CubとSRと

ただの日記

踏切近くの一本桜

2023年04月06日 | バイク 車 ツーリング
 3月30日(木)

 「3月は去る」の言葉通り、残りあと一日。

 昨晩寝たのは1時頃だったが、今朝、目が覚めたのは5時前。
 勿論、たった4時間であっさり起き上がるほど眠気は醒めてない。
 醒めてないけど、改めて目を閉じれば今度は7時頃になるだろう。
 そう判断して、それに身体も重くないので起きることにした。

 5時20分、散歩に出る。特に身体に変わったこともなく、5時50分に帰宅。ブログを書き、紙縒りを5本作る。

 昼過ぎ、資源ごみをカブに積んで鈴蘭台の生協へ。
 踏切そばの桜の老木が目に入る。老木というにはまだ早いかもしれないが、木に勢いがなく、すっかりくたびれている風情。
 線路沿いに並木のように植えられたのだろうが、何故か一本だけ少し離れて幹もそれなりに太く落ち着いた感じ。
 若桜の生き生きとした枝ぶりがない分、爛漫と咲き乱れる花の勢いは圧巻だ。

 しかし何故、これまでこの桜の木の存在に気が付かなかったんだろう。
 いや、この桜の木があること自体は確かに知っていた。ただ印象がとにかく薄かった。影が薄い、というやつか。

 この桜の木の前にはほとんど屋台のような小さな店があった。踏切のそばのこの店が桜の姿の大半を遮り隠していた。
 けれども、それがバランスの良い街の景色をつくっていた。その店がなくなって小さな更地になった。
 車一台停められるかどうかといった小さな空き地。そのぽっかり空いた地面のすぐ後ろに、影の薄い桜の老木。

 建物がなくなったのは何年も前だったはずだが、桜の木が存在を主張するのは開花時期だけだ。影の薄い老木だって例外ではない。
 人だってそうかもしれない。光り輝く場所が必ずある。「ない」ようにしか見えないのは「その場所でない」からか、見る側に「見る目がない」からか、のどちらか。(「一途に生きている人」に限られるとは思うけれど。)

 来た道を戻り、「山の街」から有馬街道の旧道を通ってみる気になった。

 35年前、バイクに乗り始めた。
 港のある神戸の街から六甲山へ向かって、谷間の道が張り付くようにして伸びている。海抜数メートルから400メートル(実際は370mらしい)近くを一気に駆け上る道。
 分水嶺である峠を越えると今度は有馬温泉に向かう高台の道が続く。いずれにしても常に川と並走している。
 
 この延々と続く曲がりくねった谷間の道を原付バイクで走る。
 山腹の道を走っていると突然下の方に川面が見え、驚くほどの川沿いに茅葺の大きな家があったりする。
 何とも風情があって、ツーリングは楽しいと思わされたものだったけれど、往来する人や地元の住民には不便なこと、この上なかったろう。
 そして今は新しい幅の広いバイパスが国道に昇格し、旧道は地元民の往来にもほとんど使われなくなった。

 確かに、それは良いことなのだろうが・・・・。
コメント
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