日本書紀
天武天皇5年
夏に「大いに旱す」大干ばつがあり、神や仏に祈っても雨は降らず、百姓(おおみたから)は苦しんだ。
今も、天気ばかりは制御できないが、昔はもっと深刻だっただろう。
推古天皇の時代にも雨乞いの儀式をしたが、天武天皇4年には日本最古の水の神「闇龗(くらおかみ)神」を祀る、丹生川上神社下社で雨乞いの祈願をされた。
どの神仏に祈っても雨が降らず、雨乞い祈願に切羽詰まった時、ご神体の石を川に投げ落としたり(三之宮神社)、寺の仏像 阿弥陀如来をかついで、池に投げ込む(禅寂寺)などの荒療治?も行ったとか。
びっくりするのは、水の神のおられる神聖なところに、牛馬の首など不浄なものを投げ入れると、神が怒って雨を降らせるという俗信が広くあったという。
怒って雨を降らせてくれればいいが、反対にバチが当たったら・・怖い・・・
とにかく、そうまでするほど、切羽詰まっていたのだろうな。
そして、7月~9月、東の空に、長さ七八尺(2m余り?)の彗星が現れた。
推古天皇の時代に日食・舒明天皇の頃に彗星や星食・皇極天皇の時 月食・他にも、昼間の星・・(日本書紀 他)などの記録があるらしい。
日本の「暦法」は、推古天皇の頃、百済の僧 観勒によって、天文・暦法・陰陽道が伝えられた。
万民の罪や穢れを払い除く儀式、大解除(おおはらえ)
儀式に必要なものを各地から集め、罪人の罪を減刑し、捕らわれている動物を逃がして功徳とする「放生」
「放生」はこの時が初見だそうだ。
興味はあって面白く拝聴するのですが、正確かどうかはわかりません。 お許しください。