北海道に「モトトレール」で行った、翌年。
今度は、取り敢えず、同じモトトレールで北海道に渡り、そのまま大間に渡ってあとは東北を南下、仙台まで行き、フェリーに乗って名古屋まで帰ってくる。名古屋からは陸路、神戸まで。バイクは前年と同じGB250。
その時の日記の再掲です。
・・・・・・・・・・・
北海道からフェリーで下北半島に渡り、東北南下ツーリング。
花巻に泊って、遠野に向かっていました。
宿も決めず、行けるところまで行く。そこで泊ろう。大体、遠野辺りになるだろうか。その日の天候任せの一週間。
朝、どうも怪しい空模様だと思っていたら、段々に雲が分厚くなり、昼前なのに夕方のような空。
遂に降り始めたので覚悟を決めて雨具を着る。雨具さえつけたらこっちのもんだ。暑いのさえ辛抱したら夏の雨。どうってことはない。
・・・・・だったんですが。
着て30分程。
「暑い!!!」もう辛抱できない。雨具を脱ぐか?
・・・・と思った辺りで、本格的に降り始めました。
いざ降り始めると、これがえらい雨で、風こそ吹かないものの、土砂降りです。その上に、バイクは雨雲と同じ方向に進んでいるらしい。
今、考えてみれば、花巻から遠野、釜石方面に進んだわけだから、西から東。雨雲だって、普通は西から東。
というわけで、一旦降り始めた土砂降りの雨は、雨雲と共に進む私を溺死させようと思っているくらいに降り続ける。
東北の道は、当時まだスパイクタイヤで走っていた跡が残っていました。
車の通った跡が轍(わだち)のように深くえぐられ、その二本の深い溝には土砂降りの雨が溜まって、水路のようになっているのです。
バイクはその溝にタイヤをとられないように、道の真ん中を走る。
延々と続く路上の水路に気をつけながら走る。
雨は更に激しくなり、そこら中に車が停まり始める。雷撃を避けるためでしょうか。それとも、雨を遣り過ごすためでしょうか。
いつの間にか、まばらな対向車だけになった道を、雷鳴に肝を冷やしながらの耐久ツーリングになってしまいました。
ぼんやりしていると、対向車が水路の水を盛大に撥ねながら擦れ違っていく。
「バケツをひっくり返したような雨」が水路をつくっているわけです。
だから、「水路」の撥ねは「バケツの水をぶっ掛ける」ようなもの。うかうかしてると、一瞬息が止まるくらいの圧力で水がぶっ掛けられる。よける場所がない。どうする?
考えました。撥ねが来た瞬間、頭を下げる。胸でなくヘルメットで、頭突きのようにして「水の壁」を打ち破る!!
大袈裟でしょう?車なら、まず考えない。ところがこれが面白い。「やっぱりバカだ」と言われそうですけど。
上手くいった時は「それ見ろ!どんなもんだい!」と調子に乗り、ちょっとタイミングをずらしてしまうと、ヘルメットのシールドから胸、鳩尾まで、息が詰まりそうな勢いで水を浴びせ掛けられる。
「うっ」と息を詰め、「やられたぁ~っ」と心の中で叫ぶ。
所々にバス停があります。そして、それぞれに、よく似た波型トタンの屋根と壁、の小屋がある。北国のことは知らないのだけれど、きっと雨風をしのぐためのものなんでしょう。
雨はひどくなるばかり。雷鳴と稲光は強くなるばかり。
これでは「落雷なんてない!」と思っていても、車も段々居なくなっていき、何だかコワい。
怖い思いをしながら走ること3時間あまり。
もう本当に「今度、小屋を見つけたら、何が何でも逃げ込もう」と決心して、見落とさぬよう気をつけて走り続けました。
「三十代の男性、ツーリング中落雷で死亡」、なんて新聞に載るのはイヤだ!!
やっとバス停脇の小屋を見つけた時には、もう三時半をまわっていました。でも、やれやれです。
これで何とか落雷の恐怖から逃れられる。雨もしのげるから、ヘルメットを取って休憩ができる。
ここで転倒しちゃ話にならない。用心して停めるところをさがし、小屋に駆け込みました。
さてヘルメットを取ろうと、ヘルメットのベルトに手をかける。ヘルメットを取る。
その途端、頭に大粒の雨の衝撃。辺りを見るとびしょ濡れです。
一瞬何のことか分からず、座った長椅子の周辺を見ると、しっかり濡れている。と言うより、小屋の外と同じように濡れている。
「えっ?え?何で?」まだ状況がつかめない。
やっとそこで上を見上げた。
頭上に屋根はなかった。全く。
理由は分からないけれど、とにかく分厚い雨雲が相変わらずゆっくりと流れていくのが見えました。
呆然とした後は、たまらなく可笑しくなり、もう笑うしかありませんでした。
けれど、笑ってしまうと落雷の恐怖も、散々雨に打たれた末の寒さもおさまり、 「これじゃ意味がないな」と進む気になります。
それから30分も経たぬうちに遠野駅に着き、一時間も経たないうちに駅で聞いた民宿の前に居ました。
(続く)
今度は、取り敢えず、同じモトトレールで北海道に渡り、そのまま大間に渡ってあとは東北を南下、仙台まで行き、フェリーに乗って名古屋まで帰ってくる。名古屋からは陸路、神戸まで。バイクは前年と同じGB250。
その時の日記の再掲です。
・・・・・・・・・・・
北海道からフェリーで下北半島に渡り、東北南下ツーリング。
花巻に泊って、遠野に向かっていました。
宿も決めず、行けるところまで行く。そこで泊ろう。大体、遠野辺りになるだろうか。その日の天候任せの一週間。
朝、どうも怪しい空模様だと思っていたら、段々に雲が分厚くなり、昼前なのに夕方のような空。
遂に降り始めたので覚悟を決めて雨具を着る。雨具さえつけたらこっちのもんだ。暑いのさえ辛抱したら夏の雨。どうってことはない。
・・・・・だったんですが。
着て30分程。
「暑い!!!」もう辛抱できない。雨具を脱ぐか?
・・・・と思った辺りで、本格的に降り始めました。
いざ降り始めると、これがえらい雨で、風こそ吹かないものの、土砂降りです。その上に、バイクは雨雲と同じ方向に進んでいるらしい。
今、考えてみれば、花巻から遠野、釜石方面に進んだわけだから、西から東。雨雲だって、普通は西から東。
というわけで、一旦降り始めた土砂降りの雨は、雨雲と共に進む私を溺死させようと思っているくらいに降り続ける。
東北の道は、当時まだスパイクタイヤで走っていた跡が残っていました。
車の通った跡が轍(わだち)のように深くえぐられ、その二本の深い溝には土砂降りの雨が溜まって、水路のようになっているのです。
バイクはその溝にタイヤをとられないように、道の真ん中を走る。
延々と続く路上の水路に気をつけながら走る。
雨は更に激しくなり、そこら中に車が停まり始める。雷撃を避けるためでしょうか。それとも、雨を遣り過ごすためでしょうか。
いつの間にか、まばらな対向車だけになった道を、雷鳴に肝を冷やしながらの耐久ツーリングになってしまいました。
ぼんやりしていると、対向車が水路の水を盛大に撥ねながら擦れ違っていく。
「バケツをひっくり返したような雨」が水路をつくっているわけです。
だから、「水路」の撥ねは「バケツの水をぶっ掛ける」ようなもの。うかうかしてると、一瞬息が止まるくらいの圧力で水がぶっ掛けられる。よける場所がない。どうする?
考えました。撥ねが来た瞬間、頭を下げる。胸でなくヘルメットで、頭突きのようにして「水の壁」を打ち破る!!
大袈裟でしょう?車なら、まず考えない。ところがこれが面白い。「やっぱりバカだ」と言われそうですけど。
上手くいった時は「それ見ろ!どんなもんだい!」と調子に乗り、ちょっとタイミングをずらしてしまうと、ヘルメットのシールドから胸、鳩尾まで、息が詰まりそうな勢いで水を浴びせ掛けられる。
「うっ」と息を詰め、「やられたぁ~っ」と心の中で叫ぶ。
所々にバス停があります。そして、それぞれに、よく似た波型トタンの屋根と壁、の小屋がある。北国のことは知らないのだけれど、きっと雨風をしのぐためのものなんでしょう。
雨はひどくなるばかり。雷鳴と稲光は強くなるばかり。
これでは「落雷なんてない!」と思っていても、車も段々居なくなっていき、何だかコワい。
怖い思いをしながら走ること3時間あまり。
もう本当に「今度、小屋を見つけたら、何が何でも逃げ込もう」と決心して、見落とさぬよう気をつけて走り続けました。
「三十代の男性、ツーリング中落雷で死亡」、なんて新聞に載るのはイヤだ!!
やっとバス停脇の小屋を見つけた時には、もう三時半をまわっていました。でも、やれやれです。
これで何とか落雷の恐怖から逃れられる。雨もしのげるから、ヘルメットを取って休憩ができる。
ここで転倒しちゃ話にならない。用心して停めるところをさがし、小屋に駆け込みました。
さてヘルメットを取ろうと、ヘルメットのベルトに手をかける。ヘルメットを取る。
その途端、頭に大粒の雨の衝撃。辺りを見るとびしょ濡れです。
一瞬何のことか分からず、座った長椅子の周辺を見ると、しっかり濡れている。と言うより、小屋の外と同じように濡れている。
「えっ?え?何で?」まだ状況がつかめない。
やっとそこで上を見上げた。
頭上に屋根はなかった。全く。
理由は分からないけれど、とにかく分厚い雨雲が相変わらずゆっくりと流れていくのが見えました。
呆然とした後は、たまらなく可笑しくなり、もう笑うしかありませんでした。
けれど、笑ってしまうと落雷の恐怖も、散々雨に打たれた末の寒さもおさまり、 「これじゃ意味がないな」と進む気になります。
それから30分も経たぬうちに遠野駅に着き、一時間も経たないうちに駅で聞いた民宿の前に居ました。
(続く)