CubとSRと

ただの日記

二月十一日

2019年02月11日 | 重箱の隅
 一昨年に書いた日記ですが、ここに転載します。
 昨日書いた日記とほぼ同じことを書いてます。
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 今日は明治以降、敗戦まで「紀元節」とされていた日だ。
 あまり昔のことで、「建国の日」がはっきりしていない。神武天皇が「建国の大業」を為された、と日本書紀に書かれているだけだ。 文字のない昔のことだ。日本書紀に書かれているだけだから、実在したという証拠にならない。
 「年月日がはっきりしないのだから、日を定めるのは時期尚早」
 確たる証拠(出土品、文書など)がないのだから、考古学者の立場からすれば、皇族である三笠宮崇仁殿下であっても、そう仰るしかない。
 そうすると、
 「皇族でさえ否定されているのに、建国記念日を制定するなど言語道断!」
 と、反対派が我々こそ正義、とばかりに祝日に制定する(実質は紀元節の復活)ことに猛反対する。
 よくもまあ馬鹿々々しい議論をしていたものだ。
 そして、15年もかかって、やっと「建国記念の日」が制定された。
 大体、二千数百年も前に遡って、の正月一日を、「めでたい日」「新年」なんだから、これを「建国記念の日」にしよう、「紀元」節、つまり「祭」、「祭日」にしようというだけのことであって、そこら辺の国の「独立記念日」なんかとは謂れが全く違うのだ。
 今朝、「正義のミカタ」で所先生が「聖徳太子の時から遡ること1260年を紀元としよう、ということになった」という話をされていた。
 これ、暦が一回り60年で、二十一回(つまり1260年)毎に、大きな変転がある、という「讖緯説(しんいせつ)」からの計算だ。
 「神武天皇が日本を作られた」のだから、大きな変転なんだ、なら、1260年前としよう、と。
 (だから少なくとも聖徳太子の以前から日本は「在る」のだから、この時点からでも日本は1400年以上続いているわけだけど)
 この時点で、「計算したら、天皇によっては百数十歳以上の長命になる」なんて間抜けなことを言うのも、「そんなに古い筈がない。大嘘だ」と騒ぎ立てるのもナンセンスの極み、ということになる。
 要は
 「確かに建国されたからこそ国があるのであって、その日時が分からないから記念日は作れない、なんて発想の方がおかしいだろう?」
 ということだ。
 それに、誰が好き好んでこの雪の降る厳冬の日に「国家創業!」、なんてするのだ。
 しかし、だ。
 詳細はともかく、建国の理念は「新しい世界を作る」ということだ。これはどこの国でも同じだ。
 ならば、「新しい年明け」と「肇国の大業」を重ねるという考え方はなかなかのものではないか。
 正月一日を、「めでたい日」「新年」なんだから、これを「建国記念の日」にしよう。
 こんなおめでたい、じゃなかった、清々しい考え方をする国が他にあるかい?
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 昨日書いた日記は大まか過ぎて。
 でも、こうやって以前の日記を見直すと、僅か二年ながら、随分頭が不自由になっているなあと思います。
 ただ、頭が不自由になったから、と言って後ろ向きになったって、いいことなんか一つもないから。
 不自由なら不自由なりに付き合わなきゃ。自分のことだ、代わりの自分はいない。


コメント
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