CubとSRと

ただの日記

太平天国

2019年06月25日 | 重箱の隅
 高校生の頃、これを習った時は、「空からお札が降って来た」ことを「天の啓示」として行動を起こした、という話だったと思う。
 
 「お札(神札)」って、実は当時入支してきたキリスト教(天主教)の伝道師が作成した案内チラシだった。
 けど、何しろ「白髪三千丈」のお国柄だ、一枚の道に落ちていたお札(チラシ)に「天啓」を感じ取り、革命軍を起こす・・・・。何て素敵なんだ!
 何しろ名前が素敵だ、「太平天国」、だなんて。
 そんなことを思ったけれど、学校の図書館なんかで関連の本(当時は東洋文庫くらいだったろうか)を見ても、何だかピンと来なかった。
 何しろキリスト教の宣伝チラシが始まりなのに、キリスト教の色は全くない。
 ただ「みんなが飢えて死ぬことのない、争いのない世界を実現しよう」、だけのこと。宗教色すらない。一体何がしたいんだ?
 数十年後、段々に、「太平天国」ってのはとんでもない集団なんだ、ということが分かって来た。
 何しろ原始キリスト教のように盟主と共に人々が移動するんだけれど、それは「迫害されたから」ではなく、食料がなくなったから。
 移動先に食糧がなくなったら、また移動する。
 「太平天国軍」と称して女子供も引き連れて移動する。女は男と同じく兵士になるから、男子軍と女子軍ができる。一夫一婦制だが、上層部は一夫多妻制。
 見方を変えれば、やって来られた場所はたまったもんじゃない。折角作った作物をみんな食われてしまう。もっと言えば机や椅子以外は食ってしまう。人も相当量食べられたらしい。
 「それならいっそのこと」、と、その土地の人も合流して移動を始める(食われるより食う方が良い?)。
 結局、流民の大集団。喩えは悪いがイナゴの大量発生みたいなことになる。
 でも、何故そんな危険な集団が「太平天国」という独立国を13年も続けられたのか。全く分からない。
 それで、今回の転載。
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 「太平天国を持ち上げ利用したのは孫文と毛沢東」
 宮崎
 太平天国がいま、共産革命の素地を拓いたとして、すごく高く評価されています。
 宮脇
 孫文が自分たちが客家なので、太平天国がシナ大陸で最初の客家の革命だって持ち上げたんです。
 はじめ太平天国の乱はそんなに評価されてなくて、同時代資料によればただの長髪族の乱と呼んで、日本人もバカにしているし、先に述べたように回教徒やイスラム教徒の乱などのワンノムゼムだった。
 それなのに孫文が1911年の辛亥革命のとき、革命の前例として持ち上げたのを皮切りに、次に毛沢東が共産主義の萌芽だと再評価した。
 宮崎
 適当に解釈を変えるのは共産党の歴史ですから。そもそも両者はなんの関係もないのに。
 宮脇
 太平天国のスローガンに「天朝田畝制度(てんちょうでんぽせいど)」(田があればみんなで耕し、食べ物があればみんなで喰らう)というのがあって、本当はぜんぜんそのとおりにならなかったのですが、中華人民共和国は大躍進運動と人民公社の設立のときに、前例があるという理由で太平天国をものすごく持ち上げたんです。
 要するに、屈辱のアヘン戦争を経て民衆が太平天国を起こしたという筋書きに毛沢東が歴史を改竄した。それだけをシナ近代史に仕立て上げた。
 
 その毛沢東の勝手な歴史観を日本の東洋史の研究者が鵜呑みにしてそのまま翻訳しました。全部嘘です。
 そうした誤った歴史観にもとづいて改竄された日本の教科書を、どのように正して読むかという本を執筆しました(『封印された中国近代史』ビジネス社、2017年)。
 宮崎
 南京の故宮へ行くと、洪秀全の玉座があって、なかにはピカピカの銅像があって、それだけでも驚きなんだけど、生まれ故郷の広州の花都(ファードゥー)には駅前に洪秀全博物館があります。
 展示内容は貧弱で、見るべき価値のあるものは中庭の銅像ぐらい。
 ほかにも生家跡があるので、タクシー飛ばしてそこに行ったんですよ。一時間ぐらいかかるんですけどね。
 立派に再現されているんだけど、その日、見学したのが私一人(笑)。
 だから現代中国人はだれも相手にしていない。
 宮脇
 毛沢東の鳴り物入りだったのに。
 おそらく毛沢東と一緒に洪秀全の評価もしぼんだと思うんですけど、毛沢東があのときすごい持ち上げた。
 洪秀全が南京を制圧したあとに天京(てんけい)と名づけ、街にものすごい大きい宮城をつくって、奥さん何十人も入れて立てこもった。実態は本当にひどい。
 宮崎
 そうなるとカルトだよね。麻原彰晃を五千倍にしたような。
 宮脇
 それで男と女は別々にして、夫婦も無理やり別々に分けて男の軍隊と女の軍隊をつくった。客家は纏足をしないので女の軍隊も三十万人いました。
 だから攻略した場所では、「解放」と称して女の纏足をほどいて労働をさせたので、それがいやで自殺者が多発したのです。
 そういう悲惨な話がいっぱい残っており、まさに中国共産党がやったのとそっくりです。
 宮崎
 その暴れ方と人の殺し方において共産主義者のやり方の原型なんじゃない?
 宮脇
 だから共産党は真似したというか、太平天国をすごく持ち上げたわけです。
 でも日本の東洋史はその話をそのまま、毛沢東が政治的に改竄したとおりの中国近代史を書いて教科書にしてるんです。


 ~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~
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同じ「客」の字だけれど。

2019年06月24日 | 重箱の隅
「共産党の源流も南方の秘密結社も客家」
 宮脇  
 客家は政治力が強いとか。共産党ももともと最初の哥老会(かろうかい)が大きな勢力でした。
 それから洪門ともいう三合会とか、南のほうの秘密結社で客家中心だっていうのがけっこうあるんじゃないですか・・・・天地会も。
 宮崎
 あれもフリーメーソンなんかと似ていて、少し伝説的なところがある。
 洪門会っていうのはたくさん解説書が出ているので読んだけれど、みんな解釈違うし、これがやくざの青幇・紅幇とかの源流だとか、非常に複合的な解釈でなんだかわかんないんじゃないですかね。
 宮脇
 秘密結社は秘密だから秘密結社なんで、全貌はうかがいしれません。
 だから岡田英弘が書いてますが、たとえばシンガポールの秘密結社について、外国人の研究・報告が少しあるけれども、それらを併せても本当のことはぜんぜんわからない。
 ただシナの秘密結社は、北と南で完全に分かれていて、まったく違う組織で動いていることは間違いありません。
 北は白蓮教の系統で、南が天地会です。もともと文化が違って南は米の文化で北は小麦の文化、肌合いも違う人たちで、昔から南船北馬でした。
 本来北方系だった客家がそこをつっきって南に降りてきているところが、南で異質なところかもしれません。
 宮崎
 かもしれないですよね。
 宮脇
 だから客家は周囲から差別されていたし、折りあわない。
 宮崎
 太平天国の乱を起こした洪秀全も客家人?
 宮脇
 そうです。だって洪門(姓がみんな同じ洪)、天地会ですから。
 太平天国がどうしてあんなに流行ったかというと、いまの広西チワン族自治区で拡大したからです。
 異民族、つまりいまの少数民族の祖先と、客家が太平天国の中心メンバーです。

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 「犯罪の影に女あり」、ってのは推理小説の定石みたいだけど、「内乱」或いは「騒乱」の影に客家あり、ってのはアジア史の定石?
 随分迷惑な話だけど、元をたどれば元朝成立時、土地を奪われて南方へ逃亡した人々。
 誰も手を付けなかった悪地にやっとの思いで住み着き、円楼を築いて生き延びるが、先住民からは「よそ者(客家)」と軽蔑され続ける。
 韓半島から逃げ出し、漂着した百済や高麗の人々を、「よそ者」ではなく「客人(まろうど)」として受け入れた日本人。
 同じ「客」の字が、日本とでは全く違う意味を持っているのが能く分かる。


 それはそうと。
 随分長いこと転載を続けているけど、もう少しかかりそうな予感・・・・・。



 
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客家 孫文

2019年06月23日 | 重箱の隅
 宮脇
 袁世凱が主人である清朝の支配層を説得して、1912年2月に清朝が平和裏に禅譲したから中華民国が成立したというのが私の意見で、孫文なんかぜんぜん話になりません。
 宮崎
 孫文はペテン師だもの。西洋も日本も騙した。
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 転載の続き。(でも、客家成立の沿革は略)

 宮脇
 客家に話を戻すと、だから客家は、自分たちはもともといちばんの中心地から来た、古い文明の中心の中原から来た、というプライドが強い。どんなに貧乏でもです。
 山がちで豊かでない土地に入植して女性も労働力として必要だったため、絶対に纏足はしないし、教育熱心で、人間関係のネットワークも大事にしました。
 宮崎
 鄧小平も客家でした。
 宮脇
 シンガポールのリー・クアン・ユー(李光耀)も台湾の李登輝も客家です。
 孫文の家は貧しくて軍閥でもない。土地に全く人脈はないわ、出身の村に助けてくれる親戚もいないわ、大陸になんの地盤もない。
 それでお兄さんがハワイに行って成功してから、母親と弟を呼び寄せたので、孫文は十四歳でハワイで初めて学校に入って勉強するのです。
 十八歳で香港に戻って洗礼を受けてキリスト教徒になっています。
 つまり、孫文は英語教育を受けた華僑なのです。マカオと広州で医者を始めます。だから中国を外側からしか見てなくて、何もわからないくせに勝手なことを言っていた。
 でも英語がすごく上手でハンサムで、かっこよくて、日本人はみんな大好きになって援助しちゃった。
 宮崎
 あれはまずイギリス人の学者が騙されて、孫文をやけに持ち上げたでしょう。次に日本人が、すっかり騙されて・・・・。
 宮脇
 日本人ですよ。梅屋(庄吉)さんから、頭山(満)さんも騙された。
 宮崎
 日本人から中国の革命運動のために集めた金の95%は自分で使い、残り5%だけ革命運動に使った。これって汚職の典型じゃないですか、孫文は。
 宮脇
 しかも孫文を援助して日本人で死んだ人もいる。
 宮崎
 いまの習近平の幹部どもの腐敗よりもひどくて、その元祖は孫文です。
 宮脇
 孫文の正体については私もずいぶん書きました。ようやく日本人にも浸透してきたと思います。それで、革命のために東京で、興中会(孫文・胡漢民・汪兆銘)、光復会(陶成章・章炳麟・蔡元培培・秋瑾)、華興会(黄興・宋教仁・陳天華)を合併して中国革命同盟会を結成したけど、それぞれ地方によって言葉の違う人たちが、孫文に威張られるのがいやだという理由で、すぐに分裂してます。
 宮崎
 だからメンバーでいちばん多いのは湖南省出身者です。秋瑾も湖南省です。学者で救いがあるのは宋教仁ぐらい。宋教仁は日本語もかなりできたでしょう。
 宮脇
 彼は優秀すぎたから袁世凱に暗殺された。孫文を暗殺しなかったのは大した奴じゃないからで、宋教仁の方が大物だったから袁世凱は彼を亡き者にしたんです。
 宮崎
 国民党を事実上つくり、率いていたのは宋教仁です。
 宮脇
 孫文は頭の飾りにすぎません。

   ~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~

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 「中華民国」を建てた、ということは革命が行われ、新しい国ができたということになる。でも、清国は、ある。ならば、これはただの内乱。
 そうなると、内乱鎮圧の隙に乗じて外国は侵略を開始する。
 その隙を与えないようにするには清国が革命を認める(戦わずして政権を譲る)しかない。袁世凱がそれを実行した。
 
 もう、孫文、ボロクソに言われているけど、具体的なところを知ると、もう「へぇ~~」というしかない。で、「そこまで言わんでも良かろうに」と思ったりもする。
 けど、これまで目にしてきた本などでも、孫文は何が優れていたのか凝視すると、途端に実像がぼやけてしまっていた。
 「水滸伝」の宋江のように、抜きん出たものはなくとも義気に溢れ、仲間のためなら平気で命を投げ出すから、みんなが心酔してついていく、といった人間性とは正反対の人物のようだし。
 その人物を、国民党は言うまでもなく、全く反対の考え方である共産党ですら「革命の父」「国父」と評価するのはなぜか?
  【宮崎  「国民党を事実上つくり、率いていたのは宋教仁です」】


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日本語で連絡を取り合う

2019年06月22日 | 重箱の隅
 続き。
 
 「李鴻章の後継者・袁世凱が中華民国を成立させた」
 
 宮崎
 一種の文化迫害なんだけど、逆にいうと、よくあれで統一しているなと思います。まあ、それはともかくとして、最初に孔子で対抗した袁世凱はそれほどの教養人なの?
 宮脇
 教養人とは言えないけれども、それでも一応「四書五経」を勉強した科挙官僚だから、古い漢字の資料が読める読書人です。私から見れば孫文よりはるかに政治が上手な男だなとは思います。
 だって、清朝時代に朝鮮総督のような地位にあったのですよ。日清戦争の最中には李鴻章の一の子分として日本と戦った人だし、それから中華民国総統に選ばれたあと、諸外国との間に五国借款も結びました。
 宮崎
 ということは外国知識と歴史的な基本要素を知っていなきゃできない。
 宮脇
 李鴻章の後継者ですし、かれがいなかったら中華民国は成立していない。 
 だいたい辛亥革命とか中華民国とか、立派な名前を使うからいかにもちゃんとした革命運動であり、民族国家だったように日本人はかん違いしますけど、中国語では「武昌起義」といって、清の南方の地方軍長官のクーデターにすぎないのです。
 しかも武装蜂起したのはほとんどが日本の陸軍士官学校卒の軍人で、当時のシナ大陸にはまだ共通語もないから、日本語で連絡を取り合ったそうです。
 誰もトップになれるほどの人物はおらず、このままだとまとまらないからと、日本や欧米に知られた孫文を臨時大総統という名前の頭の飾りにかついだわけです。
 孫文は革命に何の役にも立っていませんし、軍隊に直接の子分もいません。
 これに対して袁世凱は清朝最大最強の北洋軍の長ですから、本気で革命討伐にあたれば、革命軍はひとたまりもありません。
 でももし内乱になったら、清朝の領土は諸外国に切り取られることくらいは孫文もわかっていたから、袁世凱にしぶしぶ大総統の地位を譲ったわけです。
 袁世凱が主人である清朝の支配層を説得して、1912年2月に清朝が平和裏に禅譲したから中華民国が成立したというのが私の意見で、孫文なんかぜんぜん話になりません。
 宮崎
 孫文はペテン師だもの。西洋も日本も騙した。


 ~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 軍服姿の大男が居並ぶ中に、肩までしかない、けれど横幅と立派な面構えだけは負けてない禿頭の小男。
 身長は百六十センチに満たないながら百キロ近い巨躯。毎朝、煮卵を十個食べていた、とどこかで読んだ記憶がある。
 が、こうやって科挙試験を受ける家柄に在って、高級役人にはなれなかったまでも、軍の近代化を達成し、後には諸外国から資金を借りて国力増強に充てる、なんてことを実行している。
 見方次第で、「国を弱体化させた」「自分が皇帝になりたかっただけ」「私利私欲の塊り」等々、悪評は山のように出て来る。 
 けれど、軍の近代化によって国が弱体化したのか?国が弱体化していたから軍を近代化しようとしたのではないのか?私利私欲の塊りが、まず国力増強を図って諸外国と借款を結ぶ、なんて遠回りが過ぎるだろう?
 一つ一つを順に並べて見れば、単純に孫文を善玉にして近代史をまとめるなんてのは強引に過ぎると思う。 




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孔子しかない

2019年06月21日 | 重箱の隅
 前回、
 【冷静に考えたら、共産主義の国が儒学を奨励する、と考える方がおかしい。
 逆に(儒学の祖云々は別にして)孔子なら、世界中の人々が知っている。このアイドル性を利用しない手はない。
 「孔子」の名は客寄せパンダ以上の実力を発揮する!】
 と書いて、
 「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)
 という対談本を読み進めて行ったら、その辺の事情というか、考え方みたいなものが書かれている部分があったのでまた転載。
 今回は少し長め。
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 「孔子しかない中国の不安」
 宮崎
 国が乱れると危機を克服するのに中国では孔子が復活します。
 宮脇
 孔子は二十世紀になってからだけで三度生き返りました。
 中華民国ができたころ日本などの外国との関係が強くて西洋かぶれだった孫文に対抗した袁世凱、国共合作が破れた直後の蒋介石、そしていまの習近平です。
 まず、清の大臣だった袁世凱です。1911年に辛亥革命が起こり、翌12年に南方で中華民国ができて孫文が臨時大統領に選ばれました。
 孫文は大統領の地位を袁世凱に譲りますが、ふたたび第二革命を起こします。
 その際、袁世凱は孫文などの文化人ー科挙官僚を目指した読書人ではなく外国の力を背景に近代化を目指すーグループに対抗するために、儒教と「四書五経」を言い出すんです。
 つまり、日本など外国の干渉をはねのけるために、孔子と儒教を持ち出した。
 そのあと、孫文を継いだ蒋介石がふたたび儒教と「四書五経」と孔子を持ち出したのは、共産主義に対抗するためです。
 宮崎
 台北に孔子廟を持ってきて、孔子の七十六代目、つまり正統の孔子の末裔を台湾に運んだのは蒋介石でした。
 宮脇 
 では三番目の習近平が何に対抗しているかというと、つまり中国は共産主義を捨てたからです。
 習近平が「中華の夢」とか「チャイナの伝統」とか言うのも、過去で誇れるものといったら孔子しかいないからだと思います。北京オリンピックの開会式でも、漢字と羅針盤と鄭和の遠征を演出していて、毛沢東と共産主義はありませんでした。
 宮崎
 あのクチパクと足跡の花火とテーマソングくらいしか北京五輪の印象は残っていません。
 直後から世界中に孔子学院を開校し、中華悠久の歴史を広報するとした。
 ウラジヴォストークへ行っておどろいたのですが、日本文化センターの隣が孔子学院でした。
 宮脇
 北京五輪で五十五の少数民族の子供たちが仲良く旗を掲げて行進という演出も、服を借りているだけで全員漢族の高級幹部の子弟でした。
 オープニングに漢字をぱっと出したでしょう。シナの伝統といえば、よりどころがもう孔子様しかない。
 宮崎
 煎じ詰めて言えば、漢字にしても昔の繁体字に戻さなければいけないと思います。
 今の簡体字なんて、本字に縁もゆかりもない、ただの記号じゃないですか。速記と同じです。
 宮脇
 意味も何もない。
 
 宮崎
 ぜんぜん読めない字がある、だいたい想像できるのだけどね。例えば横棒三本に縦棒一本[丰]。これなんですか?読めないでしょう?これトヨタの豊って字なんです。
 宮脇
 そうか。だからみんなで悪口言ってて、雲(簡体字=云)には雨がなく・・・・。
 宮崎
 愛(簡体字=爰)には心がない(笑)。
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 「焚書坑儒」は最悪の施策だったように習った記憶があるのだけれど。
 それが文化大革命の時、二度目の焚書坑儒が行われた。「批林批孔」のスローガンの下に、革命の英雄の一人「林彪(りんぴょう)」が徹底批判された。孔子も再び批判され、墓まで暴かれた。
 林彪は裏切り者であり、孔子は旧体制の象徴であるから打倒しなければならない。社会主義革命なんだから当然のこと。
 
 でも、そこまでのことをやって置いて、孔子学院?何だそれ?と思ってたんだ。
 けど、結局は現実主義のシナ人(漢人)としては、共産党が作り上げた組織、機構は打ち出の小槌。最大限生かしてシナの利益を追求したい、と。
 そのためには大いなる後ろ盾が必要なんだけど、それは孔子以外は考えられない。
 四書五経(学者)なんかいらない、儒学者(為政者)も必要ない(社会主義なんだから)。
 でも、世界に知れ渡っている孔子の名前は欲しい。

 これも見方を変えれば「事大主義」、か。


 

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