梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

幼児殺人死体遺棄事件

2011-03-05 13:05:20 | 雑記
又、嫌な事件が起きた、20歳の若い者が僅か3歳の子供を殺して捨てたと言う、60歳を超えた人間が金欲しさに人を殺す
殺してみたかったから、と言う全く理解の出来ない動機で殺す、誰も自分を見てくれないから殺す、
今までの理解の範疇から全く逸脱している、しかも全て自分の圧倒的優位での犯罪だ、
日本は恥の文化だと言われていた、「梅干と日本刀」と言う本は海外でも多く読まれたように。
「恥」と表裏一体になっているのは「誇り」だろう、「武士はくわねど高楊枝」と言うのは痩せ我慢だがそれはプライド、誇りと言う物を有る程度顕している。今の世代に消えてしまった言葉、言葉は確かに残っているが前世紀の遺物と言う様な捉え方で鑑みようとはしない、それどころか本当の内容が理解されていない言葉に「卑怯」と言う言葉が有る。
日本人が一番恥だと思うことにはこの「卑怯」と言う言葉が有る、世界的にもドンキホーテやイギリス貴族の騎士道を出すまでも無く西部劇ですら卑怯な人間は最低だ、誇りも恥も他人がどう見るかではなく、自ら恥じないか、自ら誇れるがと言う物だ
しかし今の日本には全くこの言葉が通用しない、力が強い、資産が多い、地位が高いと言う格差を全て抱合して日本社会は永い歴史を築いて来た、しかし今はどうだ、特に子供達の世界は集団で陰湿に虐めと言う行為を行なう、其れも見えない様に、此れを自身に鑑みて恥ずかしい行為だと思う心は見られない。
自由と言うものはわがまま勝手とは全く違う、5人に一つのパイしかなければ幾ら腹が減っていても1/5しか食べてはいけない、
幼い者、弱い物が居たら自分の半分を渡す、残りの3人も同じ事をすれば半分でなくとも弱い物は生き続けられる、此れは施しではない、「喜んで自分の権利を放棄する」と言う意味でいわゆる「喜捨」と言う事だ、
しかしそれどころか一番弱い者のパイを力づくで奪う、ごまかしても口に入れる、野性の動物でも満腹になったらそれ以上は奪はない、面白いからと狩をすることも無い、
宗教が必要かと言うとそれにも問題は有るが人間は人間以上の存在が有ると言う感覚は必要なのかもしれない、
同じ様になくした言葉には「畏敬の念」と言う事がある、畏れ敬うと言う意味だ、理屈をこねるのではなく犯してはならない領域と言うものが有ると言う事は重要なのかもしれない、平等と言う理念で出来ている社会主義経済学で言う共産主義はすべて平等と言う理念の下宗教を否定した時期があった、しかしそれも結局は100年にも満たないで崩壊し、ロシア正教は復活した、人間は弱い、その弱い部分、不安定な部分を保管するには人間以上の存在はやはり必要なのだろう
日本は絶対神と言うものは持たない、日本以外にも多く有る万物神の範疇だが其れでも良い、其れは生きる事に対する感謝の念だ
もう一度人間は原点に立ち返る必要が有るのかもしれない