4月5日(水)
5時45分、散歩に出る。6時15分帰宅。
今朝は花粉症も少しマシ。
歯の点検は11時半からなので慌てることはない、とゆっくりしていた。
ちょっと気になっていたのは天気が崩れるかもしれないということ。
けど、予報会社が二社共「雨は夕方から」としているので信用することに。
いくら前倒しになったとしても「昼には降り始めます」なんて極端な変更はないだろう。
もう一つ、気になっていたんだった。
「車で行って、ついでにクリーニングに出していたものを受け取ろう」
、と思っているのだが、歯科医院に車を停められるのは4台分。
住宅街で交通量はさほど多くはないものの、バスの通る幹線沿いだから、漫然と出入りはできない。それなりに神経を使う。
駐車(後ろ向き)、苦手だし。昼前で四台分全て埋まっているかもしれないし。そうなると予約時間は迫ってくる、車の置き場がない、であたふたしているうちに渋滞を引き起こして・・・・なんてことになったらどうしよう!
まあ、これも取り越し苦労で、却って昼前だから駐車場は空いている可能性の方が高いし。行ってみなけりゃ分からないんだから。
その時はその時。「車の置き場所がないんだけど~。どうしましょう~」と受付に泣きつくことにしよう。
予定時間に間に合うように行く。
駐車スペースは3台分空いていた。
「なぁ~んだ」とも「やれやれ」とも思わず車を停める。
ここが分岐点。気になっていたんなら、どちらかの感想を(強く)持たなきゃ面白くない。
というより、気にしていたことに対する結果について一喜一憂してこそ、「感情がある」というものだ。
これをほとんど無感動に受け入れる、或いはそのままに流してしまう「問題が起こらなかった。やれやれ」などとも思わず、次の行動に移る、感動しなくなるというのが、実は認知能力の鈍化・低下につながっていて、その先に典型的な「ボケ」症状が待っているということを実感するようになった。
「感情が起こる」ことを「感動」するという。「感動する」ことによって人間は何らかの行動を起こす。実際の動作を起こすという場合もあれば、「考える」という頭脳活動を起こす場合もある。いずれも感動によって発動する。
さて。
気軽に点検と歯の清掃、と思っていたのに、またもや虫歯が見つかった。さすがに「点検」だけのことはある。
例によって歯並びの悪い重なった歯の部分。歯の側面が虫歯になっていて、放っておけば神経に届く。届いたら痛くて泣かなきゃならない。
「ああ、無情!」だ。いや、届く前に見つかったのだから、今のうちに治療をすれば「痛い!」と喚くこともない。
5月の連休の途中と、5月末、また世話にならなければ。
とにかく痛くなる前の治療だから大丈夫、だいじょうぶ。痛くないに決まってる。
治療中、涙が出たら花粉症のせい。