CubとSRと

ただの日記

中国の近現代史は日清戦争からはじまった(!)

2019年06月15日 | 重箱の隅
 「アヘン戦争からではない(!)」
 「確かにそうだけど、何、これ、声を大にして言うほどのことか?」
 、とつい思ってしまう。
 けど、これが
 「歴史は、日本ではヒストリーだが、中国ではプロパガンダである」
 と言われる所以。
 ヒストリー。
 話とは展開していくもので、それを学べば「情緒と考え方」が身に付く。
 プロパガンダ。
 ゆるがせにできない結論があって、理屈はそれを正当化するためにのみ存在する。当然、手探りによる発展、なんてことは期待できないし、されない。既に結論はあるのだから。
 
 まあ、この二つの言葉に続く「(歴史は)朝鮮ではファンタジー」、に比べればいいようなものだけど。
 また少し、
 「中国・韓国の正体」~異民族がつくった歴史の正体~
  宮脇淳子
 から、転載します。
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 「日本の影響を抹殺」
 中国の近現代史は日清戦争(1894~1895)からはじまった。
 清は日清戦争で日本に負けたことにショックを受けて、日本に学ぼうと考え、日本をとおしてようやく西洋化・近代化を推し進めることになる。
 ところが、現在の中国史では、近代のはじまりは1840年のアヘン戦争からということになっている。
 それは1937年(昭和12年)に支那事変が起こってから後に、毛沢東が言いはじめたことだった。
 要は、中国共産党の歴史的正統性を主張するため、中国近現代史のはじまりをつくり出す必要があり、外国から圧力を受けていく過程でいまの共産党が生れたことにしなければならなかったのである。
 日清戦争の敗戦によって本格的な近代化が訪れたと正直に言ってしまっては、日本の存在を認めることになるので、そういう事実はなかったことにした。
 共産党が国民党に追いやられて延安に逼塞(ひっそく)していた頃から自分たちに都合のいい近現代史を書きはじめた毛沢東は、日本に影響を受けたことを歴史からいっさい抹殺したのである。
 だから、日本が中国に対して果たした貢献など、現代中国で出る本にはまったく書かれていない。

 続く)




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