今日は不注意の日だった。
2つは挽回したが、とどめは写真を消してしまったこと。 がっくり。
榛原の隠れ寺を巡る。
戒長寺
用明天皇の病気平癒を願って聖徳太子建立といわれるが 創建年代ははっきりしないらしい。
階段を上がった所にある鐘楼
梵鐘は表面に12神将を鋳出した珍しいもので、県の重要文化財。
江戸時代 正応4年(1291年)の名があるらしい。
ご住職さまがちらちら腕時計を見ておられると思ったら(何時だったのか)鐘を撞いてくださった。
ごぉ~ん お腹に響く音。音が重ならないように付くのは難しそう。
この後、堂内を案内していただいた。
堂内の暗闇にうっすらと見えるご本尊の薬師如来座像は県指定文化財(舟形の光背は年代が違うらしい)脇侍の日光 月光菩薩 他・・
裏の方にも 平安後期に造られたという薬師如来など仏像があった。薄暗い。
涅槃図や軸などもあったが、仏像関係も疎く、説明の言葉に迷っている内にお話が進み・・
秘仏でなかなか見る機会がないのに本当にもったいないことだった。
午後は
山部赤人の墓
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」の歌碑がある。
これは「天地の分れし時ゆ神さびて・・」という長歌に対する反歌だとか。
講師先生、すらすらと・・ すごい。
富士と大和富士。そばに大和富士(額井岳)があることから「戒場の人たちは山部赤人が大和富士に眠ると信じて疑わない・・」というような看板があった。
そばの五輪塔は赤人とは関係がないらしい。
細い山道を下る。
西方寺
あまり知られていないらしい素朴な神社だったが、薬師如来は平成26年県の重文に指定されたとのこと。
鎌倉時代 弘安元年(1278)の体内文書が出てきたという。
説明板にあった「鰐口」はなさそうだった。帰って調べたら、奈良国立博物館に寄托とのことだ。
雨が本降りになってきた。少し残して今日はここまでとなり、バス停へと急ぐ。
駅まで戻った頃、雨が小やみになったので、希望者が計画にあった後2か所を廻ることになった。
椋下神社(むくもとじんじゃ)
祭神は 神武東征に関わる高倉下命(たかくらじのみこと)
延喜式内社で福地の氏神様 秋祭りが有名らしい。
あぶらや
伊勢街道とあを越え道の交差点にある。
道標 あぶらや(写真は以前に撮影)
墨跡美しい宿帳や覚書のような帳簿も残っている。
2階にはお膳の並ぶ座敷があった。
お伊勢参りの賑わいはどんなだっただろうか。
2つは挽回したが、とどめは写真を消してしまったこと。 がっくり。
榛原の隠れ寺を巡る。
戒長寺
用明天皇の病気平癒を願って聖徳太子建立といわれるが 創建年代ははっきりしないらしい。
階段を上がった所にある鐘楼
梵鐘は表面に12神将を鋳出した珍しいもので、県の重要文化財。
江戸時代 正応4年(1291年)の名があるらしい。
ご住職さまがちらちら腕時計を見ておられると思ったら(何時だったのか)鐘を撞いてくださった。
ごぉ~ん お腹に響く音。音が重ならないように付くのは難しそう。
この後、堂内を案内していただいた。
堂内の暗闇にうっすらと見えるご本尊の薬師如来座像は県指定文化財(舟形の光背は年代が違うらしい)脇侍の日光 月光菩薩 他・・
裏の方にも 平安後期に造られたという薬師如来など仏像があった。薄暗い。
涅槃図や軸などもあったが、仏像関係も疎く、説明の言葉に迷っている内にお話が進み・・
秘仏でなかなか見る機会がないのに本当にもったいないことだった。
午後は
山部赤人の墓
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」の歌碑がある。
これは「天地の分れし時ゆ神さびて・・」という長歌に対する反歌だとか。
講師先生、すらすらと・・ すごい。
富士と大和富士。そばに大和富士(額井岳)があることから「戒場の人たちは山部赤人が大和富士に眠ると信じて疑わない・・」というような看板があった。
そばの五輪塔は赤人とは関係がないらしい。
細い山道を下る。
西方寺
あまり知られていないらしい素朴な神社だったが、薬師如来は平成26年県の重文に指定されたとのこと。
鎌倉時代 弘安元年(1278)の体内文書が出てきたという。
説明板にあった「鰐口」はなさそうだった。帰って調べたら、奈良国立博物館に寄托とのことだ。
雨が本降りになってきた。少し残して今日はここまでとなり、バス停へと急ぐ。
駅まで戻った頃、雨が小やみになったので、希望者が計画にあった後2か所を廻ることになった。
椋下神社(むくもとじんじゃ)
祭神は 神武東征に関わる高倉下命(たかくらじのみこと)
延喜式内社で福地の氏神様 秋祭りが有名らしい。
あぶらや
伊勢街道とあを越え道の交差点にある。
道標 あぶらや(写真は以前に撮影)
墨跡美しい宿帳や覚書のような帳簿も残っている。
2階にはお膳の並ぶ座敷があった。
お伊勢参りの賑わいはどんなだっただろうか。