CubとSRと

ただの日記

毛沢東

2019年06月16日 | 重箱の隅
 昨日の続きです。
 ~要は、中国共産党の歴史的正統性を主張するため、中国近現代史のはじまりをつくり出す必要があり、外国から圧力を受けていく過程でいまの共産党が生れたことにしなければならなかったのである。~
 「中国・韓国の正体」~異民族がつくった歴史の正体~
  宮脇淳子
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 「新しい体制というものは必然的に生れるものなのだ。それが歴史的正統性というものだ」
 つまり「新しい体制こそが正統なのである」、と。結論が先に在る。「過程」には結論を説明する仕事しかない。
 これ、革命思想ですよね。
 この地では易姓「革命」が当たり前だったから、今度は社会主義が「新しい体制」なのであって、易姓と同じく共産党「革命」となったのは、歴史的正統性が共産党にあったから。
 とにかく結果がそうなのだから、それは正しいことなのだ、と。
 何とも、もの凄い理屈です。

 続きを転載します。
 「だから、日本が中国に対して果たした貢献など、現代中国で出る本にはまったく書かれていない。」
 、の後からです。
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 むしろ中国に近代化をもたらした国として、毛沢東は日本のかわりにイギリスを選んだ。
 イギリスなら中国の面子もいくらか立つので、「屈辱の近代はアヘン戦争からはじまる」と言い出した。
 アヘン戦争でイギリスに侵略されたことによって「中国人は覚醒したのだ」というわけである。
 ところが、アヘン戦争はじつは中国(清朝)にとっては些細なエピソードの一つにすぎない。漢字も知らない野蛮人が、南のほうで暴れているくらいの認識だっただろう。
 中国史をみると、歴代王朝は大なり小なりつねに異民族の脅威にさらされている。これはシナで何度も繰り返し起こっていることだから、清でも「またか」というくらいの気持ちで、イギリスを「英夷」と呼んで蔑んでいた。
 そもそも南方の人々は金もうけができるのでアヘンの密貿易をむしろ喜んでいたのである。
 岩波新書の『中国近現代史』(小島晋治・丸山松幸著)には、「アヘン戦争と(注・それによって結ばれた)南京条約を、中国近現代史の起点、つまり半植民地・半封建社会への変化と、これに対する抵抗、ならびに抵抗を通じての自己変革の起点とみなしている」と書かれている。
 しかし、この時点ではまだ「中国」という名前もなければ、国家という概念もなかったのだから、「起点」も何もあったものではない。この記述はまったくデタラメで、毛沢東が創作した現代中国史をそのまま翻訳しただけ。
 日本人は罠にはまっているのである。

コメント
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