去年の日記をそのまま再掲(何度目だろう、この再掲)。
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何で「新嘗祭」が「勤労感謝の日」に変わったのか。
小学校で、とにかく「働いている全ての人に感謝する日」と教えられた筈なんだけど何だかモヤモヤする。だってそれなら別に11月22日である必要はないでしょう?
その日だけ感謝する、ってのはヘンだ。毎日感謝すべきであって「感謝の心」はいつも持っていて当たり前なんじゃないの?
他にも「今日は~の日」ってやつのほとんどが「その日」である理由はない。「11月11日はポッキーの日」なんて無茶苦茶だ。ポッキー、好きだけど。
後になって、あれはやっぱりモヤモヤして当たり前、教える方も四苦八苦していたんじゃないかな、と思い遣ることができるようになりましたけど。
その伝から言うと「文化の日」なんかはモット捩じくれている。
ということで、何度目になるか分からない再掲です。
↓
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なんで「文化の日」と言うのか。
「それは文化勲章を授与される日だからであ~る」
・・・なんてのはウソ。
それなら「文化勲章の日」でなきゃ、いかん。
「日本文化の発展に貢献したから授ける」というのが文化勲章(だと思う)。
だから、文化勲章は後付けで、「文化の日」が先にある筈だ。
というわけで、「文化の日」を11月3日とする特別な理由は、ない。別に1日だって、2日だって良い。
こう書くと異論が出るんですよね。
「11月3日は『日本国憲法制定(発布)の日』だと書いてあるぞ!だから11月3日は憲法制定の日、新しい文化を記念する日なんだよ。」
じゃ、「新しい文化を記念する日」、とか「新憲法制定記念日」、とすればいいじゃないか。「文化の日」なんてつけて、これじゃまるでこれまでの日本文化は否定されているみたいじゃないか。
「ありゃりゃ、またごねてるぞ、この男は」
と思った方もあるかもしれませんが、本当のところは分かってるんですよ。
だから以前にも何度か日記に書きました。
実は「文化の日」、ってのは戦後、昭和二十三年に制定された新しい祝日なんですね。それまで、11月3日は「明治節」でありました。
英邁な君主として外国にも知られていた、明治天皇の誕生日です。だから明治期は「天長節」であったのが、大正天皇の崩御の後、明治天皇の御遺徳を偲んで、昭和の初めに祝日とされました。
さて、11月3日は文化の日(憲法制定の日)、5月3日は憲法記念日(施行の日)。
何故2回も祝日にするのか。
日本国憲法って、実質は主権を持てない占領下に在ってつくられた「占領統治法」なわけですから、こりゃあ米軍の陰謀か。
それとも、「明治節」を何とかして守ろうと、尽忠報国の士が大奮闘した結果なのか。
まだ占領下でしたからね、本当のところは分かりません。
けど、とにかく11月3日は明治節だったため占領軍によって廃止された、ということは間違いないことです。
それを、「新嘗祭」を「勤労感謝の日」として名前を変え、祭日ではないけれど祝日として実質を残したように、「明治節」から「文化の日」と名前を変え、とにかくは祝日として残した。(元々から祭日ではないけど。)
そんな苦肉の策だったのかもしれない。
「A級戦犯の名誉回復の立法は独立後、『社会党議員の提案』によって審議され、圧倒的多数で可決された」、なんてことも知らない人が今はほとんどです。祝祭日に対しての当時の国民の思いは一体どんなだったんでしょうね。
でも、まあ「明治節」を「文化の日」にした、というのは、なかなか上手いんじゃないか、とは思います。
明治天皇の世に、日本は大々的に西洋文化を採り入れ、日本を近代国家の体裁にした。近代西洋文化が正式に採用されたわけですから、「明治天皇=近代文化の発展」ということで、「文化の日」というのは良い名前かも知れない。
とは言え、「明治節」という名前が消えてしまったのはどんなもんだろう。
いやいや、明治天皇の御製歌からは「そんなことはどうでもよい」という声が聞こえて来そうです。
《千万(ちよろず)の 民と共にも たのしむに ます楽(たの)しみは あらじとぞおもふ》
今回は関係ないから一言だけにしますが、米占領軍の陰謀説。
「5月3日」憲法記念日は、極東軍事裁判所の開廷の日、ですからね。
「A級戦犯の提訴」は4月29日、昭和天皇誕生日。
「A級戦犯の処刑」は12月23日、今上天皇の誕生日。
「意図的なものは感じない」という方がどうかしている、と思いますよ。
小学校で、とにかく「働いている全ての人に感謝する日」と教えられた筈なんだけど何だかモヤモヤする。だってそれなら別に11月22日である必要はないでしょう?
その日だけ感謝する、ってのはヘンだ。毎日感謝すべきであって「感謝の心」はいつも持っていて当たり前なんじゃないの?
他にも「今日は~の日」ってやつのほとんどが「その日」である理由はない。「11月11日はポッキーの日」なんて無茶苦茶だ。ポッキー、好きだけど。
後になって、あれはやっぱりモヤモヤして当たり前、教える方も四苦八苦していたんじゃないかな、と思い遣ることができるようになりましたけど。
その伝から言うと「文化の日」なんかはモット捩じくれている。
ということで、何度目になるか分からない再掲です。
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なんで「文化の日」と言うのか。
「それは文化勲章を授与される日だからであ~る」
・・・なんてのはウソ。
それなら「文化勲章の日」でなきゃ、いかん。
「日本文化の発展に貢献したから授ける」というのが文化勲章(だと思う)。
だから、文化勲章は後付けで、「文化の日」が先にある筈だ。
というわけで、「文化の日」を11月3日とする特別な理由は、ない。別に1日だって、2日だって良い。
こう書くと異論が出るんですよね。
「11月3日は『日本国憲法制定(発布)の日』だと書いてあるぞ!だから11月3日は憲法制定の日、新しい文化を記念する日なんだよ。」
じゃ、「新しい文化を記念する日」、とか「新憲法制定記念日」、とすればいいじゃないか。「文化の日」なんてつけて、これじゃまるでこれまでの日本文化は否定されているみたいじゃないか。
「ありゃりゃ、またごねてるぞ、この男は」
と思った方もあるかもしれませんが、本当のところは分かってるんですよ。
だから以前にも何度か日記に書きました。
実は「文化の日」、ってのは戦後、昭和二十三年に制定された新しい祝日なんですね。それまで、11月3日は「明治節」でありました。
英邁な君主として外国にも知られていた、明治天皇の誕生日です。だから明治期は「天長節」であったのが、大正天皇の崩御の後、明治天皇の御遺徳を偲んで、昭和の初めに祝日とされました。
さて、11月3日は文化の日(憲法制定の日)、5月3日は憲法記念日(施行の日)。
何故2回も祝日にするのか。
日本国憲法って、実質は主権を持てない占領下に在ってつくられた「占領統治法」なわけですから、こりゃあ米軍の陰謀か。
それとも、「明治節」を何とかして守ろうと、尽忠報国の士が大奮闘した結果なのか。
まだ占領下でしたからね、本当のところは分かりません。
けど、とにかく11月3日は明治節だったため占領軍によって廃止された、ということは間違いないことです。
それを、「新嘗祭」を「勤労感謝の日」として名前を変え、祭日ではないけれど祝日として実質を残したように、「明治節」から「文化の日」と名前を変え、とにかくは祝日として残した。(元々から祭日ではないけど。)
そんな苦肉の策だったのかもしれない。
「A級戦犯の名誉回復の立法は独立後、『社会党議員の提案』によって審議され、圧倒的多数で可決された」、なんてことも知らない人が今はほとんどです。祝祭日に対しての当時の国民の思いは一体どんなだったんでしょうね。
でも、まあ「明治節」を「文化の日」にした、というのは、なかなか上手いんじゃないか、とは思います。
明治天皇の世に、日本は大々的に西洋文化を採り入れ、日本を近代国家の体裁にした。近代西洋文化が正式に採用されたわけですから、「明治天皇=近代文化の発展」ということで、「文化の日」というのは良い名前かも知れない。
とは言え、「明治節」という名前が消えてしまったのはどんなもんだろう。
いやいや、明治天皇の御製歌からは「そんなことはどうでもよい」という声が聞こえて来そうです。
《千万(ちよろず)の 民と共にも たのしむに ます楽(たの)しみは あらじとぞおもふ》
今回は関係ないから一言だけにしますが、米占領軍の陰謀説。
「5月3日」憲法記念日は、極東軍事裁判所の開廷の日、ですからね。
「A級戦犯の提訴」は4月29日、昭和天皇誕生日。
「A級戦犯の処刑」は12月23日、今上天皇の誕生日。
「意図的なものは感じない」という方がどうかしている、と思いますよ。
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さらに今年2023年、「文化の日」を「『文化の日』、かつ『明治節』」 に改称しようという案が自民党を中心に起こっているんだとか。
「明治節」の名を復活させようというのはわかるけれど、「海の日」なんかと違って西洋「文化」は特定の日から採用され始めたわけじゃない。
わざわざ後付けの名称を残すことの意味も分からない。加えて、何故「文化の日」が先に来る?