CubとSRと

ただの日記

「風を切る」ということ

2019年02月24日 | バイク 車 ツーリング
 バイクに関しての文章で能く見られる「風を切る」という表現について、以前に書いた日記です。
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 「風を切る」。「風を切って走る」。
 こう言えば、何だか猛スピードで走っているみたいですが、そういうことばかりじゃないんです。
 先日、スズカ8耐での、チーム紳助の奮闘振りをやっていましたが、以前に島田紳助が連続して出場していた時、「風になる」という言葉が流行していました。「バイクに乗って風になる」。
 残念ながら、私は「風になる」ような速さでは走れません。
 そして「ツーリング」では、そんな速さでは走らないのが普通です。
 やはり、「風になる」のではなく、「風を切る」。
 それなりに荷物を積んでいるので、普通にバンクさせる(バイクを大きく傾けて走る)こともままならない。これまた私のように大きくバンクさせられない者は問題ないんですが、「普段はバリバリの走り屋」だったら、これはストレスでしょう。
 けれど、ここで「風を切る」が出て来ます。
 例えばスポーツカーなら、直線であろうがカーブであろうが、風の切り方は基本的に同じです。
 けれど、バイクは傾けてコーナーを抜ける。
 「同じ風」のようでも、頭の位置が上下数センチ違うと、また、真っ直ぐに向かうのと、身体が傾いた状態で風に向かうのとでは、明らかに感触が違うんです。
 「風を切る」と一言で言っても、その「風の違い」を常に身体で感じていられる。
 延々と続けられるキャッチボールが、見ている方には何とも退屈なものであっても、やっている者にとっては
 「毎回受けるボールの感触が違う。だから飽きない」
 でしょう?あれと似た感じじゃないかと思います。
 バンクさせてコーナーを抜ける時に感じる風。あきることのないキャッチボールと同じく、その都度、違う風を切りながら(風にあたりながら)進む。
 全力ではないけれど、一瞬たりとも気は緩められない。
・好きで大荷物括り付けて、出来る限りの準備をして、いつも修学旅行の前日の気持ちでいる。
・常にその千変万化する風を感じて走る。風の中にいて、自分から風の中に飛び込んで行く。風と共に視界が開け、めまぐるしく変わる世界は車のフロントガラス越しに見るのとは全然違う。
 風は常に現実を感じさせているのに、その風さえもが非現実的な世界の中に自分を連れて行ってくれる。
 だから、停まった時には、本当に現実の世界なんだ、と感じるのだけれど、風が止んだことで現実か非現実か分からなくなってしまう。
コメント
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