3月27日(月)
5時15分~5時45分 散歩。
土曜日は、クリーニングに出すものを生協に持って行っただけでとんぼ返り、寄り道せず。全くそんな気にならなかったのは、今日と同じく黄砂が酷かったせいと気が付く。
「先が見えない」或いは「霞んでいる」というのは何とも辛いもの。死刑囚と同じことかも。
日本以外でも「死刑」の存在する理由は「いつ執行されるか分からない」という「『死の恐怖』と常に向き合わせるため」、なのだそうだ。禁固刑とか終身刑とは全く違う刑罰。
物理的な「春霞」のせいで、心の琴線に触れる桜の「花霞」は薄汚れてしまう。
それでも今日、出掛けの空は先日の土曜日ほど酷くはなかった。だから出る気にもなったのだが。
散歩から帰ってすぐ炊き込みご飯の用意。卵焼きと菜の花炒めは昨日つくっているから、あとは入れるだけ。
10時半頃、出発する。
まずは灘区。五毛天神近くの南北に延びる桜並木。
去年行ったのは休日でえらい人出だった。が、今日は平日でそれほどではない。それほどではないがほとんどの人がスマホやカメラを構えてそぞろ歩く。
結果、造幣局の通り抜けと同じで、立ち止まるわけにはいかない。そこに車も通る。(自身、車で行ってるわけだし。)
当然「花の下で弁当を」、なんてのは不可能。車は通るけれど停車したらとんでもないことになる。停滞も渋滞もしないが、徐行運転定期(規?)。
それに通る人を見るとほとんどが六甲山から降りてきたといった風体で、軽い山歩きとかピクニックのついで、といった感じ。花見はメインではない。
その分、ゴミの山ができる悪名高い「日本の花見会」はここらあたりでは開かれてない。
でも、明日改めて来る気はなくなった。
折り返し、六甲山系、丹生山系を越えて東条に向かう。
道の駅には行かず、そのまま桜の植えてある川沿いへ。
まだ蕾のままで寒々とした景色だが、2,3日で見ごろになるだろう、と確信。
帰り掛け、道の駅に寄り、一本の桜もない中、灘の桜並木を思い出しながら弁当を食べる。
こんなのは「花見」とは言えないかもしれないが、咲き誇る桜の花を車やバイクでゆっくり走りながらこの目で見て、それを思い出しながら酒を飲む。
意外に理想的な「花見」じゃないかと思ったりもする。
何より「ゴミが出ない」から、ね。