CubとSRと

ただの日記

日本語で連絡を取り合う

2019年06月22日 | 重箱の隅
 続き。
 
 「李鴻章の後継者・袁世凱が中華民国を成立させた」
 
 宮崎
 一種の文化迫害なんだけど、逆にいうと、よくあれで統一しているなと思います。まあ、それはともかくとして、最初に孔子で対抗した袁世凱はそれほどの教養人なの?
 宮脇
 教養人とは言えないけれども、それでも一応「四書五経」を勉強した科挙官僚だから、古い漢字の資料が読める読書人です。私から見れば孫文よりはるかに政治が上手な男だなとは思います。
 だって、清朝時代に朝鮮総督のような地位にあったのですよ。日清戦争の最中には李鴻章の一の子分として日本と戦った人だし、それから中華民国総統に選ばれたあと、諸外国との間に五国借款も結びました。
 宮崎
 ということは外国知識と歴史的な基本要素を知っていなきゃできない。
 宮脇
 李鴻章の後継者ですし、かれがいなかったら中華民国は成立していない。 
 だいたい辛亥革命とか中華民国とか、立派な名前を使うからいかにもちゃんとした革命運動であり、民族国家だったように日本人はかん違いしますけど、中国語では「武昌起義」といって、清の南方の地方軍長官のクーデターにすぎないのです。
 しかも武装蜂起したのはほとんどが日本の陸軍士官学校卒の軍人で、当時のシナ大陸にはまだ共通語もないから、日本語で連絡を取り合ったそうです。
 誰もトップになれるほどの人物はおらず、このままだとまとまらないからと、日本や欧米に知られた孫文を臨時大総統という名前の頭の飾りにかついだわけです。
 孫文は革命に何の役にも立っていませんし、軍隊に直接の子分もいません。
 これに対して袁世凱は清朝最大最強の北洋軍の長ですから、本気で革命討伐にあたれば、革命軍はひとたまりもありません。
 でももし内乱になったら、清朝の領土は諸外国に切り取られることくらいは孫文もわかっていたから、袁世凱にしぶしぶ大総統の地位を譲ったわけです。
 袁世凱が主人である清朝の支配層を説得して、1912年2月に清朝が平和裏に禅譲したから中華民国が成立したというのが私の意見で、孫文なんかぜんぜん話になりません。
 宮崎
 孫文はペテン師だもの。西洋も日本も騙した。


 ~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~
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 軍服姿の大男が居並ぶ中に、肩までしかない、けれど横幅と立派な面構えだけは負けてない禿頭の小男。
 身長は百六十センチに満たないながら百キロ近い巨躯。毎朝、煮卵を十個食べていた、とどこかで読んだ記憶がある。
 が、こうやって科挙試験を受ける家柄に在って、高級役人にはなれなかったまでも、軍の近代化を達成し、後には諸外国から資金を借りて国力増強に充てる、なんてことを実行している。
 見方次第で、「国を弱体化させた」「自分が皇帝になりたかっただけ」「私利私欲の塊り」等々、悪評は山のように出て来る。 
 けれど、軍の近代化によって国が弱体化したのか?国が弱体化していたから軍を近代化しようとしたのではないのか?私利私欲の塊りが、まず国力増強を図って諸外国と借款を結ぶ、なんて遠回りが過ぎるだろう?
 一つ一つを順に並べて見れば、単純に孫文を善玉にして近代史をまとめるなんてのは強引に過ぎると思う。 




コメント
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