CubとSRと

ただの日記

バイクのシート

2018年10月21日 | バイク 車 ツーリング
 ~10月17日の日記より~
 カブのウィンカーは思った以上にきれいになった。
 で、目はSRの方に向く。
 同じことだから、SRのヘッドライトケースやメーター類のケースもやってみよう。
 全部メッキだからきっと磨き甲斐があるだろう。
 今乗っているのは二台目のSR。二代目。
 初代はノーマルで乗っていた。大きなウィンカーに、更に輪をかけて大きなテールランプ。
 リアにつけられていたバーは、デザイン上のことと思うが特殊な形をしていた(今も、だけど)。荷物やバッグを括り付けにくかったことを覚えている。
 今のSRは買った時点で色々と部品を換えてもらった。ウィンカー、シート、リアキャリアバーに、リアライト。
 シートは特に気に入っていた。なかなか格好の良い物だった。
 格好は良かったし、坐り心地も良かったけど、あまり丈夫ではなく、数年後に小さな裂け目ができた。
 ほんの1,2センチのもので、最初は全く気が付かなかった。
 雨が降ればほんのわずかでも浸水する。表面は日に当たれば数分で乾く。
 けど、雨水を吸い取った内部のスポンジはいつまでたっても乾かない。
 気が付いたら雨でもないのにズボンの太ももの付け根辺りが濡れている。
 誤解されそうな場所で甚だ感じが悪い。用を足した時にかかった?そんなバカな。
 いくら何でもそんなに長くない(何が?)。それに20年近い昔の事、残尿で悩む、といった歳でもなかった。
 とにかくカッコ悪いし、恥ずかしい。
 シートを仔細に見て「やっぱりこれしかない。シートが犯人」と確定。取り敢えずビニールテープで留めたけれど中は濡れているのだから、数時間後には浸みだしてきている。またズボンが濡れる、と。
 思い切ってシートを換えてもらうことにした。同じシートに、とも思ったけれど、耐久性がもう一つだったわけだから、二度目は考えなかった。
 二番目にカッコいい、と思ったシートが、数日後バイク店に届く。
 連絡を受け、喜んで仕事帰りに寄って、付け替えてもらう。何と前のより5センチくらい短い。
 シートに隠れていたウィンカーのステーが丸見えになってしまっているから、なんだか超ミニスカート(それもタイトな奴)になったみたいで、赤面しそうだ。形だけで選んで、長さを見てなかったせいだ。
 「えぇ・・・」となったけど、でも赤面しそうで赤面しなかったのには理由がある。
 ウィンカーのステーと同じくシートに隠れていたリアフェンダーも丸見えになっている。5センチ余り隠れていたリアフェンダーは、この数年間にすっかり錆びて、SR自慢のメッキの輝きは全くなく、シラケてやる気がなさそうに見える。
 超ミニスカートでキメているのに、提灯ブルマーみたいなパンツが・・・・。赤面しない。
 「あ~、もう。見られたもんじゃないな」と思いながらも、それもしょうがない、と諦めて乗ることにした。
 しかし、このミニスカート、じゃないシート自体は、予想をはるかに上回る優れものだった。
 「薄くて坐り心地が悪そう」、と、覚悟の上で替えたんだけど、薄い分、足着きは感動するくらい良くなるし、長時間乗っても内腿が擦れて痛くなる、なんてことは全くない。「坐り心地」だって
ノーマルシートが足元にも及ばないくらい良い。
 さあ、そうなるとフェンダーの錆を何とかして落とし、本気でキメさせてやらなきゃ。
 マイフェアレディーじゃないけれど、元が良い。錆び落としを買ってきて使ってみたら、すぐに元通りの眩しいくらいの輝きを取り戻した。
 残念なのは、交換した前のシートの端が当たって擦れていたところが、メッキ自体が取れてしまってフェンダーを横切る線になって残ってしまったこと。
 でも、その傷のおかげで、見るたびに前のシートのことを思い出す。
 傷の入ったリアフェンダーと寸足らずのシートを呼び寄せたもの。
 それは決して嫌な思い出ではない。
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気が付けば老人

2018年10月20日 | 日々の暮らし
 ~10月17日の日記より~
 6時半頃、起きる。ごみを捨てに行かなければならない。
 週に二回の生ごみではなく、月に二回の「ペットボトル・空き缶等」の日だ。外すと二週間、台所が狭くなる。
 感心なことに、ボケたようでもこれは覚えていた。
 早速、捨てに行く。
 腰が痛い。「腰痛」、と言いたいところだが、ちょっと違う。
 初めは大臀筋の表面だけが痛いような気がしていたから、これは遣い痛みだ、と思った。
 尻の筋肉が衰えると歩いたり坐ったりすることに影響が出て来る。当然、前屈姿勢や後屈姿勢を取ろうとした時も、思い通りに行かなくなる。だから、トレーニングをしなければ、と思ってちょっとやってみた。そのせいで痛くなったのだと思っていた。
 ところが、日が経つにつれて痛みの場所が変わってくる。
 尻の表面の痛み、と思っていたら、或る時、奥の方が痛いと感じた。
 それが数日続いたら、今度は股関節が痛いように思えて来た。
 次は椅子に座って胡坐をかこうと片足を椅子の上に引き揚げようとしたら、尻が痛くて脚を開いた状態で引き揚げることができない。しょうがないから手で引き揚げると、もう、尻は痛くない。
 忘れていた左ひざの痛みもいきなり出て来る。
 そうかと思えば、三十年近い昔、腱鞘炎になりかけた時の痛みと全く同じ痛みが出てきたりする。
 それが、腱鞘炎になりかけたのは左腕なのに、同じ痛みが右腕で起こる。古傷になっている筈の左腕は何ともない。
 腰にせよ腕にせよ、不意に痛みが走って力が入らなくなる。
 力が入らないというより、不意の痛みで力が抜けてしまう。
 腰の力が抜けてストンと尻もちを搗くのを「腰が抜ける」というが、瞬間の痛みでその時の態勢を維持できなくなるのが今回の問題。
 これが「神経痛」という奴なのだろうか。
 六十数年生きて来たけど、こんなのは経験したことがないから分からない。
 もし、これが「神経痛」という奴ならば、どうしたら抑え込めるんだろう。
 色々考えてみたが、例によって「絶対安静」では駄目だろう。
 「野生の回復力」は、自分にはあまりない。人間自体に野生動物の回復力はあまり期待できないんじゃないか。
 じゃ、どうする。意図的に何かをすることだろう。 
 以前に田舎の診療所で
 「最近、膝が痛い時がある」
 と言ったら、
 「軟骨がすり減るのはどうしようもないから、腱や筋肉を強くするしかない」
 、と言われたことがある。
 結局、スクワット等をできる範囲内でやり続けるうち、両膝の強い痛みはなくなった。
 今回もそれを参考にすると・・・。
 以前にやっていたトレーニングを少しずつ再開すること。それが一番の近道。
 で、三ヶ月は結果が出ずとも続けること。

 脱線したけど、「歳を取る」というのはこういうことなのかもしれない、とやっと気が付いた。
 年寄りの動作が緩慢なのは、「痛みが突然起こるから、おそるおそる動く」ということではない。
 痛みを恐れて(怖がって)ということではなく、痛みが走った瞬間、身体のバランスを取るための力までもが抜けてしまうため、色々な操作を失敗したり、転倒したりといった危険性をできるだけ低くするため、無意識の裡に慎重になるからだ。
 
 やはり筋肉を必要な分だけ太くするしかない。
 マジックテープが駄目になって使えなくなっていた5キロのウェイトベルト。直して使うしかない。
 思いついて100円ショップでマジックテープを買ってきて、ボタン付け用の太い糸で縫い付けた。
 まだ一週間ほどだけど、今朝、ごみを捨てに行った時に感じた「腰が痛い」、は実は以前に比べると、数分の一。

 昼前になると急に晴れて来た。こうなると、家でじっとしてなんかいられない。
 洗濯物は全部片づけた。草刈りも当面はOK。買い物も一通り済んでいる。
 う~む、どうしよう・・・・。
 あ、カブのウィンカーランプ。錆を落とそう!!
 錆を落としたら・・・?
 当然!「錆落とし記念ショートツーリング」に出掛けるに決まっている。
 

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車に乗って出た

2018年10月19日 | 重箱の隅
 ~10月8日の日記より~
 一ヶ月ぶりに、車に乗って出た。
 6年も乗っているのにちっとも上手くならないのは、この頻度の低さのせいか。
 でも、面白がってバイクに能く乗っていても、人並みに見えるかな、と思うようになったのは十年過ぎてからだった。
 車も、あと4年はかかるということか。
 そのもっと前に、バイクにしろ車にしろなかなか上手くならないのは運動神経に問題があるのかも、という疑念は敢えて持たないようにしている。
 「運動神経が鈍いから免許を取り上げる」
 と言われたら、これはもう、
 「はい。仕方がないです。お上の事には間違いはございますまいから」
 、と言うしかない。
 ただし、付け足しではなく、メインで、だけど。
 車社会は「社会」だから、ルールで成り立っている。決して本能や運動神経、センス、ではない。
 そのルールに則って参加しているならば、社会は円滑に流れることができる。
 危険回避に於いて、「社会」では本能や運動神経、センスは二の次だ。
 まずはルールを守ろうとする個々の尊厳が認められねばならない。そこに加えてマナーという潤滑油があれば、成熟した社会ということになるか。
 なんてことを言ってもぶつかれば怪我をする、最悪の場合はあの世行き、というシビアな社会。
 だから、どうしても本能や運動神経、センス、で危険を回避したり、致命的な事故にはならなかったということがクローズアップされる。けど、クローズアップされ過ぎて本末が転倒したりする。
 「高齢者は免許を返納すべき」という声が段々に大きくなってきているように思うけど、それって「運動神経が鈍くなってきているから」「段々頭が怪しくなってきているから」、という、「ルールを守る」という本筋とは違うところで論じられているように思うのだけれど。
 考え、判断し、実行する。これをルールに則って一瞬のうちに行うのが「生活(=社会への参加)する」ということで、その端的なのが車の運転でありバイクの運転(による「車社会への参加」)、だ。
 そして、これらは、「老化を防ぐ」「脳の活性化」の上で特に効果の高い方法だ。
 この「社会への参加」を諦めろ、ということは、真綿で首をじわじわと・・・・、ということになるんじゃないのかな。

 初めて介護被保険者証が届いたものだからね、何となくこんなことを考えました。
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欲をかく

2018年10月18日 | 日々の暮らし
 ~10月4日の日記より~
 7時半頃、目が覚めた。郵便局に行くには、少し早い。
 着替えたり朝食を摂ったりしてからなら適当な時間にはなるけれど。
 草刈りをしなけりゃならないしなぁ・・・。汗かいてから行くのも・・・・。
 などともぞもぞしているうちに9時半近くになった。
 朝食は摂ってないけど先に行って来るか、と82円払って封筒を渡し、帰ってくる。
 その勢いで草刈り。半分草抜き、半分枝切り。
 もっと生い茂っていたように思っていたのだが、前回、結構しっかりと刈っていたようで、割にあっさりと済んだ。それでも大きなごみ袋2つになった。
 もう昼前になっていた。朝食をどうしようか、というような時間ではない。昼食をどうするか、だ。
 でも、昼食を摂ったら、夕食が早いのだから食間がなくなる。どうしようか。
 もう、ブレックファーストもブランチもランチもなし。いきなりディナーだ。
 じゃ、何か買いにスーパーへ行こう。
 そう思って出ようとしたのが1時半頃。着替える前に二階の窓から外を見る。
 もう降り始めていた。買い物は、アウト。
 2時頃から食事の用意。
 残っていたカレーを温める。同じく残っていた茶碗一杯分の御飯をレンジに入れる。
 急に餃子を焼こうと思った。そしたら今度は麻婆豆腐も作りたくなった。
 こうなると、当然、酒の用意だ。焼酎だ、今日は一合五勺だ、ついでにウィスキーの湯割りも一杯、だ。
 餃子を食べながらカレーを食べる。合間に麻婆豆腐を「見」ながらウィスキーを飲む。
 餃子を食べ、湯割りが3分の1ほどになり、カレーを半分くらい食べたら、
 「焼酎一合五勺は多いかもなぁ。今日は温めないで寝かせとく、か」
 と、なった。
 (焼酎は水で割った状態で2、3日は放っておけるのが良い)
 ウィスキーの湯割り一杯。餃子一人前。カレーライス一杯。で、満腹。
 いつものように「もうちょっと飲みたいな」と焼酎を温めてしまったら、間違いなく悪酔いする。
 辛うじて留まれたのはカレーと餃子を先に食べたからだ。先に麻婆豆腐に箸をつけていたら、踏みとどまれなかったろう。
 同じように先に焼酎を飲んでいたら、もう少し、となってウィスキーの湯割りは間違いなく飲んでいる。
 そして悪酔い。
 「欲をかく」、というか「酒飲みは口が卑しい」、というか。きれいには終われないし、分かっていながら飲み過ぎてしまうし。

 台風は朝鮮半島をかすめて、日本海を東進するらしい。直接の影響は土・日辺りらしく、また秋雨前線が大雨を降らすかもしれないけど、瓦が飛ぶようなことだけはないよう、祈る。
 二階の屋根に上るのは、何といっても命がけ、だから。
 酒も下手すりゃ命がけ、だけど、神頼みではなく自分次第。欲をかかなきゃ、よい。
 酒に限らない、か。
 


 

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美味しく食べる

2018年10月17日 | 日々の暮らし
 ~10月3日の日記より
 今日はコーヒーだけ買いに行く予定。天気も良い。
 出るのが遅くなって10時半頃になったけど、用事は一つだけなんだから、と、遠回りしてダムのほとりの駐車場へ。
 ここで読書のつもり。勿論、何巡目かの「スーパーカブ」。
 8月末の台風で倒れてしまった落葉松は何日か前に撤去され、今は中心のなくなった円形のベンチだけが違和感なく残っている。
 今日あたり、そこで本を、と思っていた。
 しかし、直射日光の下で読書は無理だな、と遠目に見て判断。
 
 藤棚の下のベンチに座って本を読むことにした。コーヒーはポットに入れて持ってきた。
 ポットにあるコーヒーを飲みきったら、読書を終えて出発することにしている。
 今日もそうした。
 先日来、なんだかケンタッキー・フライド・チキンを食べたくて仕方がなかった。他の店のではなく、とにかくKFCのが食べたかった。突然チキンラーメンを食べたくなるのと一緒、な感じ。
 「生活費を引き出したら、食べよう」。そう思っていた。
 コーヒーを買った帰り、看板が見えた。
 いつもなら「無駄な買い物なんじゃないか」とか何とか、一瞬ためらうのだが、今日は殆んど吸い寄せられるように左折して駐車場に入ってしまう。
 近所に住んで20年余りになるが、入ったのはこれが初めて。
 ところが、首尾よくフライド・チキンを買って出たのに、「フライド・チキンにはビールだな」と思いながら、ビールを買いに直進せず、家の方へ曲がってしまった。
 もう一度SRのサイドバッグに工夫して500ml缶ビール一本の隙間をつくるのは面倒、と思ったことや、他の肴も用意するならカブで出直した方が、等という思いがよぎったからだろう。
 いざ、家に帰ってスパッツを外し、靴紐を解いて家に上がってヘルメットを換える、となると
 「ハイボールでいいか」
 、と、さらに気が変わり、楽に走り、結局行かず。
 フライド・チキンも、冷めてから、となってしまい、数年ぶりに食べたものの「これじゃない」感が湧いてくる。
 これなら最近よく作る怪し気な「アヒージョ(だと思う)」の方が良い。
 KFCが悪いのか?味が落ちたのか?こっちの舌が肥えたのか?
 分からない。でも、「ビールだな」、から「ハイボールでも」、の妥協。
 買ってから熱々のをいたずらに冷めさせてしまった。買ってお金を払って、トイレを借りて出てきたら、わずかの時間なのに品物が冷めないように保温ケースの中に入れておいてくれたのに。
 SRは当たり前に仕事をした。カブも改めて乗って出たならそうしただろう。
 相手は十二分に応対してくれているのに、こちらはいい加減に対応して不満ばかり述べる。
 SRもカブもKFCも、十二分に応対してくれているのに、こちらはいい加減に対応して不満ばかり述べる。 
 フライド・チキン。もっと美味しく食べられただろうに。惜しいことをした。
 
 

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