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ただの日記

「見識」で物事を見るのは当たり前。(つまり教養が邪魔をする) 前

2023年11月01日 | 心の持ち様
  【「事実を伝える」のが新聞等のマスメディアの仕事なのに、「見識」という眼鏡を通して事実を眺め、受け取る側に「分かり易く整理して『説く』」のが仕事、と思っている。これが現実の報道になっている。】

 前々回の再掲日記に書いた言葉ですが、これ、以前に書いた「新聞記者ができるまで」という日記がもとになっています。 

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 2010.06/21 (Mon)

「新聞記者ができるまで」

 昔、尊敬する年長者に、何かの拍子に言われたことがあります。
 「職に就いた翌日から一人前に扱われるのは、学校の先生くらいなものだ。」
 確かにその通りで、普通は「石の上にも三年」「十年で一人前」などと言われます。
 場合によったら十年が二十年経っても、芽が出ず、赤貧洗うが如き窮乏生活、という人もあります。
 芸人や役者は特にそうで、売れるまでの貧乏ゆえの信じられない話をネタにするのは普通のこと。それどころか貧乏をしなかった者は却って肩身が狭いようで。
 まあ、いずれにしても初めから豊かな者に対する評価は、どこでも余り高くない。

 全く違う話に見えますが、十年ほど前までは入試の随筆問題、アサヒ新聞の「天声人語」が例題として出されることが多かった。御存知の方も多いでしょう。
 
 なぜ、アサヒ新聞なのか。教育界にも戦後教育の結果、そのような学閥があるので云々というのは後の話。「天声人語」は、やはり文章としての完成度が高かったからです。各代の編集長は名随筆家として世間に認められていました。

 その巻頭言である「天声人語」は随筆として見た場合、新聞業界の中では群を抜いた存在であった。
 だから、よく大学入試の出題文となった。
 時機に応じた話題を採り上げるのは当然ながら、古典や名言を実に上手く引用する。
 牽強付会に陥る寸前のところまでを引用としておき、次に全く違ったような短文を持って来る。この時点でモンタージュが完成する。
 なるほど、と思わせたところで知識の豊富さを思わせる語呂合わせ、或いは種明かしのような結論。

 あの短い文章の中に、文章の基本といわれる「起・承・転・結」が、きちんと組まれている。
 当然、他の新聞社の場合も、ちゃんとこの形は守られています。なのにアサヒに比べると目に見えて劣っている。この差は一体どこから来るのか。
 
 これが「教養の差」なんだと思います。

 「知識」と「教養」は違います。
 「知識」は各新聞社の編集主幹、そんなに差はない。
 けれど「教養」はアサヒが一番です。決して褒めているわけではない。

 以前にも書いたことがあるのですが、「教養」というのは「教えられ、それを元に自らが養う」ものです。
 「考え方」を教えられ、それをもとに「自身の考える力」を養う。
 
 各新聞社それぞれに、その会社の編集方針というものがあります。
 「真実を報道する」「事実を報道する」「事実を掲げて社の考えを述べる」等々。
 アサヒ新聞の場合はこの「考え方」がはっきりしている。つまり「ブレない」「揺るがない」。
 もう一度、誤認のないように言っておきますが、「考え方がはっきりしている」と書いたからと言って、褒めているわけではないのです。
 「教養がある」「考え方がはっきりしている」と書くと、なんだか褒めているようにみえるでしょう?そうではないのです。

 アサヒ新聞の考え方、それは「敗戦前の自社の全否定」です。
 これまでの過去は、自社の在り方はいうまでもなく間違いである。
 その自社の存在を認め、国のためにと活動することを奨励した国も間違っていた。

 「過去の間違いを明らかにする」と表向きは言っているのですが、実際は「だから、過去は全否定する」。
 「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも全て間違いである。」
 郵便ポストや電信柱、全て国が是としてきたものであるから、元締めの国が間違っているということはこれらも間違いである。

 これくらいの覚悟で徹底的にやれば、教育・文化・明治・大正の時代、そして皇室の存在さえ否定することになる。

 「教養がある」「考え方がしっかりしている」というのは、決して褒め言葉ではないのです。
 「これまでの日本を全否定することが正しいあり方である」という「しっかりした考え方」を持ち、その「ぶれない考え方」で、全てを見た結果の「教養」を身につけたのがアサヒ新聞です。

 さて、何故アサヒ新聞はこんな極論を吐くようになったのか。
 そうしなければGHQは社の存続を許してくれない(と思っていた)からです。
 先頭切って戦争遂行を叫んで来たのですから、そう思って当然。

 というわけでこれまでの中枢となっていた人物は、全て社を思い、退職して行きます。そして残った人々がGHQの逆鱗に触れぬよう社の方針を百八十度変更します。

 それが現在のアサヒ新聞の「考え方」です。
 戦争遂行の協力をした中枢部(幹部)の者は、全て自ら辞職していった。
 だから今のアサヒ新聞は平和のために再生した新聞である、として辞めて行った人々には全ての罪を担ってもらう。
 自主的に「公職追放」を実行した、ということになります。

                           (続く)
 
コメント (2)
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