●読者之声
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(読者の声1)貴通巻第7724号、(読者の声2 Stratocaster様投稿)の内容に同感しました。
特に(引用)「30年間ゼロ成長という偉業(?)をいつまで続けるのか、もはや財務官僚やそのOB、その太鼓持ち学者やマスコミどもは失敗の責任としてその口を全てふさぎ、駄目モトでも新しい政策をやるべきだろう。」(引用終り)
には、激しく同感!
自公連立が続く限りは、政権交代の望めないなか、どうして「成果の出ない政策にいつまでも固執するのか!?」、それは余りにも国民をないがしろにしたやり方ではないでしょうか。「政策転換」やるべきです。
ダメなら、また「修正」すれば良い。それが政治というものであるべきと思います。
(KI生、尼崎市)
(宮崎正弘のコメント)
政治の本質はゲバルトです。大化改新も明治維新もゲバルトで勝利した方が権力を握った。
しかし、民主主義の下ではクーデターは否定されており、つまり大胆な改革などは出来るはずがなく、となれば現実の政治とは、理想と現実の距離を一歩一歩埋めていくこと。安倍元首相の詞を借りれば「匍匐前進」です。つまりは「間断なき微調整」ということでしょう。
理想と現実との間隔があまりに大きいので政治家に立腹する人たちが夥しいのも宜なるかな、です。
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023) 4月26日(水曜日)弐
通巻第7726号より
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>民主主義の下では~~大胆な改革などは出来るはずがな(い)。
>となれば現実の政治とは、理想と現実の距離を一歩一歩埋めていくこと。
>「匍匐前進」、「間断なき微調整」で、気が付けば「大胆な改革」が行われていた(実現できた)というやり方しか、民主主義社会にはないんだ、と。
「現実」から、「実現されるべき理想」までの距離はあまりにも遠い。
けれど、国民から見れば目と鼻の先にしか見えない。
「何をもたもたしている!サッサとやれよ!それをするのが選良、政治家だろう!?」ということになる。
けれど、けれどです。
>民主主義の下では~~大胆な改革などは出来るはずがな(い)。
>となれば現実の政治とは、理想と現実の距離を一歩一歩埋めていくこと。
>「匍匐前進」、「間断なき微調整」で、《気が付けば「大胆な改革」が行われていた(実現できた)というやり方しか、民主主義社会にはないんだ、と。》
政治家とは人々に理想の世界を語って聞かせ、それが実現できるよう役人に依頼する人、だったんじゃないでしょうか。