史跡めぐりで安堂駅~国分駅を歩く。
h28年にもワイナリーと共に、高井田横穴群を訪れている(h28.10.17ブログ)
時期が違い講師も違うとまた違う話も聞ける。それに前に聞いても忘れていることが多いので・・。
集合地安堂駅近く。「今立っているところは江戸時代には大和川でした」
この近くで奈良盆地から流れ込む大和川が石川と合流し、複数の川が交流。分流しながら大阪湾へ注いでいたらしい。
交通の要衝でもあったが、度重なる洪水にも悩まされ、宝永元年にはついに大和川が付け替えられた。
道路には「史跡のカルタ」が埋め込まれていた。
「よ」横穴に古代を描く線刻画 今日行く高井田横穴のことだ。
右)「く」楠の大樹がしげる石神社 ここもこれから訪れる。
知識寺跡
民家の庭先に説明板があるのみ。
(大阪府)柏原市には多くの古代寺院の跡が確認されている。
知識寺もその一つで、東塔・西塔・中門などの跡が残り、薬師寺式といわれる伽藍配置であったことが確認されているという。
この寺は豪族が建てたものではなく、仏教を深く信仰した一般庶民も含む信者たちが「金(寄進)も力(労力)も」出し合って創建したということだ。
創建当時は日本最大の大仏(廬舎那仏)を有する大寺院であった。
大仏は土製の塑像(後に崩れてしまったらしいが)で、聖武天皇や孝謙天皇が平城京から難波宮への行幸の途中に何度かここを訪れて参拝していて、これが東大寺大仏建立の契機となったとされているという。
ここから業平道と言われる細い通りを行くと・・
石神社(いわじんじゃ)
樹齢700年~800年ともいわれるクスノキの巨樹は大阪府の天然記念物。
本殿は階段の上 社務所の横のこの石が、知識寺の東塔の礎石
塔の礎石がなぜここにあるのかはわからないらしい。
途中には満開のテイカカズラ ナヨクサフジの群生がそこここに。
歩くペースが速く、途中から降り出した雨、なかなか花の写真も撮りづらい。
ワイン造りで有名なところでブドウ栽培も盛ん。
山麓の道からは遠くのあべのハルカスも見渡せた。
柏原市歴史資料館を見学
柏原市歴史資料館
古代寺院のことや、ブドウ作りのこと。大和川のこと。午後から行く高井田横穴のことなどたくさんの展示があった。
高井田横穴から出土した副葬品 松岳山古墳 鰭付き楕円形埴輪
大和川付け替えの後、洪水の被害から村を復興させるために、柏原と大阪を結ぶ「柏原船」が運航されたことも初めて知った。
午後「高井田横穴」へ。ガイドさんによる案内。
横穴は6C中頃~7C前半にかけて作られた墓。
火山灰などが埋まってできた凝灰岩の岩盤をもつ尾根の斜面に彫りこまれたもの。
大きく4つの支群に分かれて番号が付いている。
横穴発見のいきさつなども聞いた。200基ほどあるらしい。
その内30基には人物や船などの線刻画が彫られているとか。
少し高いところにある横穴 ここには人物や船などの線刻が見られるらしい。
今日はここは見学できなかった。5月第3土曜日に特別公開があるとのこと。
平らなところも坂もある。
いくつかの横穴は開けて下さって入ることができた。
中には作り付け石棺や棚があったり、入り口上部に花らしい線刻のある横穴もあった。
ネジキの花があちこちにあった。 竹の手すりにキクラゲが発生
次は「高井田古墳」へ。
ここは古墳時代中期に作られた横穴式の円墳と判明しているとのこと。
坂を登って行くと、上にプラスチックの屋根が架かった石棺があった。
プラスチック屋根は曇って中は見えない。 右)横から内部を見る。熨斗や2つの木棺が見える。
副葬品は熨斗や銅鏡や甲冑・須恵器などが出土している。
天井はなくなっているが、薄い板石でドーム型の盛り土の古墳だったそうだ。
2つの木棺に埋葬されていたのは男女か?被葬者はわからない。
この後、下って大和川を対岸に渡り、松岳山古墳(まつおかやまこふん)へ。
国分神社の鳥居を入ったところから山へ登る。
頂上部には古墳時代前期の前方後円墳 後円部中央に築かれた「竪穴式石室」
石室内部に収められていた大きい長持型石棺があった。
変わっているのは、石棺の向こう側とこちら側に板状石が立ててあり、どちらにも穴があいているのだった。
何のための穴かは分かっていないという。
こちら側(足元側)の板石の穴から、石棺と向こう(頭側)の板状の石を見る。
墳丘の周りには鰭付楕円型円筒埴輪(上に載せた資料館にあった写真)や朝顔形円筒埴輪が並んでいたとか。
ここから出土したと言われる(渡来系官人)「銅製船氏王後(ふなしおうご)墓誌」は国宝で我が国最古の墓誌だという。
今日も雨に降られた。山を下って国分駅から乗る。
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