緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

真夏の皇居東御苑:梅林坂を通り抜けて平川門、地下鉄竹橋駅前へ PART1

2013年09月09日 11時37分09秒 | 皇居周辺・城西


二の丸庭園から皇居東御苑の北東側の入り口である「平川門」へ向かって歩いていきます。途中の散策道脇には「都道府県の木」が植えられています。日本全国47都道府県を代表する木が1本ずつ植えられていて。それぞれの木のそばには説明板が設置されています。




都道府県の木のエリアの隣に建っているのが「諏訪の茶屋」の建物です。江戸時代には江戸城の敷地内一帯にあったのですが、この建物は明治45年に再建されたものです。




本丸跡地の高台広場の丘陵地帯と石垣を左手に眺めながら、皇居東御苑の敷地の歩行等側へ向かって散策を続けていきます。この界隈は人通りはほとんどありませんでした。




都道府県の森の全景を撮影しました。1968年(昭和43年)の皇居東御苑の公開に際し、都道府県から寄贈された各「都道府県の木」が植えらています。




ちなみに沖縄県の木は、沖縄が日本本土に復帰した1972年(昭和47年)に植樹されました。個性的な木々が多い中で、宮崎県の「フェニックスの木」の存在感が目立っていました。




二の丸庭園側から平川門方向へ歩いて行くと緩やかな坂道が見えてきました。この坂の名前を「梅林坂」と言いますが、その名の通り3月下旬ころの季節になるときれいな白梅や紅梅が坂周辺に咲き乱れることになります。




徳川家康が江戸時代初期に江戸に入るずっと以前の文明10年(1478年)に太田道灌が菅原道真を祀り、梅樹数百株を植えたのでこの名があるといわれています。




坂周辺の傾斜地に数多くの白梅や紅梅の木々が植えられていて、梅の花が咲く早春の季節になると数多くの人々で坂周辺がにぎわうことになります。




8月下旬現在の白梅や紅梅の木々は、きれいな緑に覆われている状況でした。




梅林坂の坂下に向かって歩いて行くと、そのまま平川門へ向かうことができます。石垣の切り通し地形があり、ここも江戸城の門跡地であることがわかります。




門の跡地を通り抜けて道なりに進んでいきます。周囲にはセミの鳴き声だけが響き渡っていて、それ以外はひっそりとした雰囲気に包まれていました。




鬱蒼としている木々に囲まれているのでわかりにくいですが、この散策道は江戸城の天神濠と平川濠に囲まれている土橋のような地形の上にあるのです。




平川門へ向かって緩やかな下り坂が続きます。ここにも門の跡地があり、枡形の地形が成立していたのではないかと思われます。




坂道が終わり、3か所目の門跡地が見えてきました。非常に江戸城防衛のための施設が多い印象を受けますが、江戸時代当時の江戸城北側の北関東や東北地方は敵が多い場所だったらしいので、その意味合いが強いのかもしれません。




管理事務所の建物が見えてきました。事務所の係りの方に訪問者カードを返却して皇居東御苑から退出することになります。奥に見えるのが「皇居東御苑・平川渡櫓」です。



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真夏の皇居東御苑:真夏の季節の二の丸庭園内を散策する PART2

2013年09月07日 12時48分27秒 | 皇居周辺・城西


二の丸庭園の中央部の池の周囲に張り巡らされている散策道を歩いていきます。「池泉回遊式庭園」の日本庭園なので、歩くごとに庭園内の風景が変わっていくのを楽しむことが出来ます。




二の丸庭園の大手町側の斜面には岩山と滝が造営されていて、滝の水は手前側の池に流れ込んでいます。庭園の周囲には滝の流れ落ちる水の音だけが響き渡っていました。




池の周囲を歩いて、アーチの木橋の上にやってきました。この木橋と散策道によって、二の丸庭園の池が二つに分割されています。橋の周辺では大きな鯉たちが泳いでいました。




北側の池には雪見灯篭や洲浜が整備されています。やはり真夏の季節だからなのか、若干池の水量が少ないように感じました。今年の真冬の時期に散策した時は、もっと水量が多かったと思います。




画像正面の、観光客の男性が座ってくつろいでいる場所の後ろ側に岩山と滝が設置されています。周囲の木々の陰になってしまっているので、はっきりとは見えにくいですね。




池の中にはアサザやヒツジグサ、コウホネなどの水生植物が生息しているほか、前述の鯉や亀などの生物も泳いでいたりします。




二の丸庭園の敷地の西側(本丸高台広場側)に広がっている雑木林を撮影しました。江戸時代はこの雑木林が広がっている場所に二の丸御殿の建物が建てられていました。




池の周囲には、皇居前広場で見かけるような黒松の木々が数多く植えられています。ちょうど太陽の光が真上から照りつけてくるので、綺麗な緑色に光り輝いていました。




江戸城・二の丸庭園を造営したのは江戸時代の造営師である小堀遠州です。三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園だったのですが、長い年月の間にたびたび火災で焼失しました。




明治以降は荒廃していた状況でした。現在の回遊式の庭園は1968年(昭和43年)の皇居東御苑の公開にあたり、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。




二の丸庭園を取り囲むように植えられている木々は非常に緑の密度が高いので、まるで庭園の周囲が原生林に覆われているように見えます。




岩場や滝が設置されている北側の池の全景を撮影しました。池の背後に植えられている木々の緑が、まるで壁のように迫ってくる感じに見えます。




平坦な地形の中に造営されているイメージの強い二の丸庭園ですが、よく見ると庭園の北側は緩やかな斜面となっていて意外と起伏のある場所であることが解ります。




池の周囲には芝生広場も整備されていました。散策している時はまったく気がつかなかったのですが、後日写真を眺めている時に発見しました。




庭園北側の緩やかな斜面の上から見下ろす要領で撮影しました。当たり前の話かもしれませんが、やはり池の水面のある場所が一番標高が低い場所になっているのですね。




二の丸庭園を後にし、皇居東御苑の北側の入り口である平川門・パレスサイドビル前へ向かいます。



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真夏の皇居東御苑:真夏の季節の二の丸庭園内を散策する PART1

2013年09月06日 11時38分53秒 | 皇居周辺・城西


標高が高い高台広場の上に構築されている本丸に対して、低地に造られている「二の丸」は将軍の別邸やお世継ぎの御殿が建てられていた場所です。御茶屋や泉水も造られていましたが、基本的には本丸御殿を簡略化して造られていました。




二の丸の御殿は現在の「二の丸雑木林」の広がっている場所に建てられており、現存してはいません。そして建物の前に広がっている「二の丸庭園」は現在も整備されています。




現在は枯れ草状態となっている花菖蒲園越しに二の丸庭園を撮影してみました。花菖蒲は5~7月頃に咲くので、8月現在では眺めることはできなくなっています。




花菖蒲園の奥には二の丸庭園の中核をなしている池の水面が広がっていて、その池を取り囲むように散策道が整備されています。




花菖蒲園を取り囲むように掘られているせせらぎですが、透明な水が雑木林方向から流れてきて、二の丸庭園の池内に流入していきます。




二の丸雑木林から流れてくる小川のせせらぎの水を菖蒲園内に引き込むこともできる構造になっていて、せせらぎの護岸には簡易的な水門も何箇所か設置されています。




二の丸の「池泉回遊式庭園」の全景を撮影してみました。庭園の中央には周囲3か所の水源から流れ込んでくる池が設置されていて、その周囲に散策道や木々が整備されています。




二の丸雑木林から庭園の池に流れ込んでいる小川のせせらぎの上に架橋されている木橋が設置されていました。木橋の上から二の丸庭園を撮影してみます。




せせらぎ上の木橋から二の丸庭園を撮影してみました。正面に広がっている濃い緑の木々の背後には宮内庁病院や皇宮警察宿舎の建物の敷地となっています。




そして借景庭園の要領で、大手町の高層ビル群が二の丸庭園の背後に写っているのが見えます。大手町地区の北端部に近い場所に林立している高層ビル群を眺めることが出来ます。




二の丸庭園の池に流れ込んでいるせせらぎを真上から撮影しました。真夏の季節で最近の東京都心部脳量も減ってはいましたが、水量も多かったです。




江戸城の本丸の高台広場や天守跡地周辺はこの日も多くの観光客の人たちで賑わっていましたが、この二の丸庭園周辺はほとんど人通りがありませんでした。




庭園の池は大きく二つに分割されていて、その間をアーチ橋と散策道が通っています。北側の池には岩山と滝が設置されているので見に行きましょう。




濃い緑の木々に覆われているので判りにくいですが、二の丸庭園の敷地の東側(大手町側)には岩山や石垣などによって築堤のような地形が整備されているのです。




池の周囲に整備されている散策道を歩いていきます。散策道には展望所やベンチなども設置されているのですが、この日は誰もいませんでした。




アサザやヒツジグサ、コウホネなどの水生植物が数多く生息している二の丸庭園の水面には、庭園内に植えられている木々や青空が綺麗に写り込んでいました。



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真夏の皇居東御苑:緑に覆われている自然林を通り抜けて、二の丸庭園へ

2013年09月05日 17時44分37秒 | 皇居周辺・城西


汐見坂から撮影した「二の丸雑木林」です。散策道が原生林の中を伸びていて、この散策道を歩いていくと「二の丸庭園」へ出ることが出来ます。原生林周辺は人通りが全くと言っていいほどありませんでした。




武蔵野台地の風景を代表する雑木林を再現して造営されている「二の丸雑木林」。コナラやクヌギなどの落葉樹の林が保たれ、チゴユリなどの春植物(樹木の葉が開く前の林内が明るいうちに葉を広げ、花を咲かせる植物)をはじめ、多様な動植物が生息・生育できる林となっています。




振り返って汐見坂とその両側に広がっている巨大な石垣を撮影してみました。この石垣の上面部分が本丸跡地の高台広場の地面と同じ標高高さとなっています。




今年の真冬の時期に訪れた時は原生林全体が枯れ木状態だったので、この散策道から正面に広がっている大手町の高層ビル群を眺めることが出来たのですが、現在だと濃い緑に覆われています。




この雑木林は昭和天皇のご発意によって、武蔵野の面影を持つ樹林として1982年(昭和57年)から1985年(昭和60)年にかけて整備されたものです。




真夏の強烈な太陽光が照りつけている東京都心部ですが、この雑木林の中では木陰の中を散策することが出来ます。




雑木林の中で形成されている「生物の多種多様性」を維持するという観点から、散策者が遊歩道内から自然林へ入ることは禁止されています。




木陰が出来ている散策道の中をサクサク歩いて二の丸庭園を目指しますが、この散策道は至る場所でカーブしていたり分岐していたりします。




昭和天皇の意向によって原生林が整備される以前は、この場所には広大な芝生が整備されていたそうです。視界が開けてきました…。




二の丸原生林の東側に広がっている「二の丸庭園」に出ることが出来ました。庭園周辺にも数多くの木々が植えられていて、色鮮やかな濃い緑色に光り輝いていました。




30度前後の真夏日の中の散策だったため人通りもほとんどなく、閑散とした雰囲気に包まれていました。周辺はセミの鳴き声だけが響き渡っていました。




二の丸庭園内を歩いていると物凄く目立つのが正面に写っている「日本経済新聞社本社ビル」と「経団連ビル」の二つの高層ビルです。この高層ビル群がある意味「借景庭園」の役割を果たしているのかもしれませんね。




完成間際の「(仮称)読売新聞東京本社ビル」もこれからは、この借景庭園の仲間入りとなることでしょう。大手町地区の取り壊しと高層化のための再開発工事は今後も続きますから、10年後には一体どんな風景になっているのやらです。




二の丸庭園の一角には「菖蒲園」が整備されていて、5~7月にかけて綺麗な花菖蒲を鑑賞することが出来ます。8月下旬ですと枯れかけている菖蒲を眺めることが出来ます。




菖蒲園の周囲には丸太や石で護岸を整備しているせせらぎが造られていて、綺麗な水が流れています。二の丸庭園の中での見どころの一つだと思います。




花菖蒲の花壇とせせらぎの間には、簡易的な水門まで設けられていたりします。次回の記事では二の丸庭園の池の周囲を散策していきます。



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真夏の皇居東御苑:高台広場を通り抜けて、汐見坂へ

2013年09月04日 11時44分02秒 | 皇居周辺・城西


江戸城・本丸天守の跡地に整備されている展望台へ上っていきます。加賀藩前田家の普請によって完成した高さ18メートルの花崗岩でできた天守台の石垣の脇を通り抜けていきます。




展望台から北側の北の丸公園の緑地帯を撮影しました。8月下旬の時期の散策だったので、北の丸公園内は鬱蒼とした濃い緑で覆われています。緑地帯の中心には「日本武道館」の建物の屋根が突き出ているのが見えますね。




北の丸公園の緑地帯の中の日本武道館の屋根をズームで撮影しました。その背後にはJR飯田橋駅周辺で再開発工事中の高層ビル群が写っているのが見えます。




天守跡地の展望台から振り返って本丸跡地の高台広場と、丸の内の高層ビル群の全景を撮影しました。この展望台の高さは標高レベルで約35メートル程です。




JR東京駅周辺の丸の内地区と、丸の内の北側の大手町地区の二つの高層ビル群はこうして見てみると、一体化されて一つの巨大な高層ビル街として形成されています。




丸の内の高層ビル群の周辺には日比谷公園、皇居前広場、そしてこの皇居東御苑と性格の異なる3つの緑地帯や公園が整備されていますが、3か所から眺める丸の内の高層ビル群の雰囲気はどれも全く違って見えるのです。




丸の内の高層ビル群の南側一角をズームで撮影しました。2002年に建て替えられた丸の内ビル、東京中央郵便局を擁するJPタワー、日本一の総合商社である三菱商事の本社機能を有する丸の内パークタワーです。




天守跡地の脇に建っている建物は「桃華楽堂(とうかがくどう)」と言います。昭和41年2月に完成し収容人員は200名の音楽堂で、音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう)さまの還暦記念として建設されました。




高台広場の脇を通り抜けて「二の丸庭園」へ向かいます。高台広場から低地に整備されている二の丸庭園へは「汐見坂」と呼ばれる急坂でアプローチすることになります。




天守台跡地の置くにも散策道は続いていて、この道を道なりに進むと「北詰橋門」と言う名前の江戸城の門に出ることが出来ます。皇居東御苑を抜けて北の丸公園方向へ進む際にはこの門を利用するのが便利です。




高台広場から汐見坂を目指して木々が鬱蒼と生い茂っている散策道の中を歩いていきます。巨大な石垣に囲まれている散策道を道なりに沿って歩いていくと…。




本丸の高台広場から二歩丸庭園方向へ降りることが出来る「汐見坂」に出ることが出来ます。視界がパッと開けて、坂上から眺めていると展望台の上から見渡している感じでした。




坂下には「二の丸庭園」が整備されている広大な原生林が広がっているのが見えます。坂を下ってこの原生林の中を歩いていきます。そして正面には大手町の高層ビル群も広がっているのが見えます。




「汐見坂」は本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。江戸時代以前は新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができました。現在の丸の内の高層ビル群や東京駅がある場所のことです。




「汐見坂」と言えば、千代田区霞が関の中央省庁街の中にも同名の坂が存在します。あちらの「汐見坂」も江戸時代以前の日比谷入江を坂上から見下ろすことが出来たことから名付けられたそうです。




以前に二の丸庭園を訪れたのは今年の真冬の時期だったので、原生林全体が枯れ木状態だったのですが、8月下旬の時期の散策ですと濃い緑に覆われています。この原生林の中を散策して二の丸庭園へ向かいます。



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