入学試験の理由が私が考えたような物だとしたらその意味は有る程度理解出来る、しかし私は行った訳ではないので偏見かもしれないが廻りで聞く話や記事で見る限り入学すれば卒業は余り大変では無い様だ。進級も単位を取ったかどうかに重きが置かれ理解したかどうかは怪しい。と言うのも30年以上前では有るが私は季節商品の会社に勤めていた関係で夏休みと正月に多くの大学生アルバイトを使っていた事がある、
そこで現役の大学生と話事が多かったのだが(何でこんな事が分からない)と言った事が多々有った、
専攻外だと言うのかもしれないが中学で教わった程度(私は其処までしか勉強をしていない)の基礎学が無いのだ、
特別の話ではない、一番驚いたのは有名大学のA学院の現役生が「三角関数は教わった覚えが無い」と言い切った事、さすがに他のアルバイトが「其れは無い、憶えていないがサインコサインタンジェントは苦労した」とは言っていたがそれでも辺対比の名前を覚えているのは数人だった、確かにもう学校では使わないのだろうが此れで良く入試に合格したのだと思う。
ラジオの大竹と言うパーソナリティが「入試が終えると半年はゆっくり、3年目には就職活動をすると言う今の大学は4年制と言うのはおかしいのではないか」と言っていた。「日本の学校はおかしい、入試は簡単にして進級をもっと厳しくするのが本当だ」とも言っていた。
30代の頃輸入機械の代理店に勤めていてその時にセントルイスの機械メーカーから据付と技術の指導に来ていた若者が居た、
24~5歳位で金髪で今風に言えば「イケメン」と言う奴だ、見本市をしたら廻りのコンパニオンが集って来る事があった位だがまあ此れは余談。
1年半くらいに4度ほど来日したがある日「僕は今度が最後になる」と言う、「転職するのか」と聞いたら「学費が貯まったので又学校に戻る」と言う、「大学で勉強していたが蓄えが無くなったので休学して今の仕事をしていたがやっと貯まったので又戻って今度こそ卒業する」と言う、休学自体に年数制限が無い(或いは長い?)のにも驚いたが「学費を自分で稼いでいるのか、凄いな」と言ったら「大学を親の金で行く奴なんかあまり居ないよ、そんな奴は馬鹿にされる、まあ政治家の子供位だね」と笑っていた、
ついでに入試のシステムを聞いたら「大抵無いよ」と言う事だった、「進級と卒業はかなり厳しいが何年でも出来る、金は掛かるけど」と言う話しだった、
此れが本来の学校のあり方ではないのだろうか、江戸時代の寺子屋は入試なぞは無く誰でも入れた、いわゆる私塾も来れば受け入れた、百姓(この言い方は差別か?)町人から武士の子息まで同様に扱った、其れが幕末の転換に多くの英傑を輩出した事は歴史の事実だ、松下幸之助の「松下塾」は此れを目指したのだろうがやはり一般庶民には敷居が高かったと言うが門戸は開かれていなかったようだ、最低限高卒程度の学力は必要だったのなら学費位は全て国家が負担すべきではないのか、特に医学に置いては、
その原資は資産の継承による日本版エスタブリュッシュメントから出して貰うのが良い、
そこで現役の大学生と話事が多かったのだが(何でこんな事が分からない)と言った事が多々有った、
専攻外だと言うのかもしれないが中学で教わった程度(私は其処までしか勉強をしていない)の基礎学が無いのだ、
特別の話ではない、一番驚いたのは有名大学のA学院の現役生が「三角関数は教わった覚えが無い」と言い切った事、さすがに他のアルバイトが「其れは無い、憶えていないがサインコサインタンジェントは苦労した」とは言っていたがそれでも辺対比の名前を覚えているのは数人だった、確かにもう学校では使わないのだろうが此れで良く入試に合格したのだと思う。
ラジオの大竹と言うパーソナリティが「入試が終えると半年はゆっくり、3年目には就職活動をすると言う今の大学は4年制と言うのはおかしいのではないか」と言っていた。「日本の学校はおかしい、入試は簡単にして進級をもっと厳しくするのが本当だ」とも言っていた。
30代の頃輸入機械の代理店に勤めていてその時にセントルイスの機械メーカーから据付と技術の指導に来ていた若者が居た、
24~5歳位で金髪で今風に言えば「イケメン」と言う奴だ、見本市をしたら廻りのコンパニオンが集って来る事があった位だがまあ此れは余談。
1年半くらいに4度ほど来日したがある日「僕は今度が最後になる」と言う、「転職するのか」と聞いたら「学費が貯まったので又学校に戻る」と言う、「大学で勉強していたが蓄えが無くなったので休学して今の仕事をしていたがやっと貯まったので又戻って今度こそ卒業する」と言う、休学自体に年数制限が無い(或いは長い?)のにも驚いたが「学費を自分で稼いでいるのか、凄いな」と言ったら「大学を親の金で行く奴なんかあまり居ないよ、そんな奴は馬鹿にされる、まあ政治家の子供位だね」と笑っていた、
ついでに入試のシステムを聞いたら「大抵無いよ」と言う事だった、「進級と卒業はかなり厳しいが何年でも出来る、金は掛かるけど」と言う話しだった、
此れが本来の学校のあり方ではないのだろうか、江戸時代の寺子屋は入試なぞは無く誰でも入れた、いわゆる私塾も来れば受け入れた、百姓(この言い方は差別か?)町人から武士の子息まで同様に扱った、其れが幕末の転換に多くの英傑を輩出した事は歴史の事実だ、松下幸之助の「松下塾」は此れを目指したのだろうがやはり一般庶民には敷居が高かったと言うが門戸は開かれていなかったようだ、最低限高卒程度の学力は必要だったのなら学費位は全て国家が負担すべきではないのか、特に医学に置いては、
その原資は資産の継承による日本版エスタブリュッシュメントから出して貰うのが良い、