GB250に乗り始めて3ヶ月。初めての長距離ツーリング。
ここまで、通勤で通る道にとどまらず、休日はほぼ毎日、色々なところへ行った。
30年余り前のこと、バイク用ナビは勿論、スマホだってないから、頼れるのはツーリングマップルのみ。
すぐにタンクバッグを買って、目的地に向けての頁を開いてバッグの上部に入れ、いつでも見られるようにする。
けれど、道を走る初心者。標識と地図の表記がなかなか重ならない。
まず、国道と県道の標識の形状の違いからして、意識して見たことがなかった。
だから標識に書かれている線番だけを見て進路を決める。
似たような線番が続いている、と安心して進んでいたら、全く違う方向だったと分かり、大苦戦してUターン、なんてことは数え切れない。
国道の標識は盾みたいな形だが、県道の方は六角形を寝かせたような形をしている。
でも、同じ青色の地に白抜きの文字だ。慌てている時は形より中に書かれた線番の方に目を引かれる。
「私はだ~れ?」「どっちがホントかな?」みたいな顔で突然、道路端に現れる。
「え?え~っと。もう分岐点?もっと先じゃなかったかな」
、と思っているうちに通り過ぎるから、足元や後続車を気にしながら安全そうなところでバイクを停めて、やっとのことで地図を見る。もう目印がどこだったのか分からなくなっている。
紙袋被せられた猫が、何かに当たってフリーズしてしまっているのと同じだ。
原付からだってまだ半年ほどの初心者、余裕綽々でその辺のことを簡単にこなし、おもむろに判断を下し、華麗にUターンを決めて正しい方向へ・・・・。
無理無理。
毎回、ツーリングに出るたび、あっちで道に迷い、こっちでどちらに曲がるか決めかね、という、本当に「逍遥」ではない「彷徨」を繰り返していた。
で、それがまた面白くて。
何をしてるのか分からない、「ただ楽しい」だけ、「疲れる」だけ、のツーリングの泥沼にハマっていく。
変態的性向がある?どM?
それらとはちょっと違うと思うんだけど。
そうだ!「不都合な真実」について書くんだった。
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ここまで、通勤で通る道にとどまらず、休日はほぼ毎日、色々なところへ行った。
30年余り前のこと、バイク用ナビは勿論、スマホだってないから、頼れるのはツーリングマップルのみ。
すぐにタンクバッグを買って、目的地に向けての頁を開いてバッグの上部に入れ、いつでも見られるようにする。
けれど、道を走る初心者。標識と地図の表記がなかなか重ならない。
まず、国道と県道の標識の形状の違いからして、意識して見たことがなかった。
だから標識に書かれている線番だけを見て進路を決める。
似たような線番が続いている、と安心して進んでいたら、全く違う方向だったと分かり、大苦戦してUターン、なんてことは数え切れない。
国道の標識は盾みたいな形だが、県道の方は六角形を寝かせたような形をしている。
でも、同じ青色の地に白抜きの文字だ。慌てている時は形より中に書かれた線番の方に目を引かれる。
「私はだ~れ?」「どっちがホントかな?」みたいな顔で突然、道路端に現れる。
「え?え~っと。もう分岐点?もっと先じゃなかったかな」
、と思っているうちに通り過ぎるから、足元や後続車を気にしながら安全そうなところでバイクを停めて、やっとのことで地図を見る。もう目印がどこだったのか分からなくなっている。
紙袋被せられた猫が、何かに当たってフリーズしてしまっているのと同じだ。
原付からだってまだ半年ほどの初心者、余裕綽々でその辺のことを簡単にこなし、おもむろに判断を下し、華麗にUターンを決めて正しい方向へ・・・・。
無理無理。
毎回、ツーリングに出るたび、あっちで道に迷い、こっちでどちらに曲がるか決めかね、という、本当に「逍遥」ではない「彷徨」を繰り返していた。
で、それがまた面白くて。
何をしてるのか分からない、「ただ楽しい」だけ、「疲れる」だけ、のツーリングの泥沼にハマっていく。
変態的性向がある?どM?
それらとはちょっと違うと思うんだけど。
そうだ!「不都合な真実」について書くんだった。
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