地図の中心点となっています。

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12月の永田町:参議院通用門前から赤坂見附(弁慶橋)へ

2012年12月14日 11時43分55秒 | 皇居周辺・城西


参議院通用門前交差点から赤坂見附方向へ向かって散策を続けていきます。ちょうどこの交差点の真下には東京地下鉄有楽町線の永田町駅が地下に設置されています。前方の緩やかなカーブを抜けた先で国道246号線(青山通り)と合流します。




青山通りと合流する手前には「自由民主党本部」のビルが建っていました。テレビの全国ニュースなどで政治の話題が出てくるとこのビルが映されることが多かったですね。東京をよく散策する私でも、永田町や霞ヶ関というエリアは今まで散策したことがなかったのですごく新鮮な気持ちです。




国道246号線(青山通り)に沿って赤坂見附方向へ向かって散策を続けていきます。通りを挟んだ対岸は「千代田区の平河町二丁目」地区といいます。この地域は番町、麹町と並んで明治時代以降に大名屋敷や旗本屋敷といった武家屋敷跡に造成されたいわゆる「お屋敷町」です。




平河町地区には「砂防会館」、「都道府県会館」、「海運ビル」などオフィスビルや各種団体による会館が多く見られます。永田町や紀尾井町、麹町といった日本中枢の施設が密集している地域に囲まれているエリアなのです。




赤坂見附・弁慶濠へ向かって緩やかな下り坂となっている国道246号線(青山通り)。こうして見ると、永田町地区というのは皇居の内濠の低地と、外濠の低地の間の高台の地形になっていることがわかります。青山通りの上の高架橋は首都高速3号新宿線です。




「参議院議長公邸」の広大な敷地を左手に見ながら青山通りの緩やかな下り坂を散策していきます。この青山通りの坂の名前は「富士見坂」といいます。江戸時代はこの坂上から遥か遠くに富士山を眺めることができたのかもしれないですね。




しばらく緩やかな下り坂を歩いていると、解体工事中の赤坂プリンスホテルやホテルニューオータニのタワーが見えてきました。




振り返って永田町方向を振り返って撮影してみました。この平河町周辺のイチョウ並木の紅葉もピークを迎えている最中でした。




赤坂プリンスホテルの東側から北へ向かってまっすぐ伸びている「諏訪坂」です。この諏訪坂をまっすぐ北へ向かうと麹町三丁目地区へ進むことができます。この諏訪坂もイチョウ並木の紅葉がピークでした。




富士見坂の坂下、国道246号線(青山通り)と外堀通りが交差している「赤坂見附交差点」に到着しました。青山通りが高架橋となって外堀通りと立体交差しているその上に、首都高速3号新宿線の高架橋がアンダーパスしているという非常に複雑な風景が広がっています。




一つ上の写真と、この写真は青山通りに架かっている歩道橋の上から撮影したものです。




同じく歩道橋の上から撮影した「赤坂見附交差点」です。いまの東京都千代田区紀尾井町・平河町にあたる地に存在していた江戸城の「江戸城三十六見附」のひとつ、及び現在の赤坂見附の跡地や東京メトロ赤坂見附駅付近一帯を指す地名です。交差点の真下に東京地下鉄銀座線と丸の内線の赤坂見附駅が設置されています。




赤坂見附交差点で一番低い位置を過ぎた青山通りはその先で再び上り坂となっていきます。赤坂御用地や神宮外苑といった武蔵野台地の上の高台の中をまっすぐ通っていきます。




見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされています。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附(四谷)、市谷見附(市ヶ谷)などがあります。




歩道橋を渡り、弁慶濠に架橋されている弁慶橋へ向かいます。




江戸城の外濠の一つである「弁慶濠」に架橋されている「弁慶橋」にやってきました。この橋の北側は「千代田区の紀尾井町地区」となっています。この橋は江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が作った橋であることから、弁慶橋と名付けられたといわれています。



弁慶橋の上から元赤坂方向を撮影してみました。




千代田区紀尾井町のエリアを散策して紀尾井坂へ向かいます!!!




赤坂見附交差点が地図の中心点となっています。この後紀尾井町を抜けて紀尾井坂へ向かうか、それとも赤坂御用地に沿った紀の国坂へ向かうか迷ったのですが、紀尾井坂へ向かうことにしました。

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