暮れから正月3ガ日 食べてばかりで運動不足
これはいかん。今日は歩くぞ! そう思って声をかけたら娘と息子も行くという。
犬も一緒(ビーグル犬 名はベーグル)
家から普通に歩いて1時間で頂上に到着の予定だが・・運動不足の2人と町犬ベーグル歩けるかな?
午後1:40出発
「前に言ってた
「陣屋跡」に行ってみようか」と、早速提案が・・
池や濠・草むらのある不思議な場所だったらしく、息子は小学生の頃よく探検に来ていたという。
今は地区公民館と陣屋会館が建っている。私は公民館には何回も来ているが、前はどんな所だったか知らない。
陣屋池跡・多賀氏陣屋跡の説明板と石碑が建っていた。
「多賀氏」は元近江の豪族で後に豊臣氏より領地を得、ここに拠点となる陣屋を築いたという。
地元の歴史は意外と聞く機会もない。帰ってから古い地図を持ちだして説明してくれた。
曽我の古い町を抜けJR桜井線の下をくぐると、
「
さくら川」「高取川」の合流点 さくら川沿いに歩くとだんだん畝傍山も近くなり、手前を高田バイパスが横切る。東向き車線は数珠つなぎの車の列。
バイパスを超えた所に
「堂ノ井戸跡」があった。
「高田バイパス工事に伴い渇水し埋める 平成13年3月吉日」と書いてあった。
農業試験場を通り抜け、出ようとした時、サクラの木越しの向こうに小さい橋が見えた。あれは何や? さくら川の土手を橋の方へ。もうひとつの出口に架かる橋。かわいい~!
みのり橋・昭和9年8月架設 と書いてあった。こんな橋は見たことがない。
すぐ横は神宮の森、少し西へ行ったところから森に入る。雰囲気がいいから好きな道だそうだ。
ほとんど人通りはないが、初詣帰りらしい家族が1組向こうから来られた。横にはさくら川が深い谷状に流れ、向こうには渡ったことのあるさくら橋(写真右)が見えた。
なんとなく道がついている雑木の茂る森に入る。
この辺には昔の
集落跡で、大正時代にはおよそ200戸が生活していたとか。
用水路跡・井戸跡など痕跡が残る。
橿原神宮整備の時に強制的に立ちのかされたとか怖れをなして自主的に立ちのいたとかいう集落の跡らしい。その後に土を入れ木を植えたのだという。
少し登ったところにあったのは何の施設跡? 中には水が溜まっていた。気味悪い。
右)なお登ると「宮」と書いた石柱が間隔をおいて立っていた。
囲まれた所が神武天皇陵の候補地の1つらしい。(丸山)
さらに歩くと右側に木の杭が並ぶ直登の急な落葉道があった。
「こんな坂上られへん」と坂道苦手の娘。「ゆっくり登ったらいいやん」
ここを登ったら頂上かと思うぐらいの直登だったが、だいぶ登ったところでで杭もなくなり、登山道に合流。
岩が多いちょっときつい道を登るとやっと畝傍山頂上(大和三山の一つ 標高198.8m)畝火山口神社跡がある(これも橿原神宮関連で山を降りたとか) ベーグルもよく登った。
西 金剛山・葛城山から山々が続く。
北を眺めれば、一番奥に見えるのは比叡山で手前に奈良の山が見えた。
下りは楽な道で
畝火山口神社へ。
帰り道「気になっている高取川と曽我川の合流の三角部へ行ってみよう」というのでついて行く。
一帯は畑。木立も残る。畑の道を抜けて三角部から外へ出る。もう暗い。
高取川(左)・曽我川(右)の合流点 曽我川はずっと下流で大和川に流れ込む。
その後 式内社・天高市神社を通って我が家へ着いたのは夕方5:50
2・3時間のつもりが4時間のミステリーハイキングとなったが、知らないところへ連れて行ってもらっておもしろかった。
さあ、日頃から運動不足の娘や息子・ベーグルは明日どうなってるかな?