CubとSRと

ただの日記

不快

2019年02月16日 | バイク 車 ツーリング
 木曽の山中を、距離感を狂わされながら走る。視界一杯の緑に包まれながら、清澄な朝の空気の中を走る。
 日々、丸みを帯びた森や深い緑の西日本の景色を見ている。
 信州の鋭く透き通って見える硬い緑の木々と、不思議なほど近くに感じる高い山々は、長い間忘れていた「何か」を思い出させようとしている。
 擦れ違う車はほとんどない。道は適度にうねり、滑らかな路面が続く。
 伝わってくるのはGB250の角張ったシリンダーからの、これまた見事なくらいに精確な角張った振動。
 高度なテクニックを誇る軍楽隊のドラムがハイスピードで打ち鳴らされている、それも低周波だけがガチガチのブロックのように押し寄せて来るような。そんな振動。
 
 過去の信州の思い出に浸りきれなかったのは、このセンチメンタルさを拒否するような角張った振動のせいだった。一言で言えば「人間味がないエンジンの振動」。
 「当たり前だろ。機械なんだから」
 勿論、言われるまでもなく、それは分かっている。エンジンの振動に人間味があったらそれこそまずいことになる。ハーレーの不規則な振動や燃焼音だって、ありゃぁ人間味じゃなくって輓馬の足音だもの。馬ではあっても人間じゃない。
 GBの振動には「棘」とまではいかずとも、角がある。シリンダーヘッドのタペット音かもしれないけれどその時はまだ何も分からない。ただ僅かな金属音の角みたいになって神経に障る。カチカチという音のような振動を感じる。
 アクセルを開ければ、その機械音は「振動音」として身体に伝わってくる。シートからも、タンクからも、ハンドルからも。押しの強い微振動。
 
 これが違和感として、あった。どうしても馴染めない。でも、自分の我儘なのだろう、多分。
 自分の技術の低さのせいだ。
 当たり前だ、石の上にも三年。運動神経が鈍い上に乗り始めてからまだ半年、GBには3ヶ月足らずだ。
 GBは見映えのいい、カッコいいバイクだ、それなりに気難しくってハードルも高いんだ。
 泊まれる宿が見つかり、風呂に入る。身体全体が心地よい痺れとなって湯の中に溶けていく。
 そんな筈はないけど。
 夕食を摂る時になって「それ」に気が付いた。
 湯に浸かった時、身も心もほぐれた。今はただ「気持ちが良い」だけの筈、なのに夕食の膳を前に箸を持ったら、何かがおかしい。
 グローブをしたままで箸を持っているような気がする。
 バイクを降りて、風呂に入って、だからハンドルから手を放して、もう一時間以上経っているのに、まだ手が痺れている。気持ちの良い痺れではない。「痺れが切れた」ような、とげとげしているけど、反面、笑ってしまいそうな痺れではなく、麻痺しているのに妙な刺激はある、もどかしい痛み。
 結局、この痺れは夜中まで続いたが、翌朝にはおさまっていた。
 ツーリング中、嫌な思いを何一つしなかった、なんてことはない。いつだって、不快・イライラ・もどかしさ等、色々な嫌な思いはある。でも、それはツーリングの味、薬味でもある。
 この、手の痺れというのは、他の不都合、不具合とは違っていた。
 他の嫌な思いはみな単発的で一過性のものだ。時が経てば全て良い思い出になる。交通事故は別だけど。
 けど、この手の痺れというのはおそらくGB250に乗っている限り、続く。

 で、次回に続く。

コメント
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