高校生の頃、これを習った時は、「空からお札が降って来た」ことを「天の啓示」として行動を起こした、という話だったと思う。
「お札(神札)」って、実は当時入支してきたキリスト教(天主教)の伝道師が作成した案内チラシだった。
けど、何しろ「白髪三千丈」のお国柄だ、一枚の道に落ちていたお札(チラシ)に「天啓」を感じ取り、革命軍を起こす・・・・。何て素敵なんだ!
何しろ名前が素敵だ、「太平天国」、だなんて。
そんなことを思ったけれど、学校の図書館なんかで関連の本(当時は東洋文庫くらいだったろうか)を見ても、何だかピンと来なかった。
何しろキリスト教の宣伝チラシが始まりなのに、キリスト教の色は全くない。
ただ「みんなが飢えて死ぬことのない、争いのない世界を実現しよう」、だけのこと。宗教色すらない。一体何がしたいんだ?
数十年後、段々に、「太平天国」ってのはとんでもない集団なんだ、ということが分かって来た。
何しろ原始キリスト教のように盟主と共に人々が移動するんだけれど、それは「迫害されたから」ではなく、食料がなくなったから。
移動先に食糧がなくなったら、また移動する。
「太平天国軍」と称して女子供も引き連れて移動する。女は男と同じく兵士になるから、男子軍と女子軍ができる。一夫一婦制だが、上層部は一夫多妻制。
見方を変えれば、やって来られた場所はたまったもんじゃない。折角作った作物をみんな食われてしまう。もっと言えば机や椅子以外は食ってしまう。人も相当量食べられたらしい。
「それならいっそのこと」、と、その土地の人も合流して移動を始める(食われるより食う方が良い?)。
結局、流民の大集団。喩えは悪いがイナゴの大量発生みたいなことになる。
でも、何故そんな危険な集団が「太平天国」という独立国を13年も続けられたのか。全く分からない。
それで、今回の転載。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「太平天国を持ち上げ利用したのは孫文と毛沢東」
宮崎
太平天国がいま、共産革命の素地を拓いたとして、すごく高く評価されています。
宮脇
孫文が自分たちが客家なので、太平天国がシナ大陸で最初の客家の革命だって持ち上げたんです。
はじめ太平天国の乱はそんなに評価されてなくて、同時代資料によればただの長髪族の乱と呼んで、日本人もバカにしているし、先に述べたように回教徒やイスラム教徒の乱などのワンノムゼムだった。
それなのに孫文が1911年の辛亥革命のとき、革命の前例として持ち上げたのを皮切りに、次に毛沢東が共産主義の萌芽だと再評価した。
宮崎
適当に解釈を変えるのは共産党の歴史ですから。そもそも両者はなんの関係もないのに。
宮脇
太平天国のスローガンに「天朝田畝制度(てんちょうでんぽせいど)」(田があればみんなで耕し、食べ物があればみんなで喰らう)というのがあって、本当はぜんぜんそのとおりにならなかったのですが、中華人民共和国は大躍進運動と人民公社の設立のときに、前例があるという理由で太平天国をものすごく持ち上げたんです。
要するに、屈辱のアヘン戦争を経て民衆が太平天国を起こしたという筋書きに毛沢東が歴史を改竄した。それだけをシナ近代史に仕立て上げた。
その毛沢東の勝手な歴史観を日本の東洋史の研究者が鵜呑みにしてそのまま翻訳しました。全部嘘です。
そうした誤った歴史観にもとづいて改竄された日本の教科書を、どのように正して読むかという本を執筆しました(『封印された中国近代史』ビジネス社、2017年)。
宮崎
南京の故宮へ行くと、洪秀全の玉座があって、なかにはピカピカの銅像があって、それだけでも驚きなんだけど、生まれ故郷の広州の花都(ファードゥー)には駅前に洪秀全博物館があります。
展示内容は貧弱で、見るべき価値のあるものは中庭の銅像ぐらい。
ほかにも生家跡があるので、タクシー飛ばしてそこに行ったんですよ。一時間ぐらいかかるんですけどね。
立派に再現されているんだけど、その日、見学したのが私一人(笑)。
だから現代中国人はだれも相手にしていない。
宮脇
毛沢東の鳴り物入りだったのに。
おそらく毛沢東と一緒に洪秀全の評価もしぼんだと思うんですけど、毛沢東があのときすごい持ち上げた。
洪秀全が南京を制圧したあとに天京(てんけい)と名づけ、街にものすごい大きい宮城をつくって、奥さん何十人も入れて立てこもった。実態は本当にひどい。
宮崎
そうなるとカルトだよね。麻原彰晃を五千倍にしたような。
宮脇
それで男と女は別々にして、夫婦も無理やり別々に分けて男の軍隊と女の軍隊をつくった。客家は纏足をしないので女の軍隊も三十万人いました。
だから攻略した場所では、「解放」と称して女の纏足をほどいて労働をさせたので、それがいやで自殺者が多発したのです。
そういう悲惨な話がいっぱい残っており、まさに中国共産党がやったのとそっくりです。
宮崎
その暴れ方と人の殺し方において共産主義者のやり方の原型なんじゃない?
宮脇
だから共産党は真似したというか、太平天国をすごく持ち上げたわけです。
でも日本の東洋史はその話をそのまま、毛沢東が政治的に改竄したとおりの中国近代史を書いて教科書にしてるんです。
~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~
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「お札(神札)」って、実は当時入支してきたキリスト教(天主教)の伝道師が作成した案内チラシだった。
けど、何しろ「白髪三千丈」のお国柄だ、一枚の道に落ちていたお札(チラシ)に「天啓」を感じ取り、革命軍を起こす・・・・。何て素敵なんだ!
何しろ名前が素敵だ、「太平天国」、だなんて。
そんなことを思ったけれど、学校の図書館なんかで関連の本(当時は東洋文庫くらいだったろうか)を見ても、何だかピンと来なかった。
何しろキリスト教の宣伝チラシが始まりなのに、キリスト教の色は全くない。
ただ「みんなが飢えて死ぬことのない、争いのない世界を実現しよう」、だけのこと。宗教色すらない。一体何がしたいんだ?
数十年後、段々に、「太平天国」ってのはとんでもない集団なんだ、ということが分かって来た。
何しろ原始キリスト教のように盟主と共に人々が移動するんだけれど、それは「迫害されたから」ではなく、食料がなくなったから。
移動先に食糧がなくなったら、また移動する。
「太平天国軍」と称して女子供も引き連れて移動する。女は男と同じく兵士になるから、男子軍と女子軍ができる。一夫一婦制だが、上層部は一夫多妻制。
見方を変えれば、やって来られた場所はたまったもんじゃない。折角作った作物をみんな食われてしまう。もっと言えば机や椅子以外は食ってしまう。人も相当量食べられたらしい。
「それならいっそのこと」、と、その土地の人も合流して移動を始める(食われるより食う方が良い?)。
結局、流民の大集団。喩えは悪いがイナゴの大量発生みたいなことになる。
でも、何故そんな危険な集団が「太平天国」という独立国を13年も続けられたのか。全く分からない。
それで、今回の転載。
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「太平天国を持ち上げ利用したのは孫文と毛沢東」
宮崎
太平天国がいま、共産革命の素地を拓いたとして、すごく高く評価されています。
宮脇
孫文が自分たちが客家なので、太平天国がシナ大陸で最初の客家の革命だって持ち上げたんです。
はじめ太平天国の乱はそんなに評価されてなくて、同時代資料によればただの長髪族の乱と呼んで、日本人もバカにしているし、先に述べたように回教徒やイスラム教徒の乱などのワンノムゼムだった。
それなのに孫文が1911年の辛亥革命のとき、革命の前例として持ち上げたのを皮切りに、次に毛沢東が共産主義の萌芽だと再評価した。
宮崎
適当に解釈を変えるのは共産党の歴史ですから。そもそも両者はなんの関係もないのに。
宮脇
太平天国のスローガンに「天朝田畝制度(てんちょうでんぽせいど)」(田があればみんなで耕し、食べ物があればみんなで喰らう)というのがあって、本当はぜんぜんそのとおりにならなかったのですが、中華人民共和国は大躍進運動と人民公社の設立のときに、前例があるという理由で太平天国をものすごく持ち上げたんです。
要するに、屈辱のアヘン戦争を経て民衆が太平天国を起こしたという筋書きに毛沢東が歴史を改竄した。それだけをシナ近代史に仕立て上げた。
その毛沢東の勝手な歴史観を日本の東洋史の研究者が鵜呑みにしてそのまま翻訳しました。全部嘘です。
そうした誤った歴史観にもとづいて改竄された日本の教科書を、どのように正して読むかという本を執筆しました(『封印された中国近代史』ビジネス社、2017年)。
宮崎
南京の故宮へ行くと、洪秀全の玉座があって、なかにはピカピカの銅像があって、それだけでも驚きなんだけど、生まれ故郷の広州の花都(ファードゥー)には駅前に洪秀全博物館があります。
展示内容は貧弱で、見るべき価値のあるものは中庭の銅像ぐらい。
ほかにも生家跡があるので、タクシー飛ばしてそこに行ったんですよ。一時間ぐらいかかるんですけどね。
立派に再現されているんだけど、その日、見学したのが私一人(笑)。
だから現代中国人はだれも相手にしていない。
宮脇
毛沢東の鳴り物入りだったのに。
おそらく毛沢東と一緒に洪秀全の評価もしぼんだと思うんですけど、毛沢東があのときすごい持ち上げた。
洪秀全が南京を制圧したあとに天京(てんけい)と名づけ、街にものすごい大きい宮城をつくって、奥さん何十人も入れて立てこもった。実態は本当にひどい。
宮崎
そうなるとカルトだよね。麻原彰晃を五千倍にしたような。
宮脇
それで男と女は別々にして、夫婦も無理やり別々に分けて男の軍隊と女の軍隊をつくった。客家は纏足をしないので女の軍隊も三十万人いました。
だから攻略した場所では、「解放」と称して女の纏足をほどいて労働をさせたので、それがいやで自殺者が多発したのです。
そういう悲惨な話がいっぱい残っており、まさに中国共産党がやったのとそっくりです。
宮崎
その暴れ方と人の殺し方において共産主義者のやり方の原型なんじゃない?
宮脇
だから共産党は真似したというか、太平天国をすごく持ち上げたわけです。
でも日本の東洋史はその話をそのまま、毛沢東が政治的に改竄したとおりの中国近代史を書いて教科書にしてるんです。
~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~
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