みどりの野原

野原の便り

4月28日 ②神社 ゴヨウマツ イチョウ サンシュユ ロウバイ

2022年04月28日 | Weblog

帰りに神社に立ち寄る。


ゴヨウマツ 若い球果 だいぶ大きくなってきた。


赤いのは雄花


枝先の赤いのは雌花かな?



1本のイチョウの木の下に、雄花序がたくさん落ちていた。雄株だ。
もう1本のイチョウは、何も落ちていない。
まだ花がつかない若い株なのか? 高い所に雌花がついているのか?


ウメの実が大きくなってきた。


ロウバイの偽果も一人前の大きさになった。


トウモクレン 花序が1つ。
花はたくさんついていたが・・実が見えていなかったのか?


サンシュユ 果実はまだ小さい。


コナスビの花

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4月28日 ①西木津 相楽神社(粥占 豆焼) 安楽寺(石仏) 相楽山銅鐸 音如ヶ谷瓦窯跡 ?イタリーマンテマ シロバナマンテマ セッカニワゼキショウ

2022年04月28日 | Weblog

西木津 初めて来た所で楽しみ。
地元ガイドさんの案内。


山田川 木津川の支流


相楽神社(さがらかじんじゃ)の杜


相楽(さがらか)神社 
住所:京都府木津川市相楽(さがなか)清水1
旧地名は相楽(そうらく)郡木津町相楽(さがなか)

「相楽」の読み方に面食らう。
古代、奈良平安時代には「さがらか」延喜式や 和名抄も「さがらか
地元では「さがなか」という。
相楽郡の読みは「そうらく」・・ややこしい。
地元では「さがなか神社」という人も多いらしい。

相楽神社の話に戻る。
創建は不詳だが、延喜式神名帳の相楽(さがらか)神社に比定されている。
祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
江戸時代までは八幡宮と呼ばれていたが、明治10年相楽神社と改められた。


相楽神社 本殿 室町時代初期の建造(重文) 扁額は八幡宮

御田祭他正月行事は京都府の無形文化財となっている。
*豆焼(まめやき)
  大豆を焼いて、できたひび割れで12か月の降水量を占う。
*粥占(かゆうら)
  アズキがゆを煮て、篠竹に詰まった粥の具合で早稲・中稲・晩稲の作柄を占う。
*餅花祭 竹串に刺した餅花を奉納して豊作を祈る。
*水試(みずだめ)
  本殿前に設けた祭壇の上に棒を立て、棒にあたる月影の長短で年間の降水量を判断する神事
*御田祭 稲作の過程を模して豊作を祈る。


豆焼(1年間各月の降水量を占う) 粥占い(米の作柄を占う)
昔からの伝統行事を今も受け継いでいる。

大里会館のそばのフェンスの中に倒れている石碑は・・

「相楽の里」の道標。「三宅安兵衛の遺志碑」の1つ。
奉公時代から後成功して材をなした三宅安兵衛は、遺言で「公利交益に仕え」と、息子に1万円を託す。
息子は旅人のために道標の建立を決め南山城一帯に400基ほど建てたという。
「遺志碑」は、京都府南部に多いが、旧木津町にはこの1基のみ確認されている。
ガイドさんが見つけられたのだそう。

安楽寺

開基や由緒は不明。本尊は平安時代のものらしい。


安楽寺 石仏 
十一面観音・如意輪観音・阿弥陀仏・地蔵石龕仏など。


安楽寺のボタン 樹齢100年だそう。
残念ながら花は終わっていたが、1株に80もの花がつくという。

法泉寺

法泉寺本堂 本尊十一面観音(重文)は秘仏。
南山城観音霊場10番 山城観音霊場11番の札所
本堂前の真正面に大きいタケノコの絵がどっかり。
「たけのこのほりかた」「たかのはらようちえんさま」
そうか。幼稚園の子供たちがタケノコ掘りに来るんだな。


高台にある法泉寺は眺めがよい。


曽根山地蔵堂 


ずっ~と遠くに見えるのは、1本松1里塚 (望遠で撮ってます)
郡山街道沿いにある。松は三鈷の松(3葉の松)だそうだ。
松の根元に夜泣留地蔵尊 他。
この1里塚は「奈良から最初の1里塚」だそうだ。

相楽台6・7丁目集会所の壁に「相楽山銅鐸出土地」の説明板があった。
「出土地の表示があるから見つけてください」とガイドさん。
住宅地の中の広い道路。キョロキョロ・・


「ありました」男性の参加者が見つけた。道路端の表示。


上記を拡大。「六区画袈裟襷紋銅鐸」と呼ばれている。

音浄ヶ谷公園の休憩所に着いた。

都が藤原京から平城京に遷ったのに伴い、より膨大な数の瓦が必要となった。
一帯にあった瓦窯群の1つが音如ヶ谷瓦窯跡


音如ヶ谷瓦窯跡(原寸大レプリカ)


レプリカの1つ。ロストル型平窯という様式の窯
焚口・燃焼室・焼成室と分かれ、分焔柱・隔壁・ロストル畝がある。
(構造はどこがどこだかよくわからない・・)
以前の「登り窯」に対して、「ロストル窯」は、燃料も少なくて済み、失敗作も少なかったらしい。
法華寺の創建瓦もここで焼かれたそうだ。
近くには、瓦窯跡・工房跡などが表示されていた。

歌姫瓦窯跡も通った。

帰り道で。

街路樹の下にシロバナマンテマ(写真上にある白い花)があった。
1・2本ちぎった。
しばらくしてピンクのマンテマ。
時間がないので、これも引きちぎって、次の木陰で写真だけ撮った。
シロバナマンテマもピンクの花があるが・・ちょっと違うな。
よく見たかったが、ついて行かねば・・
ここが団体行動のつらいところ。
1人なら、現地で思う存分観察して写真もしっかり取りたかった。
帰ってから見たら、花はしぼんでいた。

シロバナ・・は、毛や腺毛があるが、ピンクのは無毛だ。
帰化植物図鑑で見ると、「イタリーマンテマ」に近い。
初めて見る植物だった。
もう1回よく見たいが、遠いし、場所もよくわからない・・

高の原駅で解散となった。
弁当を持って来ていたので、少し戻って木陰で食べた。


横にはブタナの群生


セッカニワゼキショウ


途中で見たツキヌキニンドウ

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