
11月下旬の平日、東京都営地下鉄浅草線の三田駅にやってきました。これから三田丘陵と呼ばれている高台を通り抜けて元麻布の住宅地の中を散策していきたいと思います。これから散策する場所は港区内で最も複雑な地形が広がっている場所で有り、多くの坂を上り下りしていきます。

まずは三田駅前(実質的にはJR田町駅前)の「札の辻(ふだのつじ)交差点」から散策開始ですが、交差点に架かっている歩道橋の上から桜田通りを撮影すると、前方に東京タワーがきれいに写っていました。

桜田通りは国道1号線に指定されています。東京都心部と横浜を結んでいる幹線道路である「第一京浜・国道15号線」とはほぼ並行するルートを通っています。

「三田3丁目交差点」。この辺りはJR田町駅前のオフィス街の雰囲気が強いですが、すぐそばの高台に慶應義塾大学の三田キャンパスの広大な敷地が広がっています。

桜田通りの大通りに沿って中層マンションや雑居ビルなどが整然と建ち並んでました。

「三田丘陵」と呼ばれている丘陵地帯の高台の上には「慶應義塾大学三田キャンパス」の広大な敷地が広がっていて、桜田通りからも眺めることができました。

最寄りにあるJRの駅名は「田町」、都営地下鉄の駅名は「三田」ですが、この地域の正式名称は「港区の芝地区」といいます。慶應義塾大学が三田キャンパスと呼ばれていることから、周辺の広いエリアが通称として三田と呼ばれています。

「三田1丁目交差点」。この交差点を左へ曲がって三田丘陵を越えていきます。

港区三田二丁目の閑静な住宅街が広がっている中を西へ向かって散策していきます。住宅街の中には学校や各国大使館の敷地が点在しています。「三田丘陵」と呼ばれている台地の緩やか斜面を登っていきます。

地名は「御田八幡神社」の「御田」がいつしか「三田」になったのが由来となっています。古くは「御田」と呼ばれていたこの地が戦国時代の頃には「荏原郡三田郷」になり、江戸時代に「荏原郡三田村」に変更され、最終的に「三田」になったものです。

一説にはこの地に「屯田(みた)」や「御田八幡神社」の「神田(みた)」が広がっており、それが「三田」になったともいわれているそうです。東京都立三田高校の脇を通り抜けていきます。

前方に坂上が見えてくると、斜面が急になってきました。東京都心部にあるとは思えないほど過酷な地形です。

桜田通りの三田1丁目交差点から西へ伸びているこの坂は「綱の手引き坂」と呼ばれています。坂の名前の由来は平安時代の勇士源頼光四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)が幼少の砌に姥に手を引かれて行き来したという伝説によります。

坂上に到着しました。この坂は三田地区から元麻布方向への抜け道になっているからか、交通量が意外と多かったです。背後に見える建物は株式会社かんぽ生命保険東京サービスセンター(旧三田台郵便局)です。

坂上には説明柱が設置されていました。

坂上には「綱町三井倶楽部」の広大な敷地が広がっています。一般公開はされていないが三井グループ関係者の倶楽部として用いられていて、高台上に建築物が存在し、南側の斜面及び低地に庭園が広がる。敷地内に佐土原藩藩邸の長屋がそのまま現存しています。

次回の記事では三田丘陵の西側斜面「日向坂」を降りて二ノ橋を渡っていきます。

地図の中心点は綱の手引き坂の坂上で、この道路を西へまっすぐ進むと二ノ橋へ出ることができます。