昨日、「中国・四国・近畿が、ここ数十年で最も遅い梅雨入り」と発表された。
(とは言っても、一日だけらしいけど)
で、今日は思いっきり降り込められている。
今年第一号の台風が発生するかも、というおまけつきだったが、まだ台風にはなってないらしい。
「台風になりました!」と発表されたからって、突然強大になるわけじゃない。
現在、梅雨前線が刺激されて雨風共に強くなって、どうも日付が変わるころまで暴れまわる雰囲気。
というわけで、閉じ込められている。
勿論、日記を書こうなんて気にはならない。
でも、「毎日、日記を挙げる」と口にした以上、やらなきゃ沽券に関わる(?)。
まあ、ここ十日ほどは転載ばっかりだったから、いい加減なもんだけど。
でも、今日は特に、特別やる気が起きない。だから本の転載ではなく、同じ宮崎氏のメルマガから氏の書評を転載するだけにしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)6月13日(木曜日)
通巻第6108号 より
「中華民族の偉大なる復興」は、内外に不協和音をもたらした
中華文明・文化には、魅力あるソフトパワーが皆無だ
♪
黄文雄『中国韓国はなぜ息するように嘘をつくのか』(徳間書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
なにしろ羞恥心ということを知らないのが中国人(附録が小中華の朝鮮人)。
恥という概念があるかもしれないが彼らにはとても理解できない。
だから恥じることなく偽り、偉そうに約束を破るのは常習、日本人からみれば異常だが、かれらからみれば嘘つきでないと生きていけない社会であり、騙されたほうが莫迦という体質の染みこんだ人々の集まりだから、むしろ日本人のような潔癖、清潔、誠実などという価値観はどこにもない。
アーサー・スミスは中国で伝導した体験から中国人の特性は不誠実、知性混沌、言辞婉曲、面従腹背など二十六項目を挙げた『中国人的性格』(1890年)をあらわし、そのなかで、こう述べた。
「経験し、観察した限りにおいては、中国にはどこにも誠実さは探しあてられなかった」(石井宗浩、岩崎菜子訳、中央公論新社)。
マックス・ウェーバーは「中国人は世界で随一の不誠実な民族だ」(『儒教と道教』、木全徳雄訳、創文社)と書き残した。
習近平の掲げる「中華民族の偉大なる復興」というのは、内外に不協和音をもたらしているが、このあたり、とくに黄文雄節が光る。
「中国の夢は人類の夢などではなく、しかも人類の歩みに逆行している」。
「人類共有の『普遍的価値』とは激しく対立する」ものであり、いったい中華の何を復興するのか曖昧である。(238p)
というより、中華復興は必ず悲劇をともなう。なぜなら「中華文明・文化には、魅力あるソフトパワーが皆無だからである」とずばり言い切っている。
そのうえ、続きがあるのだ。
「中華民族の偉大なる復興とは、未来よりもすでに過去の世界に存在したものを求めるものである。儒教や共産主義の理想もおなじく『過去』の『復興』『復活』しかない。これは想像力の貧困や限界を如実に物語るものであり、『夢』というよりも、『昔への回帰』である」(245p)
こんな国を相手にする日本はどうすればよいか、諄々と説かれる。
・・・・・・・・・・・
「シナ人のウソ」について、これまでに教えられたことを何度か日記書いてきた。
(『嘘』は、「避諱」という徳行の実践のために身に着けていなければならない「能力」)
が、もう一度見直してみたい。
、ということで、次回もあの本を転載予定。
(とは言っても、一日だけらしいけど)
で、今日は思いっきり降り込められている。
今年第一号の台風が発生するかも、というおまけつきだったが、まだ台風にはなってないらしい。
「台風になりました!」と発表されたからって、突然強大になるわけじゃない。
現在、梅雨前線が刺激されて雨風共に強くなって、どうも日付が変わるころまで暴れまわる雰囲気。
というわけで、閉じ込められている。
勿論、日記を書こうなんて気にはならない。
でも、「毎日、日記を挙げる」と口にした以上、やらなきゃ沽券に関わる(?)。
まあ、ここ十日ほどは転載ばっかりだったから、いい加減なもんだけど。
でも、今日は特に、特別やる気が起きない。だから本の転載ではなく、同じ宮崎氏のメルマガから氏の書評を転載するだけにしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)6月13日(木曜日)
通巻第6108号 より
「中華民族の偉大なる復興」は、内外に不協和音をもたらした
中華文明・文化には、魅力あるソフトパワーが皆無だ
♪
黄文雄『中国韓国はなぜ息するように嘘をつくのか』(徳間書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
なにしろ羞恥心ということを知らないのが中国人(附録が小中華の朝鮮人)。
恥という概念があるかもしれないが彼らにはとても理解できない。
だから恥じることなく偽り、偉そうに約束を破るのは常習、日本人からみれば異常だが、かれらからみれば嘘つきでないと生きていけない社会であり、騙されたほうが莫迦という体質の染みこんだ人々の集まりだから、むしろ日本人のような潔癖、清潔、誠実などという価値観はどこにもない。
アーサー・スミスは中国で伝導した体験から中国人の特性は不誠実、知性混沌、言辞婉曲、面従腹背など二十六項目を挙げた『中国人的性格』(1890年)をあらわし、そのなかで、こう述べた。
「経験し、観察した限りにおいては、中国にはどこにも誠実さは探しあてられなかった」(石井宗浩、岩崎菜子訳、中央公論新社)。
マックス・ウェーバーは「中国人は世界で随一の不誠実な民族だ」(『儒教と道教』、木全徳雄訳、創文社)と書き残した。
習近平の掲げる「中華民族の偉大なる復興」というのは、内外に不協和音をもたらしているが、このあたり、とくに黄文雄節が光る。
「中国の夢は人類の夢などではなく、しかも人類の歩みに逆行している」。
「人類共有の『普遍的価値』とは激しく対立する」ものであり、いったい中華の何を復興するのか曖昧である。(238p)
というより、中華復興は必ず悲劇をともなう。なぜなら「中華文明・文化には、魅力あるソフトパワーが皆無だからである」とずばり言い切っている。
そのうえ、続きがあるのだ。
「中華民族の偉大なる復興とは、未来よりもすでに過去の世界に存在したものを求めるものである。儒教や共産主義の理想もおなじく『過去』の『復興』『復活』しかない。これは想像力の貧困や限界を如実に物語るものであり、『夢』というよりも、『昔への回帰』である」(245p)
こんな国を相手にする日本はどうすればよいか、諄々と説かれる。
・・・・・・・・・・・
「シナ人のウソ」について、これまでに教えられたことを何度か日記書いてきた。
(『嘘』は、「避諱」という徳行の実践のために身に着けていなければならない「能力」)
が、もう一度見直してみたい。
、ということで、次回もあの本を転載予定。