CubとSRと

ただの日記

不便を買う

2019年02月25日 | バイク 車 ツーリング
 五年ほど前、入院した時、
 「新しいことを始めたら?車に乗るのもいいかも」
 と、SNSで提案をいただきながら、一年間、ほったらかしにしていた。
 勿論、主因はこれ→。「金がないから」、だ。
 それが或る時の事。
 父に付き添って大きな病院に行った。
 思った以上に時間がかかり、その日の受診者の最後になってしまった父が、診察を終えて病院を出たのは午後五時をだいぶ回っていた。
 駅に着くと列車がない。特急なら六時過ぎにある。懐は厳しいけれど、それに乗るしかない。
 ローカル線も真っ青の本線だから、それを外したら家に帰れなくなってしまう。
 ところがここで新たな問題。帰ったとしてもタクシーがない。その時間にはタクシーの営業所は既に営業所を閉めている。流石に90歳にもなると健脚だった父も駅から歩いて帰ることは厳しい。
 この時は途中の駅で降りて、駄目でもともと、で駅前のタクシー会社に行ったら、何時でも電話してください、と言ってくれて家まで頼むことができた。しかし、「もはやこれまで」、と思った。
 「免許だけは持ってるんだから、中古車を買って乗るか」
 
 車の免許は二十年近く前に取った。ただし、教習所を出てからは車のハンドルに触れたことは一度もない。
 この先は既に日記に書いているので、繰り返さないけれど、気が付いたら三年半。
 中古車のスズキツインでそこら中を走り回った。
 と言っても、家を空けることはできないから、神戸までの往復が最長だけれど。それでも片道四百数十キロ。
 四、五回は繰り返しただろうか。
 段々慣れてきて、でもそれと並行するように「手元不如意」は重なってきて、持っていたバイクは一台、また一台、と手放さざるを得なくなってきた。
 XJR1300、BMW1100RS。同じくR80。結局残ったのは通勤バイクのSR400。そしてcub90dx 。
 これはもう手放すわけにはいかない。手放したって、家計の役に立つまでのものにはなりそうにもない。
 さて、面白がってツインに乗っていたのだけれど、何か変だ。
 とにかくおもちゃみたいなツインが珍しいのだろう、通りがかった女子中高生が「きゃ~!かわい~い!」、なんて言ってくれると、還暦過ぎたじいさんだって、悪い気はしない。
 反対に「なに!?あれ~ぇ!?」と言う声が聞こえてきても、腹立ち半分、可笑しさ半分で聞き流せる。
 「おもちゃだ」「ちょろQだ」「ぜんまい仕掛けだ」などと自虐ネタにもなる。
 従姉から「野菜をあげようと思っても、大根三本しか入らんねぇ~」、なんて言われたって、「そんなことはない。五本は入る」と返すことも楽しみだった。
 けど、何かが変だ。乗っていて楽だし、楽しいんだけれど、30分も経つと飽きてくる。段々慣れるにつれて時間も伸びていったけれど、一時間も乗っていればやはり飽きてきた自分が居る。
 何故なんだろう。
 で、やっと気が付いたのは、「屋根があるから」、ということだった。便利だから、だった。
 何しろ、雨具が要らない。しかし、この便利のせいで、風に表情がなくなる。
 気が付いたらグローブと長袖シャツの間だけ、薄黒く日焼けをしていた、なんてことは、金輪際起こらない。
ヘルメットのシールドを叩きつける雨のせいで、夕方から夜の走行は恐怖そのもの、なんてこともない。
 便利の御蔭で、快適さのおかげで、それらを「辛い」と思う以上に、走っていて「楽しい」と感じる気持ちが埋もれてしまい、薄れてしまって、一時間ほどでそういうことを、全く何とも思わない無感動な自分になっている。だから楽しくないんじゃないか。
 必要に迫られて買った車だけれど、また、必要をはるかに超える便利さを与えてくれたけれど、その「便利」さと引き換えた「不便さ」には、辛さと一緒に「楽しさ」もあったのだろう。
 「オープンカーに乗ろう」
 新車が来て三週間。間違いなく不便さを買ったものだ、と思う。
 屋根がないと日焼けをする。帽子が飛ばされそうになる。荷物が積めない。
 だから昔、バイクに乗り始めた頃ほどではないけれど、還暦過ぎた爺さんは今、にやにやしながら車に乗っている。
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 ↑4年前に書いた日記を転載しました

コメント
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