8月28日(日)
夕方。
障子を何となく見ていて「あと、これだけなのになぁ」と思う。未練たらしい。でも、張り替えようと思っても、外れないんだから。
「もう少し季節が良くなったら(涼しくなったら)外からやる、しかない、か」。
そう思いながら、それでも未練がましく何んとなし、外そうとしたら、あっさり外れた。「ええっ?」と思ったが、このチャンスを活かさぬ手はない。
これでビリビリに破れ始めていた一番左の下三段分、張り替えることができる。
首尾よく張替えが終わり、遂に中央左下三段分を残すのみとなった。
ただ下三段分の中の上二段は、雨でできた絞り染め模様のような染みによって一番目立っている。「悪目立ちしている」と言い切っても良い。
藍色の絞り染めみたいだったら、それなりに綺麗に見えるかもしれないが、障子の木枠から浸み出した色は決して美しくもなく風流でもない。勿論民芸風でもない。ただ、汚いだけに見える。言ってみれば古障子の「ラスボス」だ。
「やっぱりここだけは外から」と改めて思いながら何となく動かしてみると、「一度あることは二度ある」、だ。ちょっと時間はかかったものの、数十秒、いや十数秒で、この障子も外れた。
再び、勿論大袈裟ではなく「数年に一度訪れた絶好の機会」だから、外は薄暗くなっていたけど、夕食は後回しにして障子の張替え。
ついに欄間障子二枚(二面)を残すのみ、となった!
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「時機が来るのを待つしかない」と思いながら、周りから「未練がましい」と言われながら、本人も「最後の悪あがき」と思いながら、執拗に取り組む。
「死んでしまえばそれまでよ」ならぬ「やめてしまえばそれまでよ」。
ところで。
「沖縄を『一帯一路』の日本の出入り口(終着地)に」と、政府とは正反対のことを訴えた玉城候補が再選された。これが沖縄県民の本意ということなのだろうか。
それとも県民は「時機が来るのを待つしかない」と思っているのか。