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緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初冬の麻布台散策:ホテルオークラ本館前から虎ノ門交差点まで

2012年12月04日 18時29分37秒 | 城南・港区全域


各国大使館が集まっている麻布仙石山を北へ向かってしばらく歩いていると、「ホテルオークラ本館」の広大な敷地が見えてきました。手前にある建物は「大倉集古館」です。ホテルのチェックアウトの時間帯に重なったためか、タクシーが敷地から次々と出てくるのが見えました。




このホテルは大倉喜八郎の長男で大倉財閥の二代目である大倉喜七郎によって設立されました。大倉喜八郎といえばスーパーゼネコンの一つである大成建設の創始者であり、帝国ホテル、帝国劇場、大倉商事などを創設したことで有名です。戦後の公職追放によって華族の地位を奪われた喜七郎が最後の意地で作り上げたホテルであると言われています。




このホテルは麻布仙石山の高台の先端部に敷地が広がっていて、虎ノ門や霞ヶ関のビジネス街にほど近く、アメリカ大使館を始めとした世界各国の大使館の集まる麻布台の中にあります。日比谷にある帝国ホテル、赤坂見附にあるホテルニューオータニとともにホテル「御三家」と呼ばれています。




ホテルオークラの敷地は、霊南坂の道路を挟んで「駐日アメリカ合衆国大使館」の敷地が広がっています。後ほど霊南坂を下ってアメリカ大使館前へ向かいます。




ホテルオークラの建物を正面から撮影してみました。昭和37年(1962年)、高度成長期に開業した高級ホテルらしく、堂々とした雰囲気でした。




ホテルオークラと駐日アメリカ大使館の敷地の間を通っている「霊南坂」を歩いていきます。やはりアメリカ大使館のそばにあるという理由からか、制服警察官の人たちの姿が目立ちます。




霊南坂の坂下から撮影した「駐日アメリカ合衆国大使館」です。やはり日本にとっての最重要相手国らしく、赤坂一丁目の一等地に敷地を確保しています。霞ヶ関の中央省庁街にもほど近く、意外と閑静な雰囲気の方が強かったのが意外でした。




振り返ってホテルオークラの敷地を撮影してみました。ホテルの敷地そのものが斜面の中に広がっていますが、さらにこの場所から虎ノ門三丁目方向へ向かって「汐見坂」という名前の坂が伸びています。




アメリカ大使館前は本当に制服警察官の人たちの姿が目立ち、物々しい雰囲気に包まれていました。




アメリカ大使館前から外堀遠い方面へ向かって先へ進みます。アメリカ大使館の北側は純粋なオフィス街が広がっていました。正面に見えるビルは「公益財団法人日本財団」が入居している日本財団ビルです。




振り返って撮影してみると、アメリカ大使館は麻布台の丘陵地帯の急斜面の上の過酷な地形の上に建てられていることがわかります。虎ノ門や赤坂のオフィス街のすぐそばに急斜面地形が広がっていること自体が驚きですね。




日本財団ビルの脇を通り過ぎて外堀通りに出ることができます。江戸城の外堀を埋め立てられて造成された大通りに沿ってオフィスビルが林立しています。




振り返ってアメリカ大使館方向を撮影してみました。




外堀通り自体がカーブを描いたルートになっているので、大通りに沿って建てられているビル群がV字谷の渓谷のような景観になっています。大阪都心部の御堂筋のようにまっすぐに続いている大通りと比較すると異様な感じがしますね。




東京倶楽部ビルや霞ヶ関コモンゲートの高層ビル群を左手に眺めながら虎ノ門交差点へ向かって進みます。港区の虎ノ門地区は霞ヶ関の中央省庁街のすぐそばに位置しているのです。




外堀通りは明治維新の頃から戦後の高度経済成長の時期にかけて埋め立てが進められてきました。この先は「溜池」という地名で呼ばれていて、実際に江戸時代には外堀とつながった池が存在していました。明治時代の中期頃にこの周辺は完全に埋め立てが進められたのです。




外堀を埋め立てているので、この外堀通り周辺は一番標高が低いのです。




外堀通りと桜田通りが交差している「虎ノ門交差点」に到着しました。この交差点の真下に東京地下鉄銀座線の虎ノ門駅が設置されていて、奥には新橋や汐留シオサイトの高層ビル群を見通すことができます。これで初冬の麻布台散策は終わりです。




アメリカ大使館がある場所は虎ノ門地区ではなく、赤坂一丁目地区なのです。

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