CubとSRと

ただの日記

優等生と付き合う

2019年02月17日 | バイク 車 ツーリング
 翌朝には手、指の痺れはなくなっていたので一安心。
 でも、あの嫌な感触の痺れを思い出させるハンドル振動は避けようと努力し始めた。
 同じ回転数で、同じギヤで走り続ければ同じ振動が続く。それでも、低い振動なら「身体だって固有の振動を持つフレームのようなもの」、と仮定すれば、ついていけなくもないだろう。
 けど、身に過ぎるエンジンの高振動には、生身の身体じゃ無理だ。ついていけない。
 
 ということは、
 「エンジンの回転数をあまり上げない、上げたとしても同じ回転域で長時間走り続けることは、やめる」
 ようにすれば、フレームの同調振動で手や指が痺れる、なんてことはなくなる(だろう)。
 一定の高回転域で走り続けないようにする。高速道路では特にそうなり易いから、気を付ける。
 できるだけ回転数を落とし、単気筒エンジンの振動を「楽しもう」。
 何のことはない、教習所で何度も聞かされた「メリハリのある運転をする」、ということだ。 
 信号ではクルマと距離を置くため、早めの加速を心掛ける。(一気に引き離せば、クルマは追い掛けては来ない)
 カーブに進入する前に十分に速度、ギヤを落とし、鋭角的に方向を変え、できるだけ早く体勢を立て直して加速する。スローインファーストアウト、だ。
 そして直線道路では、トップギヤで制限速度前後で流す。直線こそ人・車の飛び出し率が高い。
 見通しの良い幹線道路を走っていたVmaxにわき道から出て来たクルマがぶつかり、あの低重心のVmaxが宙を飛んだ、という目撃談もある。
 これらのことは、何も教習所の狭いコースや込み合っている街中、郊外の走行だけで、気を付けるべきことではない。却ってツーリングのような、或る意味、運転技術・ペース配分が大雑把であっても通用するような場でこそ、注意すべきことだった。
 
 ツーリングに最適な走り方は、犬のように(長距離を)淡々と走るようなものか、と思っていたけど、そしてその方が長距離を走る上で疲れないような気がしていたけれど、どうもそうではないらしい。
 犬よりも猫のように、素早く加速する。バイクはクルマより軽いんだから。カーブも緩やかに曲がるのに身を委ねるのではなく、意識的に早く立ち上がろうとする。軽いからできる。筈。
 直線で速度を上げるのは、ツーリングの醍醐味である「絶景の中を走る」楽しさを半減させる。
 GB250の「不都合な真実」。
 「250cc単気筒では最大」、と自慢できるパワーを発揮させようと、高回転で長時間走り続けること、のナンセンス。
 「パワーを使い切る」と言う考え方は、「トルクも使い切る」「操縦性も」等々、色々な「使い切る」の強迫観念に苛まれることになり、おちおち「ツーリング」なんて悠長なことをしていられなくなる。
 そんな完璧と言うか、全く余裕のないことを求めてたんじゃ、ツーリングなんてちっとも楽しくないだろう。
 浮谷社長曰く「修行じゃないんだからさあ」。
 回転を上げて一定の高速度で走り続ける、なんてことをしなければ、GBで手、指が痺れるなんてことは回避できる。優等生に「優等生だから」と、まるで師に対するように接したりすれば優等生も大変だ。何故って「他人より優れているだけ」なんだから。その「優等」は大方、他人より努力した結果であって、「秀でている」のではないのだから。
 頑張っているところを見ないで結果だけをほめると、優等生は「もっと頑張らなきゃ」と強迫観念に・・・。
 GB400には余裕があるみたいだけど、250はいっぱいいっぱい。
 だから、ゆっくり走らせなきゃ、GBのカッコよさが見えないんじゃないかな、と、この頃思う。
 と言っても、もう乗るチャンスもないだろうけど。


  
 
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優等生

2019年02月17日 | バイク 車 ツーリング
 手が痺れる。一晩寝て、やっと直った。
 不快だった。
 そりゃそうだろう、気持ち良く一日走って、でも、結構神経使って、心地よい疲れと怠(だる)さが風呂で汗とともに流された。
 心地良さだけが残って、ちょっと時間が経ったら目の前に御馳走が並んでいるんだ。
 ビールがうまい。箸を持って目の前の料理を、と手を延ばしたら箸と指の間に違和感がある。まだ手が痺れている。
 手ではなく指先が痺れている。気になると折角の料理の味が落ちる。
 手に持つ箸先で料理を挟む、その触感も料理の味だ。
 「手が、特に指が痺れていれば、いっそ目をつぶって食べたら?」
 と、今、思ったけれど、そんなことしたら「独り二人羽織」状態で笑うしかないな。
 「面白うて やがて悲しき 鵜飼かな」笑えても楽しくない。
 色々考えてみた。理由は大体見えて来た。
 「250ccの枠の中で、最大のパワーを」ということで、高回転型のエンジンを作ることになる。
 ホンダの高い技術力がある。高回転を続けてもガタが来ないエンジン。単気筒のエンジンでこれをやる。
 高回転型だから、ピストンのストロークは当然短くなる。
 ショートストロークのエンジンは回転数が高くなれば、振動も回転数分高くなる。
 小さくて強い振動はフレームを同じく高振動で同調させる。
 ピストンのストロークが長ければ、フレームの持つ固有の振動と同調したり、反対にフレームの振動にうねりを生じさせたりする。アイドリング時にハンドルミラーが振動しているけど、あれにかなり大きな波があるのと同じだ。
 同調したりうねったりするということは、回転数次第でエンジンの振動とフレーム固有の振動とが打ち消し合ったり増幅させたりするということで、上手くいけばとても気持ちの良い振動を発生させたりすることもできる、ということになる。ショートストロークのエンジンは、これが難しくなるわけだ。
 大体、バイクのカタログに「振動の心地良さ」なんて項目は、ない。雑誌のインプレッションなんかでも、あまり書かれない。「そんなの、好みの問題じゃないか」で終わり。
 ショートストロークのエンジンは、事務的に振動をフレームに伝える。フレーム固有の振動、独自裁量を許さない。
 早い話、GBは見映えの良さの通り、均整がとれて全く無駄がない分、実は「遊び」「余裕」がないバイクらしい、ということだ。
 脂肪の全くないボディービルダーみたいなものか。必要最小限のガソリンしか摂らない。そのくせ強固な心臓を持っている。
 
 だから分かったことがある。
 「手が痺れること」以外、何一つとして不都合なことはないということだ。
 だからこそ、翌年にはGBで北海道に行ったし、その翌年には東北ツーリングも行った。
 不都合への対応策は段々に実行できるようになった。
 嫌な手の痺れが残る、という「不都合な真実」が分かったことで、パワーとかトルクとかいうものに対する見方が変わり始める。
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