CubとSRと

ただの日記

生活習慣病

2018年10月26日 | 日々の暮らし
 カブのエアクリーナーのことが気になっていた。
 買ってから交換してもらった記憶がない。
 ネットで調べてみると6000キロくらいで交換が普通、みたいなことが書かれてある。
 何度も書いているけど、買ったのは二十年余り前だ。
 あと、400キロ弱で1万5千キロ。
 いくら最近の道路事情が良くても、大概な距離を走っているわけだし、何しろ20年以上も前、ということで色々と劣化もしてきている。シート下の燃料タンクなどは塗料が言葉通り「剥がれ」てきている。
 「エアクリーナー」と言うくらいだ、仕事をしっかりやっているんだから、「目詰まり」とまでは行かなくとも、空気中の塵などを捉えている筈で、汚れていないわけがない。
 そんなことはちっとも考えず、買い物専用で週に一、二回、2~3キロしか乗らないのが二十年以上続いていた。
 特に不都合は感じなかった。「特に」と言う以前に、毎回、不都合を感じるほどの距離を乗ってない。
 けど、考えてみれば、これは生活習慣病と同じ仕組みなんじゃないか、と思った。
 或る程度の距離を毎日走っていたら、僅かな異常でも気が付きそうなものだ。
 しかし現実は、
 「ん?ちょっと機嫌が悪いか?気のせいか?」
 と思っているうちに目的地(大体は勤務先)に着いてしまう。
 ちょっと時間がたって(或いは退社時になって)、という頃には「ん?」と思ったことを忘れてしまっている。
 時間が経ったことで調子も直っていたりする。
 一晩明けると何ともなくなって「やっぱり気のせいだったか」。
 「気のせいだったか」と思えば良い方。書いた通り、「ん?」と思ったことすら忘れてしまっているのが普通。

 生活習慣病だって
 「ん?何だか眩暈がしたけど?睡眠不足かな?」
 となって、ちょっと時間が経てば不安だった気持ちは薄れ、異常もすっかり忘れてしまう。
 一晩明けると何ともなくなって「やっぱり気のせいだったか」。
 これはこわい。
 エアクリーナーが爆発したり、いきなり目詰まりしてエンジンが止まる、乗ってる者が吹っ飛ばされる、なんてことはない。
 けど、大袈裟に言えば、汚れた空気が常にエンジンに吸い込まれているわけだから、じわじわとエンジンは蝕まれていくわけで・・・。
 後ろ向きになればキリがないけど、気にしないでいれば好転する、なんてものじゃない。
 「気のせい」で片づけても、エアクリーナーがきれいになるもんでもない。
 段々に不具合が出て来る。
 身体に不具合が出てくれば薬を飲む。
 血圧云々ならば、まず食事から、と嫌いでも何でも納豆を食べたり塩の代わりに酢を大目に遣ったり、生姜を食べて体脂肪を燃やしたり・・・。
 それに比べたらエアクリーナーは「交換すればよい」、だけのこと。
 オイル交換に比べたら、「劇的な変化が」、なんてことはないらしいけど、
 「漢方薬と同じだ。時間をかけてじわじわと効いてくるんだ」
 と思って換えてもらおう。

 ・・・・ということで、エアクリーナーの交換をお願いした。
 さすがにカブ。翌日には部品が届く。
 で・・・・・。

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「カクヨム」の続き

2018年10月25日 | バイク 車 ツーリング
 「スーパーカブ」、「大島サイクル営業中」、ときて、もう他には何かないか、と探した。
 何でこんなに二輪に拘泥するんだろう。
 面白い話ならいくらでもある。それがこのライトノベルというやつだ。
 気軽に読めて、少しずつ読めて、とにかく話の展開が面白くて、考え込まなくていい。
 眉間に皺寄せて、椅子にもたれかかり、片手に本、片手は顎のあたりに手を当てて、時にはコーヒーカップに手を伸ばし・・・、みたいな読み方ではない。
 「スーパーカブ」の方は元々毛色が違うけれど、「大島サイクル営業中」の方は軽い読み物という雰囲気を十分に備えている。けれど、「スーパーカブ」と同じく拘る根っこがある。
 小説って基本、ファンタジーだ。ありもしないことや、まさかの展開を見せて読者をひきつける。
 いかにうまくその世界に引き込むか。
 上手く引き込むけど読者は「小説の中の話」と納得して読む。現実世界に身を置きつつ、楽しんで読んでいる。
 これが、「まさかそんなぁ~」と納得しない読者を、「納得しろ!」と脅しあげて強引に引き込み現実世界を否定し、読者を戻れなくするのが詐話。「言葉巧みに~」というやつは詐欺師の手法。
 あの慰安婦問題というのが実は捏造されたものだ、といくら言っても、早くから詐話を真実として聞かされてきた人間にはその仮想世界から抜け出すのは大変だ。不可能に近いかもしれない。
 何しろ周囲に存在する人も景色もそれで成り立っているのだから。「嘘も百回吐けば真実に」、だ。
 あれ?妙な方向に脱線した。
 
 何で二輪に拘泥するのか。
 二輪に乗らなければ金輪際分からない「話の設定」、というものがあるからだ。
 二輪に乗った時の風。
 走る速さによる変化は言うまでもないが、車体と共に身体を傾けてカーブを走り抜ける時の風は、文字通りに千変万化する。
 二輪に乗ると地上から150センチくらいまでの中を移動するわけだが、直線路は別にして、道の曲線に合わせてしょっちゅう身体を傾け、地面との距離を変える。
 直線路だって、ヘルメットに当たる風とハンドルを握る腕に当たる風、ブーツに当たる風はみんな違う。
 曲線路となれば猶更だ。車で、この細かな風の変化が分かるだろうか。
 二輪が絡む小説はここから始まる。この感覚を話の「設定」に置いているから、二輪に乗る者は上手く引き込まれつつ、 「スーパーカブ」、「大島サイクル営業中」、ときて、もう他には何かないか、と探すことになる。
 勿論、みんながみんなそうだとは限らないだろうけど。
 (風の感触を思い出して読む者もあれば、風を切り裂く感触以外はバイクにあらず、なんて者もいるだろうし。)
 で、見つけたのが「シングルスピード」という連載。
 自転車の話なんだけど、変速機のないスポーツタイプ。なるほどママチャリでなくって女の子がこれに乗っているのは、想像するだけでもカッコいい。何でもスチームローラーとか言うんだそうで。
 もう一つが「クッチョロ」。イタリア語で「子犬」という意味だという。
 これもまた主人公の女の子と一緒にすると、とても魅力的な絵が浮かぶ。
 ただ、残念ながらこれは完結してしまった。同じ作者。

 「クッチョロ」は終わってしまったけれど、このドゥカティの原付、その振動やエンジン音、排気音、風の中の感触等々、もっと詳しく書かれているところを読みたかったなあ、と、思う。
 遂に自分自身はドゥカティ乗りになれなかったから、せめて原付、いや、原付でこそドゥカティの息吹を感じたかった。


 
 
 
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「カクヨム」

2018年10月24日 | 日々の暮らし
 「カクヨム」に登録している。
 そこに作品を、ということではない。
 小説を読むのは好きだけど、書くなんてことは金輪際アウト。
 ただ読むことだけなら、新しい、まだ本になってないどころか連載中の物だって、(面白そうなら)読んでみたい。
 「カクヨム」ってんだけど、どちらか一方だって別に良いだろう。
 コミック版の「スーパーカブ」をネットで立ち読みして、面白そうだから、とりあえず買ってみるか、となった。
 発行日を見ると、立ち読みした翌日だ。売り切れるといけない。早速買いに行こう。
 ネットで試し読みができなかったら(書店のコミックにはみんな封がしてあるから)、きっと買いに行ってはいない。
 見られなかったらまず食指は動かない。
 
 買って帰って、当然すぐ読んだ。続きを一刻も早く読みたくなる。早速、小説の方を読もうという気になる。
 その辺りは一度ここにも書いた。
 コミックと違って小説の方は地元の書店にもあるだろうから、と探しに行き、悩みながらも三巻全部買って、ほぼ一気読み。
 それからまた一巻目から読み直し、を何度も繰り返して今日に至る。いくらボケてきているとはいえ、よくもまあ飽きもせずに読んでいるもんだ。
 毎朝、朝食を摂りながら数十頁ずつ読んでいる。
 味噌汁の椀を持つと老眼鏡が湯気で曇るから、基本、味噌汁は最初と最後だけにする。
 そこまでして読まなくても良いようなものだが、これが楽しいんだからしょうがない。
 スライスした小さな玉ねぎをオリーブオイルで炒め、オニオンソルトで味付け、卵でとじてバルサミコ酢をかけ、そいつをバゲットに載せてモグモグやりながらの数十分に、今、はまっている。
 向上心に欠けるのか、全く飽きる気配がない。
 脱線した。
 何度も読み返しているとはいえ、他にもあるなら読んでみたい。それでネットで「カクヨム」を見つけた。
 驚いたことにおそらく4巻目になるであろう小説が連載されていた。それだけじゃない、高校を卒業して大学生になってから、の話もあって、そちらは既に完結している。
 そうなると何しろ無職のキリギリス、時間だけはたくさんある。更新を毎日心待ちにするようになる。
 でも、連載中なわけだから、一気に読んでしまおうにも「続きはまだない」、わけで。
 となると、「他にバイクの絡んだ面白い小説はないか」となるのは、当然の成り行き。
 「カクヨム」の「カク」人が、「ヨム」人の場合もある。
 「スーパーカブ」の応援コメント欄に、「自分もバイクの小説を書いている」というコメントを見つけて、早速覗いてみた。一発でハマった。「大島サイクル営業中」という連載中の作品だった。
 バイク絡みで軽妙で、何とも言えないほんわかとした雰囲気の小説だ。
 最大の悪役である、或る地域の住民でさえ、凶悪で最低の人々として書かれているにも拘らず、生々しい唾棄すべき卑しさがない。
 言ってみればアンパンマンにワンパンチで吹っ飛ばされ、毎回星になっているバイキンマンみたいなもんだ。まあ、そのアンパンチを残酷という人もいるし、顔を食べさせるヒーローというのも考えて見りゃおぞましいけど。ありゃ?
 この作者の関連の作品も、当然、全て読んだ。
 この関連は、また度々書くんだろうなと思う。
 
 

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木に登らぬまま

2018年10月23日 | 日々の暮らし
 ところで。
 ここにブログを、となってからもう一ヶ月余り。
 内容がこんなので、サクラになってやろうという知り合いもいないし、自分で読み直してみても
 「う~ん、これは!面白い」
 なんて絶対思わない日記。
 勿論、面白いことを書こうと思ってるわけじゃない。ボケてきた頭だ、今のうちに思ったことを書き留めておきたい、同時にできることなら少しでもボケの進行に抗いたい、と。それだけを考えている。
 (つ、強がってるんじゃないんだからねっ)
 そんな日記なのに、この一ヶ月余り、アクセスが0、といった日は一度もなかった。
 と言っても、最高でも6人、なんだけど。(10人以上になる日、なんて来るのかな??)
 前のブログを
 「5年以上続けて書いているからエライ!」
 と御自身のブログで褒めて下さった方があった。
 毎日ではなかったけれど、それなりに真剣に、一所懸命「ああでもない、こうでもない」と苦しんで書いた結果を、社交辞令でもそう言われたことは、何ともうれしかったという記憶がある。
 まさに「豚も煽てりゃ木に登る」、だ(遂に木に登ることはなかったけど)。
 それに比べ、この日記は大力量もないのに「風吹かば即ち倒る」で始めたものだから、これといった内容はなく、一体どれだけ続けられることか、と今頃になって思う。
 倒れっ放しは楽だ。
 しかし、楽を積み重ねていけば、遂にはそれ以上の楽は望めなくなる。楽という奴には相乗効果がない。
 掛け合わせれば必ず、と言っていいほど苦を生む。
 また、楽は楽を生まず、それどころか次の瞬間、反転して苦になったり、逃れる場所すらなくしたりする。
 小学生の頃の、夏休みの終わりがじわじわと近づいてくる感じ。
 ゴロゴロ寝っ転がっていて、これ以上の楽はない、と自分を甘やかした結果、寝転がっていることでさえ苦痛になってくる感じ。
 この歳になって小学生の夏休みの終わりの追体験を、なんてまっぴらだ。
 ということで、まずは5年、続けよう。
 ホントなら十年、と言いたいところだけど、その時は七十五歳。
 免許返納を迫られて嫌々ながら手放したら、ボケるからもう日記は書けなくなるだろう、と自信を持って言える。
 
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ひとまず〆よう

2018年10月22日 | 日々の暮らし
 10月22日
 ブログ名にはほとんど関係のないことばかり書いている。
 それもその筈で、このブログ、最初の方で書いた通り、普通に日記に書いたことを読み直して、そこから思いついたことや思い出した事を書きつけただけ、のものだ。
 でも、それらが何となくcubやSRに絡んでいる、絡むというよりcubやSRをきっかけとして色々な考えが生れてきたような気がしているから、こんなブログ名をつけたのだった。
 ということで、cubやSRとは全く関係ない話になっている、とは思ってない。
 だから、まあ、手応えがあった、ということで、これからもこの線でいきますよ。
 あ、手応え、ってアクセス数の事じゃないですからね。そちらの方は次回に。
 で、昨日の日記で、これまでの日記の見直しはおしまい。
 これからは本当に日々思いついたことや、以前に考えたこと、ぼんやり思っていることなどを書こうと思ってます。
 もしかしたら、ブログ名とはますますかけ離れた日記になるかもしれないけど、ますますかけ離れた日記に見えたとしてもそれはきっと気のせいです。
 根っこにはcubやSR、時にはコペンやツインがいます。
 (いる筈です ←小声)
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