梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ラジオを聴く

2011-03-09 08:43:48 | 雑記
最近インターFMと言う局を聞いている、日本人らしい女性と外国人の男性がナビゲートしている番組だが良く聞いていれば名前と国籍くらいは解かる筈だが横着で何時も聞き逃す、大体私はこの手の名前を覚えるのが苦手で女房にもよく言われる。「お父さんに役者の話をしても無駄だから話さない」と言うのだが昔のスターは覚えている、興味が無いわけではなく「面白い役者だけど誰だっけ?」と良く聞くのだが最近の女房の返事が前述である。
この局と言うか番組は好きな音楽が掛かっている、少し前の物も有るが最近の物も自分の好きな物が多い、
音楽や絵画とか本とか言う趣味の物は良し悪しではなく好き嫌いだから仕方が無いが最近の音楽は忙しくていけない、聞いていて疲れてしまうのだ、しかし年齢から来るものもあるんだろうな、自分も若い頃は本当に煩くて忙しい音楽が好きだった、
その頃はやはり大人から「最近の音楽は煩いだけで皆同じに聞こえる」と言われたものだが今になるとやはり今流行っている曲はやはり「煩くて皆同じに聞こえる」のだ、きっと今の若い連中も自分たちと同じ年齢になると同じ事を言うんだろうな、
確かギリシャ時代の落書きに「近頃の若い者は云々」と言うのが有ったらしいから何時まで経っても同じなんだろう。
だからと言って「我々も同じだったから」と寛容に見過ごしてはいけない、今となればあの大人達の干渉があったからこんな程度で済んでいたと自覚する事は随分ある、同じ事をする以上、同じ様に口煩く小言を言うのが大人の役割なんだろう。
子供の頃食事をする3畳の部屋の茶箪笥の上に古ぼけたラジオが有った、真空管の奴で木製のニス塗りにダイヤルと布を貼った模様切りのスピーカーが着いていて放送局はNHKしか掛からないのだが夜の時間は何時も掛かっていた
「土曜の夜の贈り物」と言う番組を両親が好きで聞いていた、「石黒敬七のとんち教室」、「私は誰でしょう」、「20の扉」、「ラジオ寄席」と今でも覚えているものが多い、
ラジオ小説と言うジャンルが有って夕方4時頃だったと思うが子供向けの15分番組があった、「緑のコタン」と言うアイヌの物語が丁度親父と2人の生活になった頃にあって木桶のへそ釜に薪をくべながら聞いた事を憶えている、
其れより少し前の頃、未だ5歳上の姉が家に居た頃「今月の歌」と言う番組があって、そこで中曽根美紀の「川は流れる」を憶えた記憶が有る。
この頃の子供の流行で鉱石ラジオも作った、「子供の科学」と言う本があって付録だったと思う。雑音の中で何となく音楽らしい物が聞こえただけで随分嬉しかった。
両親とも結構歌は好きだったようだ、お袋はやはり賛美歌や城ヶ島の雨などを針仕事をしながら歌っていたが親父は畑で桑を振りながら何か鼻歌を歌っていたが全く憶えていない、多分自分は知らない歌だったと思う、
最近のテレビはどうも見たい物が無い、歌手も前述の様な理由で殆ど見ないので仕事中に掛けっぱなしのラジオが聴視の主になっている、