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緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初冬の月島:佃大橋を渡って地下鉄新富町駅まで(2)

2012年12月11日 21時18分52秒 | 中央区全域・銀座


佃大橋の右岸側に広がっている「中央区の湊・入船地区」の市街地を散策して東京地下鉄有楽町線の新富町駅を目指します。快晴の青空の下に整然と建ち並んでいる中低層マンションやオフィスビル群を見ていると「大都会」である東京都心部の中を歩いているんだなと実感できます。




皇居(=江戸城)の東側、「城東地区」と呼ばれている標高5~10メートル前後の平坦な地形がどこまでも続いている地面の上に京都や大阪都心部のように碁盤目上の市街地が形成され、オフィス街や中低層マンションを中心とした住宅街が整然と広がっています。




同じ東京都心三区の中でも、皇居を中心にして同心円状に都市風景が広がっている千代田区、起伏に富んだ麻布台地の上に立体的でスタイリッシュな都市風景が続いている港区と比較すると、ここ中央区は均質的で統一感のある整然としていて完成度の高い町並みの風景を見渡すことができます。




佃大橋の上から撮影した大川端リバーシティの高層タワーマンション群です。中央区には隅田川や日本橋川、神田川など非常に多くの河川に恵まれている立地となっていて、「水の都」といっていい程です。




緑も個人的には中央区・千代田区・港区の都心三区の中で、中央区が一番気に入っています。やはり地形がどこまでも平坦であり、街並みが非常に整然としていて美しいことが大きな理由です。何気なく撮影した風景写真でさえも素晴らしいと思えてしまうくらいです。




佃大橋右岸側の歩行者用階段を下りて、隅田川の河岸の散策道を少し北へ歩いてみると大川端リバーシティのタワーマンション群を正面に捉えることができました。正面に写っているタワーマンションは「リバーポイントタワー」です。




ちょうど紅葉のピークとなっている石川島公園の緑地帯の奥に建っている「センチュリーパークタワー」をズームで撮影してみました。




再び佃大橋通りへ戻り、新富町方面へ散策を続けていきます。場所的には「中央区の湊三丁目」と「明石町地区」の境界線となっています。大通りに架かっている歩道橋の上から新富町方向を撮影してみました。この辺りも同じ中央区内の東銀座や築地地区と同じように中層マンションや事務所などが混在している地区となっています。




同じ歩道橋の上から佃大橋方向を振り返って撮影してみました。目の前には佃大橋へとつながっているアプローチ道路の高架橋が設置されています。このアプローチ道路はかなり勾配がきついらしく、東京マラソンのルートにもなっているそうですが難所として有名だそうです。




新富町方向をズームで撮影してみると旧築地川の「入船橋」跡地が小さく見えました。その脇に東京地下鉄有楽町線の新富町駅の地上出口が小さく写っているのがわかります。




「入船」の地名の由来は、町域の西側に入船川という名前の都市運河が流れていたからです。




歩道橋を降りて入船橋へ向かって散策を続けます。




佃大橋通りと新大橋通りが交差している「入船橋交差点」に到着しました。新大橋通りの地下には東京地下鉄日比谷線のトンネルが走っていますが、ここ入船橋には駅が存在しません。ここから日比谷線に乗るには、新大橋通りを南へ数百メートルほど離れた場所にある築地駅に向かうことになります。




築地川という名前の都市河川の上に架かっている「入船橋」ですが、築地川そのものは高度経済成長期に埋め立てらたので水面が存在せず、橋だけが何もない場所の上に架けられているだけの状況になっています。




入船橋交差点の脇に東京地下鉄有楽町線の新富町駅の地上出入り口が設置されています。これで初冬の月島の散策は終わりです。




地下鉄新富町駅で散策は終わりです。この場所から西側へ数百メートルも歩けば東銀座の市街地もすぐそばです。

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初冬の月島:佃大橋を渡って地下鉄新富町駅まで(1)

2012年12月11日 19時39分51秒 | 中央区全域・銀座


親月陸橋の高架橋に沿って歩き、佃大橋を目指します。現在緑が歩いてる場所はかつて運河だった場所であり、月島地区と佃地区の境界線だったのです。現在運河は埋め立てられて佃大橋通りの道路となっています。上の写真の「頭上注意」と書かれた地点に「佃橋」という名前の橋が運河に架橋されていたそうです。




江戸前の下町である佃地区を散策していくと、かつての船溜まりであった運河が見えてきました。運河の河岸には児童公園が整備されていて、ひっそりとした雰囲気に包まれていました。




運河の船溜まりの奥には佃一丁目の街並みと「大川端リバーシティ」の高層タワーマンション群が密集して立ち並んでいる光景を見渡すことができます。15年以上前にこの光景を初めて見たときは驚いたものですが、今では佃の街並みにうまく溶け込んでいると思います。




いつの間にか新しいタワーマンションが一棟増えていました。1999年に竣工した「センチュリーパークタワー」、高さは180メートルと大川端リバーシティのエリア内では一番高いタワーマンションです。




新月陸橋の歩行者用階段を上ると「佃大橋」の上に出ることができます。佃大橋を歩いて隅田川を渡り、地下鉄新富町駅へ向かいたいと思います。佃大橋は船の航行が多数ある隅田川に架橋されているので、かなり高い位置に架けられています。そのため橋の上からの眺望が素晴らしいです。




佃大橋の右岸側では隅田川の手前100メートルほどの位置から高架が始まり、左岸では佃・月島全幅にわたって高架(新月陸橋)のまま、朝潮運河に架かる朝潮大橋へと繋がっています。このため佃大橋周辺の道路は高低差が激しく、東京マラソンのルートにも指定されていますが難所であると言われています。




「佃」という地名の由来は、徳川家康が関東へ下降する折の1590年(天正18年)に摂津国佃村(現在の大阪府大阪市西淀川区佃)の漁夫33人が江戸に移り、1645年に元々あった名前のない砂州に百間四方の土砂を埋め立てて拡張し、築島して定住することとなり、この島を故郷にちなんで「佃嶋」と命名したとされています。




佃大橋の右岸側をズームで撮影してみると、中低層マンションが密集して立ち並んでいます。中央区の中でも人口が多いエリアとなっているのです。




水戸藩により創設された石川島造船所が1876年(明治9年)に民間に払い下げられ、それが1979(昭和54)年に操業停止するまで、旧来の佃島の部分を除いて佃の多くの部分はその敷地だったのです。その後は1986年(昭和61年)から、都心回帰の促進を図る目的で大規模住宅群「大川端リバーシティ21」の整備が開始されました。




佃大橋の上から隅田川の上流側を撮影してみると、日本橋川の支流である「亀島川」の合流点の水門が見えました。江戸時代の初期の頃はこの辺りまで東京湾だったと言われています。




ズームで撮影してみると、中央大橋の奥には東京スカイツリーがくっきりと写っていました。この日は本当に快晴の天気だった上に、空気も非常に綺麗だったので地上デジタル放送アンテナを搭載しているタワー頭頂部のゲイン塔の細部までくっきりと撮影することができました。




現在佃大橋が架橋されている場所には「佃の渡し」という名前の船の渡しが江戸時代に存在していました。はじめは佃島の漁民たちと湊町(湊)とを結ぶ私的な渡しでありました。佃島は漁村の他に藤の花の名所でもあったため、江戸期には不定期に渡船が運行されていたが、日常的に運行されることはなかったそうです。




戦後の高度経済成長期、佃地区の上流に平行している永代橋、下流の勝鬨橋の交通量の増加、および東京オリンピック開催に備えた関連道路の一部として、戦後初めて隅田川に架橋された橋として佃大橋は建設されました。




1961年(昭和36年)12月に着工し、1964年(昭和39年)8月27日に竣工した佃大橋は ブロック別に当時日本最大の海上クレーン船にて一括で組み上げるという、大ブロック工法の先駆けともなる画期的な橋でもあったのです。戦前に完成した勝どき橋や永代橋と比較するとデザイン的にもあまり話題にならないのですが意外と「凄い橋」でもあるのですね。




佃大橋の歩道部分は橋の両側でなくなっていて、階段を下りなければなりません。




佃大橋の先は「中央区の入船・湊地区」の中低層マンションやオフィス街の密集地の中を散策していきます。

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初冬の月島:清澄通りを歩いて初見橋交差点(地下鉄月島駅前)へ

2012年12月11日 17時32分21秒 | 中央区全域・銀座


勝どき駅前交差点から清澄通りを北へ向かって散策し、初見橋交差点を目指します。清澄通りは月島・勝どきの埋立地の中央をまっすぐ通過している大通りです。




中央区の勝どき地区と月島地区の間を流れている月島川を撮影してみました。この川に架橋されている清澄通りの月島橋から撮影しました。




月島橋を渡るとその先は「中央区の月島三丁目地区」となっています。中央区立月島小学校の脇を通り抜けていきます。月島地区の商店街となっている「月島西仲通り」は清澄通りの西側に並行して通っているのですが、清澄通り沿いにも地元の人たち向けの商店が多く建ち並んでいました。




中層マンションなどが整然と立ち並んでいて、通りも広々としてすごく綺麗な街で散策していて気分が良かったです。銀座の繁華街へも自転車で20分も掛からない場所ですから一度でいいから住んでみたいですね。10年ほど前までは地下鉄有楽町線しか鉄道が通っていなかったのですが、都営大江戸線が開通してから一気に便利な街へと変貌しています。




1892年(明治25年)の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき、東京湾から浚渫した土砂を利用して埋め立てられた、月島1号地(現在の月島一丁目から月島四丁目まで)として完成しました。月島2・3号地は勝どき、月島4号地は晴海の地名が付けられています。




月島の名前は東京湾内にあった月の岬という月見の名所から名付けられました。埋立当時の月島は富国強兵の国策に沿い重工業地帯とされ、鉄工所が多く造られました。工場、商店が多かったが、最近は高層マンションも増えてきています。




そろそろ東京地下鉄有楽町線・都営地下鉄大江戸線の月島駅が見えてくる頃かと思っていた矢先、清澄通り沿いに広大な高層タワーマンションの建設現場が現れました。月島地区も勝どき地区と同様に、タワーマンションが林立するエリアとなるのでしょうか。




「TIMELESS TOKYO PROJECT」という名前の53階建ての高層タワーマンションの建設予定地となっていて、2014年に竣工する予定となっています。この開発計画は「(仮称)中央区月島一丁目複合再開発計画」といいます。




もう既に建設予定地にはタワークレーンが一機組み立てられていて、工事が始まっている雰囲気でした。




古き良き江戸前の下町の町並みの中に高さ190メートルの高層タワーマンションが完成するわけですが、竣工したらどんな雰囲気になるのか気になるところです。既に建設現場の周辺には中高層マンションが何棟も立ち並んでおり、特に目新しさは感じませんでした。




工事用の仕切り板を左手に見ながら先へ進んでいくと・・・。




月島駅の入口前に到着しました。有楽町線に乗れば銀座一丁目や市ヶ谷方面へ、大江戸線に乗れば浜松町や六本木、両国方面へ向かうことができます。




清澄通りと佃大橋通り(東京都道473号新富晴海線)が交差している「初見橋交差点」が見えてきました。この交差点から北側が「中央区の佃地区」となっています。




初見橋交差点と、その上を通過している「親月陸橋」です。交差点の名前のとおり、かつてこの場所には運河が流れていて、「初見橋」という名前の橋が架橋されていたのです。その運河は現在埋め立てられており、東京都道473号新富晴海線のルートとなっています。




交差点を左へ曲がり、佃大橋へ向かいます。本当は月島駅で散策を終えようと思ったのですが、隅田川を渡って新富町まで歩いていきます!!!




月島の埋立地を南北に走っている清澄通りと佃大橋通りの交差点に地下鉄月島駅が設置されています。

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