3時半に帰り着いて、目の調子はやっぱりもう一つ。
予想したほど疲れてはいないけれど、何しろ左目と右目で焦点の位置が上下に違うものだから、気付かぬうちに無理をしているようで、身体は疲れてはいない、と書いたものの何だか「神経疲れ」というか、そのまま「視神経疲れ」みたいなものはある。手っ取り早い手段は眼鏡を新調することだろう。
とにかくご飯を炊いて、夕食を摂って。
目が覚めた。結構長い時間寝ていた気がする。辺りは暗い。
枕元の時計を見ると6時を回っている。
「しまった!散歩に出る時間が遅くなった」
この時間からだったら、ぎりぎりで辺りが明るくなる前に帰って来られる。
大慌てでいい加減ながらストレッチをして、服を着て外に飛び出した。
隣の家の階段に並べてある太陽光の蓄電による照明が明るい。
こんな時間なのに既に車はない。朝早くから家族そろって外出か。
いや、今日は既に日曜日だ。学校は休みだから、もしかしたら昨日の午後から出掛けたのかも。
いつもの散歩コースを歩くのだが、何か様子がおかしい。こんなに早くから灯りの付いている家が何軒もある。散歩に出る時間に、こんなに多くの家が既に起きているなんて・・・・?
え?もしかして・・・・。
待てよ、そういえば夕食を摂った覚えがない。ご飯を炊きかけたところまでは覚えている。当たり前なら茶碗に小分けにしてラップをかけて、だけど、それをした記憶が全くない。
ということは・・・・?
道の先にテニスクラブの照明が見える。朝「暗いうちから早朝テニス」なんて、いくら何でもやってないだろう。
テニスクラブに近づくにつれて、推理が確信に変わっていく。
犬と同じく散歩は日に二回でも良いけれど、これ以上腹を減らすより引き返して夕食を摂ることにしよう。
ボケたらこんな感覚になるのか。これで不安に襲われたら完璧だ。
しかし、意外にこういうのはただ面白がる方が良いのかもしれない。本好き少年の空想癖みたいに。異世界転生もの、とか。
現実を把握できなくなることを悲観するより、自由気儘に空想する方が中身があって面白い。
まあ、我儘気儘ってのは本人は良いけど周囲は迷惑でたまったもんじゃないだろうな、とは思う。
帰って念のために時計を何度も見て、ラジオのニュースで曜日も何度も確かめて。
結果、やっぱりまだ日付は変わってないことを確認。今は土曜日だ。
酒を飲める日ではないから、十分余りの散歩は早々に切り上げ、茶碗にご飯を盛り分けるというルーティンの後、あり合わせのおかずで夕食。