CubとSRと

ただの日記

事に臨む

2019年02月06日 | 日々の暮らし
 題は大袈裟過ぎ。
 
 起き掛け。
 昨日と同じく温かなせいか、ひどい痛みはないが股関節から太腿の裏側辺りまでが硬く、曲げよう(伸ばそう)とすると鈍く重い痛みがある。
 それでもストレッチをしてから起きるのと、ストレッチをしないで起きるのとでは後々の動きが違う。
 直面する痛みを恐れて(と言うより嫌がって)、ストレッチをせず「用心」「慎重」だけで行動しようとすると、思いがけないところで痛みが襲ってくる。
 ストレッチをしておくと、その時点での可動範囲(痛くない範囲)を身体が分かっているためか、想定外の箇所の痛み、というのが少ない。ストレッチをした時に身体がセンサーを設定している、ということだろう。 
 
 昨朝より今朝の方が、そういう意味では少し進歩。
 旧式の使い込んだ道具を、切れ味が鈍ったなりに手入れをしていつでも使えるようにしておく。
 そうではなくって「伝家の宝刀」を新古品で購入し、安心する。
 購入した時点で「伝家」じゃないんだけれど、更に「新古品だ、実質、新品だ」と安心してたんじゃ意味がない。
 以前に書いた軍学者の床の間の大太刀の如くに。
 世間では軍学者のこのやり方を「虚仮脅し」の一言で簡単に片付けるけど、これはもっと切実な問題。笑って済ませるようなことじゃない。
 「軍学者の床の間の大太刀」を嗤うのは、「九条があるから戦争は起きない」と同じ考え方だ。「購入した『伝家の宝刀』があるから大丈夫」、と。
 「日本国発行の『戦争禁止令』は世界に通用する!」・・・・?
 勿論、諭吉は軍学者を嗤ってはいない。反対に苦言を呈している。
 だから、数度、その大太刀を抜き差しして見せた。
 その上で、驚いている軍学者に、
 「この程度(自分の腕前)では、実際の時には遣えない。却って、危険だ」
 と説き、「虚仮脅し」も「丸投げ」もダメだ、
 「そういう考え方は危険だ」
 、と。
 
 「虚仮脅し」も「丸投げ」もダメ。まずは自身の覚悟。

 手入れをしてないから、「伝家の宝刀」と言う割に大事にしない。
 手入れをしてないから、その実力を知らない。
 だから「使えなきゃ意味がない」と気軽に抜いて、取り敢えずそこらの物を切ってみる。哨戒機に火器管制レーダーを当ててみる、みたいに。
 この身体は、65年使い込んできたものだから。ちゃんと手入れしなきゃならないし、無茶な遣い方をすれば簡単にガタが来る。

 ・・・というわけで、朝食後、風呂に入ろうかと思ったが、出発する前に温まって、すぐ湯冷めをして身体が硬くなる、なんてことは避けよう、とカイロを貼るだけにした。これは転ばぬ先の杖。
 準備は整った。
 さあ、買い物に行くぞ!!



コメント
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