どんづる峯は行ったことがあるが、下田駅からのコースは初めて。
国道を外れてしばらく行くと山に向かう道になる。
休耕田では特定外来種のナルトサワギクが固まって咲いていた。
道沿いにあった一本松阿弥陀如来石仏 凝灰岩をくりぬいて如来様が彫られている。
二上山の紅葉が迫ってくる。 両側の池に水鳥はまったくいない。
危うく行き過ぎそうになった 専称寺 枝垂れ桜が有名(過去のブログに記事あり。下記参照) 右)山裾にミツバチの巣箱がいくつか並んでいた。
和歌山でこれと似たような「ごうら」と呼ばれる巣箱を見たことがある。
空洞の空いた古い大木の天井を塞いだ形だ。ここのは木をくりぬいてあるのかもしれない。
巣箱の種類もたくさんあるようで、気に入らないと一旦入っても逃げてしまうという。
ニホンミツバチとセイヨウミツバチでも好みが違うようだ。
トイレを借りた穴虫峠のコンビニ横に万葉歌碑があった。
「大坂を 吾が越え来れば 二上の もみぢ葉流る 時雨降りつつ」(巻十、一八五)」実際には万葉仮名で表記
古くからこの穴虫峠は奈良と大阪を結ぶ峠道だったらしい。季節はちょうど今頃。
今は車道になっている峠道は昔はどんな様子だったのかなと思いをはせてみる。
右)どんづる峯の近くに今まで気がつかなかった「太子道と地蔵磨崖仏」の標識があった。
磨崖仏は山腹にあるらしいが登り道はなく、下の道から山の中のそれらしき岩(頭部分)を見た。
太子道というと一般的には斑鳩の宮から飛鳥への「筋かい道」を思うが、ここは太子が斑鳩の宮で亡くなられ近つ飛鳥の磯長へご遺体を運んだ葬送の道だそうだ。この道は古代の大坂道らしい。
どんづる峯への登り口 どんづる峯から紅葉越しに見える山は、左から二上山雄岳・雌岳・岩橋山・葛城山と教えてもらった。
どんづる峯は1600万年?ほど前、二上火山活動でできた岩屑が水底で凝灰岩となり、その後隆起風化などで大畳を連ねたような奇岩になったという。
その奇岩の写真を撮るのをうっかり。(過去のブログに記事あり。下記参照)
お昼の時間に「峠の乙女」というお話を読んでくださった。
「皇子だった履中天皇が後継ぎ争いで逃げる途中、穴虫峠付近で不思議なおとめに回り道を教えられ危機を逃れ、後に稚桜の宮(桜井 磐余)で即位された。後おとめを探して穴虫峠で見つけられ、礼を言うと鶴の姿で舞い立った。」という、どんづる峯の名前の由来の「ツルがたむろしている姿」に通じるお話だ。古事記にも記術があるらしい。
帰り道は穴虫から二上駅を通り、逢阪にある「大坂山口神社」へ。(穴虫にも同名の神社があるらしい)
日本書紀にも記述があるという大坂道。大坂神社は「西の守り神」として祀られたとか。(東の守り神は榛原 墨坂神社) 右)葉を落としたムクノキ が枝いっぱいに実をつけていた。
説明板では本殿と拝殿の間には樹齢千数百年をいう「白檮(はくとう)の大樹」があるとのこと。
「白檮」ってシラカシ? 調べてみると「カシ」らしい。気になったが見えなかった。
その後、二上山博物館で解散となり、見学して帰った。
専称寺の満開の桜はh23.4.3のブログ。どんづる峯はh22.11.25 11.29 h23.4.30のブログに記事あり。
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国道を外れてしばらく行くと山に向かう道になる。
休耕田では特定外来種のナルトサワギクが固まって咲いていた。
道沿いにあった一本松阿弥陀如来石仏 凝灰岩をくりぬいて如来様が彫られている。
二上山の紅葉が迫ってくる。 両側の池に水鳥はまったくいない。
危うく行き過ぎそうになった 専称寺 枝垂れ桜が有名(過去のブログに記事あり。下記参照) 右)山裾にミツバチの巣箱がいくつか並んでいた。
和歌山でこれと似たような「ごうら」と呼ばれる巣箱を見たことがある。
空洞の空いた古い大木の天井を塞いだ形だ。ここのは木をくりぬいてあるのかもしれない。
巣箱の種類もたくさんあるようで、気に入らないと一旦入っても逃げてしまうという。
ニホンミツバチとセイヨウミツバチでも好みが違うようだ。
トイレを借りた穴虫峠のコンビニ横に万葉歌碑があった。
「大坂を 吾が越え来れば 二上の もみぢ葉流る 時雨降りつつ」(巻十、一八五)」実際には万葉仮名で表記
古くからこの穴虫峠は奈良と大阪を結ぶ峠道だったらしい。季節はちょうど今頃。
今は車道になっている峠道は昔はどんな様子だったのかなと思いをはせてみる。
右)どんづる峯の近くに今まで気がつかなかった「太子道と地蔵磨崖仏」の標識があった。
磨崖仏は山腹にあるらしいが登り道はなく、下の道から山の中のそれらしき岩(頭部分)を見た。
太子道というと一般的には斑鳩の宮から飛鳥への「筋かい道」を思うが、ここは太子が斑鳩の宮で亡くなられ近つ飛鳥の磯長へご遺体を運んだ葬送の道だそうだ。この道は古代の大坂道らしい。
どんづる峯への登り口 どんづる峯から紅葉越しに見える山は、左から二上山雄岳・雌岳・岩橋山・葛城山と教えてもらった。
どんづる峯は1600万年?ほど前、二上火山活動でできた岩屑が水底で凝灰岩となり、その後隆起風化などで大畳を連ねたような奇岩になったという。
その奇岩の写真を撮るのをうっかり。(過去のブログに記事あり。下記参照)
お昼の時間に「峠の乙女」というお話を読んでくださった。
「皇子だった履中天皇が後継ぎ争いで逃げる途中、穴虫峠付近で不思議なおとめに回り道を教えられ危機を逃れ、後に稚桜の宮(桜井 磐余)で即位された。後おとめを探して穴虫峠で見つけられ、礼を言うと鶴の姿で舞い立った。」という、どんづる峯の名前の由来の「ツルがたむろしている姿」に通じるお話だ。古事記にも記術があるらしい。
帰り道は穴虫から二上駅を通り、逢阪にある「大坂山口神社」へ。(穴虫にも同名の神社があるらしい)
日本書紀にも記述があるという大坂道。大坂神社は「西の守り神」として祀られたとか。(東の守り神は榛原 墨坂神社) 右)葉を落としたムクノキ が枝いっぱいに実をつけていた。
説明板では本殿と拝殿の間には樹齢千数百年をいう「白檮(はくとう)の大樹」があるとのこと。
「白檮」ってシラカシ? 調べてみると「カシ」らしい。気になったが見えなかった。
その後、二上山博物館で解散となり、見学して帰った。
専称寺の満開の桜はh23.4.3のブログ。どんづる峯はh22.11.25 11.29 h23.4.30のブログに記事あり。
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