考えてみたら家族の内で墓の無いのは自分だけだった、そう考えると確かに我が家族は縁が薄い、
直ぐ上の姉の旦那は自分が23か24の頃脳出血で無くなった、その後暫くして市営の墓地に建てたらしい、
その上の姉の旦那が亡くなったのは7年位前になるか、此方は糖尿病でずっと入退院を繰り返し最後の入院は半年位で終えた、
此方も市営の墓地に墓を建てたが本人も病人なので自分が手続きをしたら結構変な決まりがあって戸惑った、
墓地を買うのに納めるお骨が無いと購入が出来ないのだ、つまり死亡してから大急ぎで購入するしか無い事になる、
一方市役所で焼却許可書を貰うのに何処に納骨するかの項目が有る、この時は墓地に空きが有ったし同じ市役所でやっているからスムーズに話は進んだが若し空きが無かったらどうなるんだろうと思った物だった、
まあ此れは地方ではありえないのかもしれないしそうなったらそうなったで何か手当てをするんだろうが手続きをしながらつくづく(お役所仕事だな)と思ったものである、
市営墓地には連絡の取れるお寺の他「神式」と言う葬祭法が有った、此れは墓と言わず「奥津城」(おくつき)と書かれている、
名前は俗名(此れは仏教の呼び方だから神式では只名前)が墓誌に書かれる(墓誌と言うのも変だが)
葬式は和尚、坊主ではなく神主が来て玉串の奉還をやる、詰り神前結婚と同じだが献花ではなく榊を使う、
しかし一番大きな違いは費用である、神主は墓地の近くにある村社の神主だから言わばパートタイムである、其れも市役所からの依頼なので1万以上は取らない、戒名が無いので戒名代も無い、予定時間のすこし前に来ると着替えて2時間程度で終える。
市の葬祭場で済ませたので葬式が黒字である、自分は父親から始まって喪主と葬儀の執り行いを3度やっているし協力をした事も随分有るが結果で黒字になったのは初めてだった。
一緒に住んでいた女房の母親、娘の嫁ぎ先の母親、長兄の義姉、次兄、3兄の義姉、この3兄も3年前に無くなった、
この3兄は義姉の眠っている鹿児島の川内市で隣に眠っている、友人も親しかった者達も3名も見送る事になった、皆40代から50代で交通事故も有る、そんなこんなで人の死と言う事にすこし鈍感になっているのだがやはりその時はかなり辛い、
去年の夏逝ってしまった友人は6歳も年上だったが本当に親しくしてくれた、未だ自分が結婚する前に彼には子供が居なくて「歳喰ったら一緒に同じ養老院に入って麻雀でもやるか」と言っていたのだが、懐かしくも悲しい思い出である、
彼だけ未だ墓が無い、奥さんに聞いたら「未だ暫く同じ家に居ようと思う」と言って仏壇の前に白木の箱は置いてあった、
自分もこんなで良いかと思うが子供達はそうも行くまい。
直ぐ上の姉の旦那は自分が23か24の頃脳出血で無くなった、その後暫くして市営の墓地に建てたらしい、
その上の姉の旦那が亡くなったのは7年位前になるか、此方は糖尿病でずっと入退院を繰り返し最後の入院は半年位で終えた、
此方も市営の墓地に墓を建てたが本人も病人なので自分が手続きをしたら結構変な決まりがあって戸惑った、
墓地を買うのに納めるお骨が無いと購入が出来ないのだ、つまり死亡してから大急ぎで購入するしか無い事になる、
一方市役所で焼却許可書を貰うのに何処に納骨するかの項目が有る、この時は墓地に空きが有ったし同じ市役所でやっているからスムーズに話は進んだが若し空きが無かったらどうなるんだろうと思った物だった、
まあ此れは地方ではありえないのかもしれないしそうなったらそうなったで何か手当てをするんだろうが手続きをしながらつくづく(お役所仕事だな)と思ったものである、
市営墓地には連絡の取れるお寺の他「神式」と言う葬祭法が有った、此れは墓と言わず「奥津城」(おくつき)と書かれている、
名前は俗名(此れは仏教の呼び方だから神式では只名前)が墓誌に書かれる(墓誌と言うのも変だが)
葬式は和尚、坊主ではなく神主が来て玉串の奉還をやる、詰り神前結婚と同じだが献花ではなく榊を使う、
しかし一番大きな違いは費用である、神主は墓地の近くにある村社の神主だから言わばパートタイムである、其れも市役所からの依頼なので1万以上は取らない、戒名が無いので戒名代も無い、予定時間のすこし前に来ると着替えて2時間程度で終える。
市の葬祭場で済ませたので葬式が黒字である、自分は父親から始まって喪主と葬儀の執り行いを3度やっているし協力をした事も随分有るが結果で黒字になったのは初めてだった。
一緒に住んでいた女房の母親、娘の嫁ぎ先の母親、長兄の義姉、次兄、3兄の義姉、この3兄も3年前に無くなった、
この3兄は義姉の眠っている鹿児島の川内市で隣に眠っている、友人も親しかった者達も3名も見送る事になった、皆40代から50代で交通事故も有る、そんなこんなで人の死と言う事にすこし鈍感になっているのだがやはりその時はかなり辛い、
去年の夏逝ってしまった友人は6歳も年上だったが本当に親しくしてくれた、未だ自分が結婚する前に彼には子供が居なくて「歳喰ったら一緒に同じ養老院に入って麻雀でもやるか」と言っていたのだが、懐かしくも悲しい思い出である、
彼だけ未だ墓が無い、奥さんに聞いたら「未だ暫く同じ家に居ようと思う」と言って仏壇の前に白木の箱は置いてあった、
自分もこんなで良いかと思うが子供達はそうも行くまい。