翌朝には手、指の痺れはなくなっていたので一安心。
でも、あの嫌な感触の痺れを思い出させるハンドル振動は避けようと努力し始めた。
同じ回転数で、同じギヤで走り続ければ同じ振動が続く。それでも、低い振動なら「身体だって固有の振動を持つフレームのようなもの」、と仮定すれば、ついていけなくもないだろう。
けど、身に過ぎるエンジンの高振動には、生身の身体じゃ無理だ。ついていけない。
ということは、
「エンジンの回転数をあまり上げない、上げたとしても同じ回転域で長時間走り続けることは、やめる」
ようにすれば、フレームの同調振動で手や指が痺れる、なんてことはなくなる(だろう)。
一定の高回転域で走り続けないようにする。高速道路では特にそうなり易いから、気を付ける。
できるだけ回転数を落とし、単気筒エンジンの振動を「楽しもう」。
何のことはない、教習所で何度も聞かされた「メリハリのある運転をする」、ということだ。
信号ではクルマと距離を置くため、早めの加速を心掛ける。(一気に引き離せば、クルマは追い掛けては来ない)
カーブに進入する前に十分に速度、ギヤを落とし、鋭角的に方向を変え、できるだけ早く体勢を立て直して加速する。スローインファーストアウト、だ。
そして直線道路では、トップギヤで制限速度前後で流す。直線こそ人・車の飛び出し率が高い。
見通しの良い幹線道路を走っていたVmaxにわき道から出て来たクルマがぶつかり、あの低重心のVmaxが宙を飛んだ、という目撃談もある。
これらのことは、何も教習所の狭いコースや込み合っている街中、郊外の走行だけで、気を付けるべきことではない。却ってツーリングのような、或る意味、運転技術・ペース配分が大雑把であっても通用するような場でこそ、注意すべきことだった。
ツーリングに最適な走り方は、犬のように(長距離を)淡々と走るようなものか、と思っていたけど、そしてその方が長距離を走る上で疲れないような気がしていたけれど、どうもそうではないらしい。
犬よりも猫のように、素早く加速する。バイクはクルマより軽いんだから。カーブも緩やかに曲がるのに身を委ねるのではなく、意識的に早く立ち上がろうとする。軽いからできる。筈。
直線で速度を上げるのは、ツーリングの醍醐味である「絶景の中を走る」楽しさを半減させる。
GB250の「不都合な真実」。
「250cc単気筒では最大」、と自慢できるパワーを発揮させようと、高回転で長時間走り続けること、のナンセンス。
「パワーを使い切る」と言う考え方は、「トルクも使い切る」「操縦性も」等々、色々な「使い切る」の強迫観念に苛まれることになり、おちおち「ツーリング」なんて悠長なことをしていられなくなる。
そんな完璧と言うか、全く余裕のないことを求めてたんじゃ、ツーリングなんてちっとも楽しくないだろう。
浮谷社長曰く「修行じゃないんだからさあ」。
回転を上げて一定の高速度で走り続ける、なんてことをしなければ、GBで手、指が痺れるなんてことは回避できる。優等生に「優等生だから」と、まるで師に対するように接したりすれば優等生も大変だ。何故って「他人より優れているだけ」なんだから。その「優等」は大方、他人より努力した結果であって、「秀でている」のではないのだから。
頑張っているところを見ないで結果だけをほめると、優等生は「もっと頑張らなきゃ」と強迫観念に・・・。
GB400には余裕があるみたいだけど、250はいっぱいいっぱい。
だから、ゆっくり走らせなきゃ、GBのカッコよさが見えないんじゃないかな、と、この頃思う。
と言っても、もう乗るチャンスもないだろうけど。
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でも、あの嫌な感触の痺れを思い出させるハンドル振動は避けようと努力し始めた。
同じ回転数で、同じギヤで走り続ければ同じ振動が続く。それでも、低い振動なら「身体だって固有の振動を持つフレームのようなもの」、と仮定すれば、ついていけなくもないだろう。
けど、身に過ぎるエンジンの高振動には、生身の身体じゃ無理だ。ついていけない。
ということは、
「エンジンの回転数をあまり上げない、上げたとしても同じ回転域で長時間走り続けることは、やめる」
ようにすれば、フレームの同調振動で手や指が痺れる、なんてことはなくなる(だろう)。
一定の高回転域で走り続けないようにする。高速道路では特にそうなり易いから、気を付ける。
できるだけ回転数を落とし、単気筒エンジンの振動を「楽しもう」。
何のことはない、教習所で何度も聞かされた「メリハリのある運転をする」、ということだ。
信号ではクルマと距離を置くため、早めの加速を心掛ける。(一気に引き離せば、クルマは追い掛けては来ない)
カーブに進入する前に十分に速度、ギヤを落とし、鋭角的に方向を変え、できるだけ早く体勢を立て直して加速する。スローインファーストアウト、だ。
そして直線道路では、トップギヤで制限速度前後で流す。直線こそ人・車の飛び出し率が高い。
見通しの良い幹線道路を走っていたVmaxにわき道から出て来たクルマがぶつかり、あの低重心のVmaxが宙を飛んだ、という目撃談もある。
これらのことは、何も教習所の狭いコースや込み合っている街中、郊外の走行だけで、気を付けるべきことではない。却ってツーリングのような、或る意味、運転技術・ペース配分が大雑把であっても通用するような場でこそ、注意すべきことだった。
ツーリングに最適な走り方は、犬のように(長距離を)淡々と走るようなものか、と思っていたけど、そしてその方が長距離を走る上で疲れないような気がしていたけれど、どうもそうではないらしい。
犬よりも猫のように、素早く加速する。バイクはクルマより軽いんだから。カーブも緩やかに曲がるのに身を委ねるのではなく、意識的に早く立ち上がろうとする。軽いからできる。筈。
直線で速度を上げるのは、ツーリングの醍醐味である「絶景の中を走る」楽しさを半減させる。
GB250の「不都合な真実」。
「250cc単気筒では最大」、と自慢できるパワーを発揮させようと、高回転で長時間走り続けること、のナンセンス。
「パワーを使い切る」と言う考え方は、「トルクも使い切る」「操縦性も」等々、色々な「使い切る」の強迫観念に苛まれることになり、おちおち「ツーリング」なんて悠長なことをしていられなくなる。
そんな完璧と言うか、全く余裕のないことを求めてたんじゃ、ツーリングなんてちっとも楽しくないだろう。
浮谷社長曰く「修行じゃないんだからさあ」。
回転を上げて一定の高速度で走り続ける、なんてことをしなければ、GBで手、指が痺れるなんてことは回避できる。優等生に「優等生だから」と、まるで師に対するように接したりすれば優等生も大変だ。何故って「他人より優れているだけ」なんだから。その「優等」は大方、他人より努力した結果であって、「秀でている」のではないのだから。
頑張っているところを見ないで結果だけをほめると、優等生は「もっと頑張らなきゃ」と強迫観念に・・・。
GB400には余裕があるみたいだけど、250はいっぱいいっぱい。
だから、ゆっくり走らせなきゃ、GBのカッコよさが見えないんじゃないかな、と、この頃思う。
と言っても、もう乗るチャンスもないだろうけど。
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