二の丸庭園から皇居東御苑の北東側の入り口である「平川門」へ向かって歩いていきます。途中の散策道脇には「都道府県の木」が植えられています。日本全国47都道府県を代表する木が1本ずつ植えられていて。それぞれの木のそばには説明板が設置されています。
都道府県の木のエリアの隣に建っているのが「諏訪の茶屋」の建物です。江戸時代には江戸城の敷地内一帯にあったのですが、この建物は明治45年に再建されたものです。
本丸跡地の高台広場の丘陵地帯と石垣を左手に眺めながら、皇居東御苑の敷地の歩行等側へ向かって散策を続けていきます。この界隈は人通りはほとんどありませんでした。
都道府県の森の全景を撮影しました。1968年(昭和43年)の皇居東御苑の公開に際し、都道府県から寄贈された各「都道府県の木」が植えらています。
ちなみに沖縄県の木は、沖縄が日本本土に復帰した1972年(昭和47年)に植樹されました。個性的な木々が多い中で、宮崎県の「フェニックスの木」の存在感が目立っていました。
二の丸庭園側から平川門方向へ歩いて行くと緩やかな坂道が見えてきました。この坂の名前を「梅林坂」と言いますが、その名の通り3月下旬ころの季節になるときれいな白梅や紅梅が坂周辺に咲き乱れることになります。
徳川家康が江戸時代初期に江戸に入るずっと以前の文明10年(1478年)に太田道灌が菅原道真を祀り、梅樹数百株を植えたのでこの名があるといわれています。
坂周辺の傾斜地に数多くの白梅や紅梅の木々が植えられていて、梅の花が咲く早春の季節になると数多くの人々で坂周辺がにぎわうことになります。
8月下旬現在の白梅や紅梅の木々は、きれいな緑に覆われている状況でした。
梅林坂の坂下に向かって歩いて行くと、そのまま平川門へ向かうことができます。石垣の切り通し地形があり、ここも江戸城の門跡地であることがわかります。
門の跡地を通り抜けて道なりに進んでいきます。周囲にはセミの鳴き声だけが響き渡っていて、それ以外はひっそりとした雰囲気に包まれていました。
鬱蒼としている木々に囲まれているのでわかりにくいですが、この散策道は江戸城の天神濠と平川濠に囲まれている土橋のような地形の上にあるのです。
平川門へ向かって緩やかな下り坂が続きます。ここにも門の跡地があり、枡形の地形が成立していたのではないかと思われます。
坂道が終わり、3か所目の門跡地が見えてきました。非常に江戸城防衛のための施設が多い印象を受けますが、江戸時代当時の江戸城北側の北関東や東北地方は敵が多い場所だったらしいので、その意味合いが強いのかもしれません。
管理事務所の建物が見えてきました。事務所の係りの方に訪問者カードを返却して皇居東御苑から退出することになります。奥に見えるのが「皇居東御苑・平川渡櫓」です。