
千代田区紀尾井町の清水谷公園の脇から四谷方向に向かって伸びている「紀尾井坂」の坂下にやってきました。紀尾井坂を上り、上智大学の敷地の脇を通り抜けてJR四ツ谷駅まで散策を続けていきます。紀尾井坂は清水谷(清水谷公園)から西に上って喰違見附(くいちがいみつけ)に至る全長200メートルほどの区間で、「清水坂」とも呼ばれています。

江戸時代に坂の北側には尾張徳川家(現在は上智大学)、南側に紀州徳川家(現在は清水谷公園やグランドプリンスホテル赤坂)、彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の屋敷があったことから、一字ずつ取って紀尾井坂と呼ばれるようになったのです。

地名も坂の名前と同じように、この地にかつてあった紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷に由来しており(それぞれ紀州家、尾州家、井伊家と呼ばれた)、各家の文字を1文字ずつとって町名としました。これらの大名の城下町だった和歌山・名古屋・彦根の3都市をまとめて「紀尾井」と呼ぶこともあります。

紀尾井坂周辺はオフィスビル夜中低層マンションなどが密集していて、閑静な雰囲気の市街地となっています。

坂上には「ホテルニューオータニ本館」の建物が建っています。帝国ホテルやホテルオークラとともに、高級ホテル御三家の一つに数えられています。

坂上から紀尾井坂を撮影してみました。

紀尾井坂上からJR四ツ谷駅までの区間は、外濠の土手の上の桜並木道を散策していきます。とはいっても12月のこの時期は桜並木も枯れ木になっていましたが・・・。

桜並木の枝が切れている箇所から西側を見渡すと、江戸城時代の外濠跡地に造成されている上智大学の運動場の敷地が見えました。その奥には赤坂御用地の丘陵地帯の上に広がっている緑地帯が見えます。

また別の場所から外濠側を見渡してみると・・・。

赤坂御用地の敷地内に建てられている「赤坂迎賓館」の建物が見えました。この位置から見ると、迎賓館も標高が高い場所に建てられていることがわかりますね。

緑地帯の木々の切れ目からは新宿副都心の高層ビル群も少し見渡すことができました。

しばらく枯れ木となっている桜並木の中をひたすら歩いていきます・・・。

鉄道の列車が走る音が聞こえてきたので西側を見てみると、東京地下鉄丸の内線の四ツ谷駅の地上ホームが見えました。

ちょうど丸ノ内線の池袋方面行き列車が四ツ谷駅に停車していたところでした。丸ノ内線は、ここ四ツ谷駅や御茶ノ水、後楽園など地上に出てくる箇所が意外と多いのです。

四ツ谷駅の箇所でも、駅ホームはJR四ツ谷駅の施設をまたぐように建設されており、駅を出るとすぐにトンネル内に入る構造になっています。

ようやくJR四ツ谷駅前の繁華街のビル群が見えてきました・・・。土手の階段を下に降りて四ツ谷駅へ向かいます。

JR四ツ谷駅に到着しました。これで12月の永田町の散策は終わりです。

紀尾井坂下が地図の中心点となっています。