4月10日(月)
散歩に出たのは6時50分。これはいくら何でもどうかと思う。
何より折り返して帰途に就いたのは当然7時を回っていて、そうなると通勤通学の車、自転車、バイク、徒歩が一斉に活動を始める。
昔、相生は合併して石川島播磨重工業となった一方の雄、播磨造船所のお膝元だったから、駅前には自転車預かり所が数軒あって朝の通勤ラッシュは、それはもう大変なものだった。
何しろ電車が到着するたびに駅前から造船所までの道が自転車で埋め尽くされる。駅に向かう車は立ち往生するしかない。第一駅に向かう車自体が居ない。いたとしても自転車軍団に白い目で見られ、肩をすぼめて止まっているしかない。堂々と駅に向かうような車はバスくらいのものだった。
そんなのとは比ぶべくもない住宅街の朝の通勤通学時だけれど、考えようによっては却って面倒くさい。
一方通行を鯉や鮎みたいに遡っていくのは「滝登りの結果、龍になって天に上る」みたいで見応えもあるし、達成感もありそうだが、住宅街の人・バイク・自転車・車の流れは個々の気儘で入り乱れている。激流に立ち向かうのとは違って、言ってみれば十字砲火の真っただ中に飛び込んでいくようなもの。
まともに交通ルールを守るのは車とバイク(それも中型以上)くらいのもので、とにかく一分一秒を争うわけだから、人は言うまでもなく、時には自転車だって狭い下り坂の歩道を疾走する。息を切らしながら坂道を上って帰途に就いている爺さんなんかは障害物でしかない。
車だって流石に神戸、ルールは守る方らしいけどウィンカーはハンドルを切るのと同時、というのが結構多い。それ、ほとんど意味ないんだけど。
あ、でも、きっと誤解されていること。
横断歩道の近くまで来て年寄りが立ち止まる。思いやりのあるドライバーは「歩行者優先だから」と気を利かして横断を勧める。
ところが爺さんは動かない。
車は本当は急いでいるんだけど、「年寄りだ、動作が緩慢になるんだから、動き出すまでに時間がかかるんだろう」と待っている。
けど、爺さんは動かない。
「早くわたってくれよ~」といらいらし始める。
手で合図をしてみるんだけれど、知らん顔をしている。それどころか「何、モタモタしてるんだ。早く行け」とばかりに睨みつけてくる。
ついに思いやりのあるドライバーはキレる。
「何だ!このクソじじい!」
でも、ジェントルに発進する。
車が来たから立ち止まった。それは間違いない。
けど、道を譲られているとしても小走りで渡ることはしない。転倒するかもしれないという恐怖があるからだ。
歳をとるにつれて段々に、躓いたりよろめいたりすることが増えてくる。何気ない動作、何も思わないで進めた一歩で思いがけないところに痛みが走り、バランスを崩して転倒しそうになる。日常、ヒヤッとすることが多くなる。体力に自信が持てなくなる。これじゃいけないと散歩を始める。
家ならともかく、全て外では即、命取りになる。特に相手が車なら勝ち目はない。そして、車の中はほとんど見えないから、ドライバーの意図は読み取れない。
それでもうっすらと見えるドライバーの表情を読み取ろうとする。
車内からはそれが「睨まれている」ように見える。
我慢比べでしびれを切らした車が走り出す。
「何だ!このクソじじい!」の罵声を胸に・・・・。
「緩慢になる」のではない、「(気は急くけど)緩慢にならざるを得ない」のだということを、遂に理解できずに。
長い脱線だった。
とにかく、一時間とまではいかずとも、あと30分は早く出なきゃ。
先日の雨は、降水量こそ大したものではなかったが、常に南からの強風で壁に叩きつけられ続けていた雨が、塗装面のひび割れから浸み込んだらしく窓枠の一部に雨漏りがあってすっかり濡れてしまった。
また同じような降り方をすれば同じことが起こる。そして明日、夕方にはほぼ同じような雨になるらしい。
それまでにひび割れを見つけ、補修しなければ。