CubとSRと

ただの日記

毛沢東と共犯、日本の東洋史

2019年06月26日 | 重箱の隅
 宮脇
 だから共産党は真似したというか、太平天国をすごく持ち上げたわけです。
 でも日本の東洋史はその話をそのまま、毛沢東が政治的に改竄したとおりの中国近代史を書いて教科書にしてるんです。
 宮崎
 あのころ岩波書店から出ていた本は、すべて毛沢東を持ち上げていました。
 エドガー・スノー(北京大学に墓がある)やアグネス・スメドレー(のちにコミンテルン工作員と判明)などみな「一流」のジャーナリストとして扱われたじゃない。
 宮脇
 歴史学者の佐藤公彦氏が書いた『中国の反外国主義とナショナリズム』(2015年、集広舎)によると、戦後日本の中国史のアカデミック世界では、左翼知識人が論壇を壟断したために、「階級史観」「プロレタリアート独裁史観」でまったく的外れな解釈を展開してきたと指摘しています。
 つまり、日本の中国史は出鱈目な後知恵改竄であるという。
 したがって、左翼教条主義が去ったいまも、日本の現代中国史家の頭のなかは中国を善とする勧善懲悪的な二元論が支配していて、
 「歴史を道徳とか倫理でその正統性を弁証し、評価裁断しようとする癖は『史記』以来の歴史意識だからである」
 と佐藤氏は書いていますが、日本の東洋史学者も同様なのでしょう。
 宮崎  
 つまり、左翼の間では神様だったスターリンが死んだときに、なぜか日本の株式市場がスターリン暴落になる。
 同じパターンで、マッカーサーが去るときには「マッカーサー出ていかないで」って、日本人が提灯行列までやらかしてしまった(笑)。あれと同じだ。
 ~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~

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  【戦後日本の中国史のアカデミック世界では、左翼知識人が論壇を壟断したために、「階級史観」「プロレタリアート独裁史観」でまったく的外れな解釈を展開してきた】
 これ、冒頭の「戦後日本の中国史」の部分は色々に置き換えができそうです。
 「国史」から「日本史」。いきなり「日本史」は抵抗が強そうだから「日本『の』歴史」とされたけど、ここだって【左翼知識人が論壇を壟断したために、「階級史観」「プロレタリアート独裁史観」でまったく的外れな解釈を展開してきた】
 結果、人物の顔の見えない歴史の展開が為されたわけだが、それは間違いなく「階級史観」「プロレタリアート独裁史観」で行われた。
 今でも思い出す。反戦フォークの旗手、高石ともやは
 「橋を作ったのはこの俺だ 道路を作ったのもこの俺だ
 強いこの腕とこの体で この国を作ったのは俺達だ」
 と歌った。
 今、調べてみたら、もともとはアメリカの歌だそうだが、彼が歌った時点で、歌われた場所で、この歌は階級史観、プロレタリアート独裁史観に染まる。


コメント
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